かかと
かかとは突然現れた。
かかとは何も言わずにぼくの足元に現れた。
ぼくはかかとに触れてみた。かかとは何も言わなかった。
かかとはただぼくの足元にいるだけだった。
かかとは日に日に大きくなっていった。
ぼくはかかとをみんなに見せた。
みんなはかかとを興味深く見つめた。指でつついたりやさしくさすったりした。いたくないの、とよく聞かれるが、ぼくは少しもいたくなかった。かかとは何も言わなかった。
ぼくはかかとと話してみようとした。
「ねえ、かかと。どうして何も言わないの」
かかとは何も言わなかった。
ぼくはかかとに話し続けた。うれしかったことや、かなしかったこと。腹が立ったこと、何もできなかったこと。どうしようもないