第1002話 クロノVSネロ
「だからお前は、もう許されない――――先に世界の理を破ったのは、白き神の方だ」
魂から無尽蔵に湧き出し、体中を荒れ狂うように駆け巡ってゆく膨大な力の奔流を感じながら、俺はそう宣言する。
今のネロは、俺が見てきたアイやミサを超えた力を発揮している。パワー、スピード、魔法の演算力も出力も、人間の限界を大きく超えた途轍もない強化状態。
そして、その掟破りのチート強化が、俺にも宿る。
次元魔法『黒の魔王』の理によって、神の加護による力の増大は、この場に戦う者同士へ等しく与えられる。
今頃、魔王城でミアが俺に向けてジャブジャブ黒色魔力を注いでくれていることだろう。
お陰様で、俺は濃密な黒色魔力のオーラを纏って、ネロと相対している。
「ふざけんな……この力は、俺にだけ許されたものだ……クロノぉ、テメーなんざが、持ってていい力じゃあ、ねぇんだよぉ!!」
俺が使徒と同じ力を持つことが、よほど気に食わないのか。
怒り心頭といった叫びを上げて、ネロは左手に握った火と土の双属性聖剣『紅蓮深山』を向ける。
その真っ直ぐに大剣の切っ先を向けた体勢から、どんな武技を繰り出してくるかと思えば、使うのはどうやら魔法らしい。
メキメキと音を立てて、大理石のような刀身が縦に割れる。その変形を見た瞬間に理解する、あれは砲身だと。
上下に分割されて開いた刀身の隙間を、即座にドロドロとした溶岩状と化した超密度の火属性魔力が充填されてゆく。如何にもデカい一発が飛んできそうな雰囲気だ。
フィオナがド派手に上級攻撃魔法をぶっ放そうと杖を構えた時と、同じような気配と危機感を覚える。
普段なら全力で回避か防御に動くべき感覚だが、今ばかりはその必要もない。
やはり、クリスマスの夜にミアと特訓した成果を感じる。力は強ければ強いほど、良いってものではない。重要なのは、自らその力を制御しきれるかどうか。
そうでなければ、余計な力を使って、体に負担がかかる。使徒も魔力こそ無限に得られても、人間という器には、どれほどの強化を施しても絶対に限界があるのだ。
使徒を兵士一万人で倒せる理屈は、強すぎる力を使い続ければ、自らの肉体が耐えられなくなる限界点が存在するということを示している。
だから俺は、自分に最も負荷の少ない戦い方――――すなわち、最も使い慣れた基本的な技と武器しか使わない。
「魂ごと燃え尽きろぉ――――『怒炎弩弓砲』ッ!!」
ネロより放たれる極大の熱線。
大軍をまとめて蒸発させられそうな、巨大な白熱の奔流へと、俺はただ指をさし、唱える。
「『魔弾』」
ズドォン――――
重苦しい発砲音。瞬く黒きマズルフラッシュは一度だけ。
『光の魔王』で超強化を果たしたのと同等の威力を持つ一発の銃弾が、指先から放たれる。
帝国軍で使っているライフル弾と同じサイズの『魔弾』は、その質量と弾速のみをもって、迫り来る巨大熱線を真正面から突き破る。
熱線は弾丸の表面を僅かに焦がすだけに留まり、過ぎ去った後には勢力の衰えた竜巻が自然に解れるように、灼熱の奔流は散り散りとなって霧散してゆく。
そうして熱線のど真ん中を突っ切って、弾丸はネロの構えた『紅蓮深山』へと着弾。
「ぐっ、馬鹿なっ!?」
けたたましい音を立てて、火と土の聖剣が砕け散る。
「俺の方が撃ち負けた……こんな一発に……」
たった一発の弾丸でぶち抜かれたことが、そんなに驚くべきことか。
互いにつぎ込んだ魔力量は同等。違いは、どれだけ密度を圧縮できたか。
お前はデカいビームのように拡散させたが、俺は小さな一発に全てを込めた。これはどちらが強い、という話ではない。戦況によって、有効な技を使い分けるという基本的な戦術。
どちらも同じだけの力を持つ。ならば、そこから先は技量と相性の勝負。磨きぬいた己の技とセンスを信じ、有利と不利の押し付け合い。それが戦いの駆け引きというもの。
争いは同じレベルの者同士でしか成立しない。故に使徒という絶対的なアドバンテージが無くなった今、俺はネロと対等な勝負が出来るというワケだ。
「何を呆けているんだ、ネロ。俺達は今、一騎討ちをしているんだぞ――――『魔剣』」
高まり続けるネロの力と共に、俺もまたこの力に体を慣らしていた。そして、慣らしはもう十分。
次はこちらが攻撃する番だ。
「クソっ――――『流水白雪』!」
再び握った水と氷の聖剣を手に、襲い掛かって来る黒化剣を迎え撃つネロ。
さっきまでは防戦一方だったから、剣も盾代わりに消費するだけだったが……『魔剣』本来の使い方は、死角を含めた全方位攻撃。
そして剣を操るだけでなく、自らも斬りに行けて始めて実戦レベルの黒魔法として完成する。
必死に双剣を振るって、加護による超強化を果たしたガッチガチの黒化剣を弾いているネロに向かって、俺は『首断』担いで駆け出す。
「『黒凪』」
「ちいっ――――『一閃』!」
再び白黒の火花が散る。だがその光量は、最初に斬り合いをした時の比ではない。
互いに高まった加護の力によって、凄まじい魔力密度の残滓が飛び散る。
「何をそんなに焦っている。この程度の修羅場、ランク5冒険者なら、幾度も潜り抜けてきただろう」
「ぐうっ……黙れぇ!!」
叫びと共に振るわれた一刀は、まるで新人冒険者みたいに、力任せの動きだった。
これがあの、天才魔剣士と謳われたネロの姿か。
「使徒の力に溺れて、自分の戦い方も忘れたか、お前は」
ダキア村の雪原で、お前を殴り飛ばしたあの時の方が、今よりも遥かにキレがあったぞ。
なんだこの体たらくは。あまりの堕落ぶりに、怒りすら湧いてくる。
使徒の力という、人智を超えた強さの底上げを失った途端、お前はこんな素人同然の剣士になり下がってしまったというのか。
「これが、こんなものが、お前が欲した力か!」
「がぁああああああああああああっ!!」
隙だらけの胴体へと、横薙ぎの一閃を叩きつける。
流石は『暴君の鎧』を倒した古代鎧だけあって、胴を覆う装甲は頑強だ。使徒の力によって、過剰なまでのエーテルが供給され耐久力も爆上がりだが、同じくらい強化されている俺の一撃がクリティカルすれば意味はない。
生身の肉体は守られているものの、純白の装甲はバキバキと砕け散る。
大きく裂けた装甲の端から、ジワジワと修復機能が働いて装甲を補修するような動きも見えるが……再生するより前に、俺が鎧を剥ぐ方が早いだろう。
「神に頼り切って、なにが最強だ! 鍛えた強さも捨て去って、お前は俺達だけじゃない、自分自身さえも裏切ってんだよ、この大馬鹿野郎がぁ!!」
袈裟懸けに振るわれた一撃をモロに喰らって、ネロは呻き声を置き去りにして吹っ飛んで行く。
無様に黒い大地を転がりながら倒れ伏す。
無防備にもうつ伏せで倒れ込んだままのネロへと、俺は間髪入れずに『魔剣』を飛ばし、
「うるせぇよ……テメェに、何が分かるってんだよぉ!!」
さらに色濃く白色魔力のオーラを噴き上げるネロが、握りしめた刀で次々と黒化剣を弾く。
瞬間的に出力が増したことで、斬り払われた黒化剣は風化するように砕け散った。
「本当に大切なモノを失くしたこともねぇ……ただ魔王に選ばれた、運が良いだけの温い人生送ったテメェに、分かるはずがねぇ!!」
古代鎧『聖者の鎧』のブースターが爆ぜるように青白い燐光を噴き出し、瞬間移動のような超高速で間合いを詰めてくる。
光刃による二刀流を止め、両手で『神白星』を握ったネロが、もうすぐ目の前で刃を振り下ろしている。
速い。
だが、今の俺はその速さに追いつける。
「お前が失くしたのは、リンという女か」
言葉と共に、『首断』を叩きつける。
驚いた表情を浮かべたのは、俺がそのことを知っていたことか。それとも、自分の攻撃を容易く弾かれたことか。
「てっ、テメェが……その名前を口にするなぁ!」
「本気で愛していたんだろう。今でも忘れられず、リィンフェルトなんて偽物を傍に置くほど」
調べなどとっくについている。
ネロはポっと出の女であるリィンフェルトを、隠すことなく特別扱いだ。別に俺でなくとも、あのリィンフェルトって女は一体ネロの何なんだ、と誰だって思うだろう。
何故、ネロはそこまであの女に執着するのか。ただの女好き、あるいは女に免疫がなく、誑かされただけ……そうであれば話は単純だったが、アヴァロン王宮にツテがある者ならば、調べることは十分に出来る。
ネロは幼い頃、実に奔放なヤンチャ王子で、勝手にアヴァロンの街へと繰り出していた。そこで懇意にしていた孤児院に、リンという少女がいた。
当時からして天才的な剣と魔法の才能を発揮したネロだったが、そんな彼と並ぶほど才能豊かな少女だったらしい。
まぁ、多感な幼少期に、自らのライバルとなりえる女の子なんていたら、夢中になるのも自然な話。
しかし、リンは死んだ。指名手配されていた凶悪な犯罪者に襲われ、その命を落とした。
そして、その現場にネロもいた。
恐らくネロが居合わせたせいだろう、この事件は大々的に公表されることなく、王宮内のみに留められる公然の秘密とされたようだ。
そうして、愛した少女を失い失意の底にあったネロは、ネルと共にスパーダ留学をすることになり――――後は、俺の知っての通りである。
「気持ちが分かる、なんて言わないさ。確かに俺は、自分が愛した女を失ったことはないからな」
そうさ、アルザスで大敗した俺が何とか立ち直れたのも、究極的にはリリィとフィオナ、自分のパーティメンバーだけは生き残ったからだ。
本当に俺が一人だけで生き残っていたならば……二度と立ち上がることは無かっただろうと思う。
ネロに同情すべき点はある。狂ってしまいそうなほどの絶望を味わったのは、紛れもない事実だ。
「だが、悲劇を背負っていれば、何でも許されるワケじゃない」
愛する女性が死んだ。何という悲劇だろう。
けれど、そんな悲劇はこの世界では、どこにでもある、実にありふれた話なのだ。
「自分の怒り、悲しみ、絶望……それを人に、押し付けていいワケがない」
魔王に選ばれただけの、温い人生か。
ネロ、お前には俺がそう見えるのだろう。
だが俺だって、一番大切なモノを失わなかったというだけで、色んなモノを失い、犠牲を積み重ねてきた。
故郷、日本。もう二度と会えないだろう、本当の家族。あるはずだった、平穏な人生。
拉致監禁も同然の地獄を脱出し、ようやくこの世界での居場所を見つけても、全て灰燼に帰した。必死で抗っても、圧倒的な力を前にあざ笑うように蹂躙されただけ。
逃げ場などない。お前らがいるから。だから力を求めた、魔王の導きに従って。
その果てに、ようやく俺は辿り着いたんだ。
今この場所に。使徒を倒すために。
「お前が使徒になったせいで、それだけの悲劇が生まれた。どれほど犠牲を重ねた」
「知るかよ、そんなこと……弱ぇ奴からくたばる、そんだけの話だろうが……」
「一国の君主が、自然の摂理を言い訳にするなよ」
弱肉強食。適者生存。確かにそれは、この世の真理の一つではある。
だがしかし、人はそんな自然の摂理、獣の掟に逆らって、文明社会を築き上げた。
最大多数の最大幸福。ああ、素晴らしきかな民主主義。
自分がどんなに強くても、俺は絶対に御免だね。強さこそが唯一無二の価値となる無法の世界など。
「うるせぇんだよ……誰だろうと、どんな奴だろうと、もう俺の邪魔はさせねぇ――――そのために、手に入れた力だ!」
一際大きくブースターの燐光が爆ぜた、かと思えば、それはそのまま光の翼と化して、ネロは赤い空へと舞い上がる。
面倒だな。どれだけ強さが底上げされようとも、俺には元々、リリィのような飛行能力があるわけではない。脚力だけでどこまでも高く跳べたとしても、自由自在に空を舞うように飛ぶことはできないのだ。
飛行能力の有無で有利を取れるとネロが気づいたかと思って、すぐに俺も対空迎撃の用意を始めたのだが、どうやらそういうつもりではないらしい。
「創世主機・全門解放! 全ての力を俺に貸せぇ、『聖者の鎧』――――戦闘形態起動!!」
『マスターキー認証。戦闘形態承認――――無制約、全ての悪に天罰を、貴方に神のご加護を』
なるほど、『暴君の鎧』の戦闘形態みたいな強化能力を発動させたか。
空中で眩しいほど輝きながら、砕けた装甲も急速に修復されている。
この強化は白き神によるものではなく、『聖者の鎧』の機能。故に、俺にはその強化分が底上げされることはない。
ここに来て、ようやくマシな一手を繰り出してきたネロだが……今更もう遅い。その切り札は、初手で切っておくべきだったな。
お前はあまりにも使徒としての力を引き出し過ぎた。お陰で、鎧の強化が決定的な差にならないほど、すでに俺の力も上がってしまっている。
「『魔弾・全弾発射』」
対空迎撃のために作り上げた弾丸を全解放。
一発でデカい熱線を貫くほどの黒き弾丸は、殺意の雨と化して空のネロへと襲い掛かる。
ギィン、ガガァアアアアアアアアアアアアン!!
空中でけたたましい衝撃音をまき散らしながら、ネロはあえなく墜落して行った。
この『全弾発射』は威力も去ることながら、回避の隙間を完全に潰す面制圧できるだけの範囲で放っている。
避けられない以上、防ぐより他なく、結果的にネロには防ぎきるだけの力は無かった。ただそれだけ、ハエ叩きが直撃した羽虫と同じ結果だ。
多少はガードこそしたが、魔弾の威力と数に耐えきれず、奴の古代鎧『聖者の鎧』は砕け散った。
流石に大半の装甲を失ってしまえば、もう修復も出来ないだろう。
「ぐっ、うぅ……ま、まだだ……まだ俺には、神の、力が……」
砕けた鎧の破片を踏みしめて、白いタキシードのような衣装を血に染めたネロが立ち上がる。
とうとう出血を強いられるほどのダメージを負っても、その身にたぎるオーラに陰りはなく、青く染まった瞳は俺への憎悪と殺意に塗れている。
「俺にだけ許された、特別な力があるんだぁっ! 輝け、『烙印王冠』――――全ての力を、俺に寄こせぇええええええええええええええええっ!!」
最後の最後に頼るのが、使徒の『特化能力』か……それも、よりによってこの能力とは、哀れに過ぎていっそ滑稽だ。
血濡れとなったネロの額に浮かぶ聖痕。
それはサフィールが浮かべていたものと同じ模様をしている。
アイツがその場でカイとシャルへ自慢気に説明していたお陰で、その能力はすでに知れている。
使徒の無限の白色魔力を、聖痕を刻んだ配下へと分け与える強化能力。それがネロの特化能力『烙印王冠』だ。
しかし、仲間を強くすることだけが、この力の全てではないだろう。
恐らく、この能力の本当の力は逆……仲間の力を借りて、自分自身を強化するためのものだ。
ネロの額に浮かぶ聖痕がさらなる輝きを放つと共に、その頭上に白い光の王冠が現れる。
あれこそが聖痕から集めた力の結晶。
我こそ使徒の王と言わんばかりに、光り輝く王冠を頭に抱いた瞬間、ネロの身に纏うオーラは倍増し――――
パリィイイン……
直後、光の王冠は儚く砕け散った。
「……は?」
と、間の抜けた声を漏らしたのはネロ自身であった。
まぁ、俺もついそう口にしたくなるほどだったが、こうなることは目に見えていた。
王冠の消失と共に、増大していたはずの力も即座に消え去っている。つまり、ネロは何も変わっていない。
「裸の王様だな」
ネロの『烙印王冠』は配下の誰にでもポンと与えられるモノではないらしい。必要なのはネロ自身の信頼だそうで。
よってコレを授けらる者は非常に限られる。
恐らくは最愛の恋人たるリィンフェルト、アヴァロン最強の竜騎士で腹心のローラン、そして唯一ついてきたパーティメンバーのサフィール。この三人だけ。他にいたとしても、片手で数える程度だろうと推測される。
ネロ、お前は折角、幾らでも仲間と自分を強くできる絶大な力を授かっていたというのに……自らの殻に閉じこもり、狭い身内だけにしか目を向けてこなかったせいで、俺との決闘という大一番において、その能力を不発にするという、取り返しのつかない大失敗をやらかしてしまった。
「な、何故だ……どうして、俺の、王の力が……」
「集めた仲間の力が欠片もないんだ。まだ分からないのか?」
いいや、分かりたくもないのだろう。
こんな残酷な現実を。他でもない、誰よりもこうなることを、失うことを恐れたお前には。
「リィンフェルトは今、死んだ」
すでにサフィールは死に、ローランもリリィが討った。
そして最後に残った恋人、リィンフェルトが今この瞬間に死んだ。
『烙印王冠』を与えた者が全員死んだとなれば、自らに集めるはずの力もない。自分を助け、支えてくれる仲間の力は、もうどこにもありはしないのだ。
「なんで……なんでだぁあああああああ!! ぁああああああああああああああああああああああああああっ!!!」
俺に言われて、ようやく気づいたのか。ネロは狂ったように叫びながら、刀を手に突っ込んでくる。
ヤケクソのような突撃だが、それでも力を高めに高めた使徒であることに変わりはない。特化能力が不発に終わり、古代鎧のブースターも無くなったとしても、地を駆ける脚力は残像を残すほどの超高速。
「なんで俺だけがぁ、こんなことにぃいいい!!」
「うるせぇっ! いつまで甘ったれてんだ、この無責任野郎が!!」
どれほど早くても、ただの直線行動に過ぎない。カウンターの拳を叩き込むなど造作もない。
握った左拳がメキメキとネロの顔面を捉え、突っ込んできた勢いのまま吹っ飛ばす。
「ふっ、ざけやがってぇ……なんでお前だけが強く……クロノぉ、お前が全てを手に入れ、全てを奪うのかよぉ!?」
普通なら首の骨が折れるどころか弾け飛んでるほどのインパクトが加わったにも関わらず、ネロはカウンターパンチ一発くらいでは沈まない。まだまだ元気に、俺へと恨み言を喚いている。
「ふざけてんのはテメぇの方だろうが……俺のことが気にいらねぇのは勝手だがな、ワケ分かんねぇ逆恨みのせいで、使徒なんぞになり下がりやがって」
そしてこの期に及べば、俺も言葉は選ばない。
どうせこれが最期。この場にはほかの誰の目もない。ネロ、俺だってお前に言いたい文句は山ほどあるんだ。
「俺にも国にもパンドラにも、取り返しつかないほどやらかしやがって! 何がネオ・アヴァロンだよ、アホかテメぇは、王子様だろうが! 黙ってりゃあ貰える国で反逆ごっこして滅茶苦茶にした挙句、聖杯同盟に大遠征軍だ。どこまで十字教に味方すりゃあ気が済むんだよ。そんなに白き神の教えは素晴らしかったか? 救われたのか? 失った女の代わりに、リィンフェルトを抱いてりゃあテメェは満足だったのか、ああぁ!?」
尚も感情のままに襲い掛かって来るネロに、俺は思っていたことをありったけ叫びながら、拳も蹴りもくれてやる。
最早、喧嘩の仕方も忘れたか。ロクに回避も防御もとれず、直撃を許すネロはオーラの守りがあってもズタボロとなってゆく。
こっちも同じだけの力を注がれているのだから、どれほど使徒として強くなろうが、そう長く耐えられるものではない。
「俺は、間違ってねぇ……力がいるんだ……最強の力が……全てを守る、力が……」
「守りてぇのは、お前のくだらねぇプライドだけだろうがっ!!」
ガツン、と音が鳴るような衝撃と共にボディへと強烈に叩き込んだ一撃で、ついにネロの体からオーラが散る。
「お前には力もあった。信頼できる仲間も。アヴァロンの王子という立場も。お前はきっとこのパンドラ大陸で誰よりも恵まれていた……なのに、お前は全てを裏切って道を踏み外した」
再びオーラが漲るよりも前に、倒れ込んだその身に蹴りを食らわせる。
呻き声を上げて、のけ反るように吹き飛ぶネロに、俺の言葉なんぞもう届いてはいないだろう。
それでも言う。所詮はただの八つ当たりなのだから。
「ネロ、お前が魔王になるべきだったんだ。本当に、心の底から全てを守りたいと思ったなら……俺が魔王になんかならずに済んだってのに……お前が、お前がぁっ!!」
お前のせいで、エルロード帝国なんて重いモノを背負う羽目になっちまったじゃねぇか。
何が魔王クロノだよ。帝王学なんざ欠片も知らん、ただの高校生で、こっち来てちょっと強いだけの力を得ただけの俺が、どうしてこうなった。
パンドラを守るというのなら、お前がやれば良かったんだ。ネロが本気でスパーダと協力して、ダイダロスに十字軍を封じ込め続けることができれば、大陸はこんなにも荒れなかったし、俺がエルロード帝国なんて復活させずに済んだ。
お前が打倒十字軍の旗頭となって立ち上がったならば、俺は喜んで協力した。当たり前だ、俺は身元不明の単なる冒険者で、お前は本物の王子様で、魔王ミアの血を引く正統後継者。
ずっと思っていた。今でも思っている。このパンドラで現代の魔王に最も相応しい男はネロだったと。
けれど、そうはならなかった。
運命の悪戯、だなんて陳腐な言葉では片づけられない。俺は背負いきれないモノを背負い込んじまった。
けれど、何よりも一番許せないのは――――
「お前のせいで、何人死んだと思ってやがる!!」
今日の戦争だけで、どれだけの人が死んだのか。
俺の帝国軍だけじゃない。お前が引きつれてきた大遠征軍も。
十万近い大軍勢。元々の隠れ十字教徒で、心から白き神を信仰している奴など極一部に過ぎないだろう。大半の兵士は、ただ人間だから、と差別されない対象だから徴兵されただけの民草に過ぎない。
多少は改宗させて十字教を刷り込んでるところだろうが、命を懸けて戦うほどのモノではない。
ネロが使徒にならなければ、戦場に駆り出されることなどなかった人々だ。
そんな人々を聖戦などと嘯き戦に駆り立て、侵略した先でさらに多くの犠牲を築き上げた。
第十三使徒ネロ。お前は確かに使徒に相応しい、このパンドラの災厄となってしまったのだ。
「今更お前が死んだところで、何かが取り戻せるワケじゃないが……お前は、今ここで死ななければならない」
俺がこの手で殺す。
俺がこの戦いを、終わらせるために。
「お、終われるかよ……この、俺が……こんな、ところでぇ……」
「いいや、もう終わりだ。お前にこの一撃は、防げない」
ゆっくりと、見せつけるように俺は呪いの大鉈を構える。
『絶怨鉈「首断」』、その呪いの刃は、『黒の魔王』の内において最後の進化を遂げていた。
いいや、本当はもっと前に……アヴァロンで第十二使徒マリアベルを斬ったあの時には、進化できていた。
だがそれをしなかったのは、使い手たる俺の力が足りていなかったから。使徒をも殺す呪いの刃を握るための領域に至れなかった。
けれど、今は違う。
この『黒の魔王』で使徒の力に呼応して、人の限界を超えた力を宿すに至った今だからこそ、俺はお前を手に出来る。
「待たせて済まなかったな、相棒――――目覚めろ、『黒乃神凪「無命」』」
俺が身に纏っていた黒きオーラは、全て刃へ。
図らずとも、俺と同じ名を持つに至った彼女は、静かに、導くように、最後の一撃を解き放った。
黒と赤だけの虚しい世界は、勝負がついたことで溶けるように消えて行く。
黒い靄が周囲に立ち込め視界が塞がった、次の瞬間には全てが晴れ上がり、俺達は元の世界へと戻って来る。
「ありがとう。帰ったら、新しいお前を扱う練習をしないとな」
まずは『黒乃神凪「無命」』を影へと仕舞う。俺の戦いはもう終わった。これ以上は彼女の出番などない。
最後の進化を果たしたが、その姿は驚くほどに静かなものだ。
『首断』は刀身に血管のように赤いエーテルラインが脈打ち、俺が握らなくても呪いのオーラを纏っていた。正しく呪いの武器のお手本のように、誰がどう見ても「呪われている」と一瞬で理解できる威圧的な外観をしていた。
しかしこの『無命』は、刃と柄も、全てが黒一色。初めて手にした『辻斬』を黒化した時と同じように、ただ黒く塗りつぶされたような色合い。
刃渡りは『首断』と同じだが、刀身はさらに厚く、広く。まるで黒い墓石のような重厚感だ。あるいは、モノリスのようなと言う方が正確かもしれない。
そうして、俺の手に合わせた握りと化している柄を離せば、『無命』は音もなく影空間へと消えて行った。
「ぐっ、う……あぁ……」
武器を手放す俺の姿に、ネロは何か言いたげに呻き声をあげる。
だがそれは言葉になる前に、血の泡となって口から零れるのみ。
ネロはまだ息がある。だが、虫の息というやつだ。
「つくづく運の良い男だな。家族に看取られて死ねるとは」
「……お兄様」
無傷で立つ俺と、血濡れで倒れたネロ。俺達が戻るのを待っていたかのように、そこに佇んでいたのはネルである。
「無事に戻って、本当に良かった、ネル」
「はい、クロノくんも」
かすり傷一つない、開戦前と同じ綺麗な巫女装束のままのネルを目にして、安堵の息を吐く。
対してネルは、俺へと深々と頭を下げ……それから、変わり果てた兄の姿を、悲し気な瞳で見下ろした。
血の海の中で溺れるように倒れたネロ。その身は上下で真っ二つとなっている。
俺が放った『無命』による横薙ぎの一撃は、いとも容易くネロの胴を両断した。
鋭利な断面からは行き場を失った腸が大きく零れ落ち、鮮血の上にぶちまけられている。無残にして無様な姿で、ネロは生気を失いかけた目で妹の姿を見上げた。
「ネ、ル……」
「はい、私はここにいますよ、お兄様」
まるで病に臥せった兄を案じて、枕元から声をかけているような。
そんなネルの様子に、俺は口を挟むことはしない。
ネルとてよく理解している、もうネロが許されざる大罪人であること。救いはない。あってはならない。家族だからこそ、アヴァロン王族の肉親だからこそ、最もネロの罪を自覚できている。
「た、助けろ……ネル、お前の、加護なら……アリアの、奇跡を……」
「私は、ただ見届けるために、この場へ参ったのです」
命乞いのような台詞を吐くネロへ、ネルは悲痛な表情で、けれど決して目を背けることなく向き合う。
「だから、祈りません。お兄様のためにも、アリアにも」
「ネル、助けて、くれぇ……お前だけが、俺の……」
暗闇の中で、ようやく見つけた光へ向かうように、ネロは手を伸ばすが、それが届くことは無い。
ネルはただ立ち尽くしたままネロを見下ろすのみで、虚空を彷徨うその手を掴むことはしなかった。
「その痛みも苦しみも、罪を贖うには足りないのです。取り戻すことは出来ない、何もかも……だから、もう終わりにしましょう……」
一筋の涙が、ネルの大きな瞳から零れ落ちる。
頬を伝って落ちた涙の雫は、血に塗れても尚、浮かび続けるネロの額の聖痕の上で、弾けて消えた。
「どこだ……何も、見えない……ネル……リン……みんな、どこにいるんだ……」
いよいよネロは、意識すら失おうとしているようだ。もう目の前にいる妹の姿さえ、見えていない。
俺の一撃は、トドメじゃない。単なる後押しみたいなものだった。
うわ言のように曖昧な言葉を呟くネロの体は、指先から真っ白い灰と化してサラサラと崩れ始めた。
最初は右手。俺に斬られても握り続けていた刀も、指そのものが灰となって消えたことで、ついに手放してしまう。
ネロにはミサを遥かに超えるほど使徒の力を引き出す才能はあったが、それでも俺との戦いで限界を迎えた。俺が斬らなくとも、肉体という器が壊れて勝手に死んだだろう。
何もかも捨て去って、白き神の力を求めた結果がこれだ。太陽に近づきすぎて蝋の翼が溶けた、イカロスよりも間抜けな結末。
そんな最期を迎えようとするネロは、何を思ったのか。
「どうして、俺は……こんなところに……来ちまったんだ……」
その言葉を最後に、ネロは頭まで灰となって消滅した。
「馬鹿野郎……後悔するくらいなら、そんな道を選ぶんじゃねぇよ」
求めたモノ、何一つ手に入れることなく、ネロは死んだ。
何かを残すこもとなく、ただ破壊と殺戮をまき散らし、大勢を巻き込んだ大戦を起こして、ただ虚しく死んでいった。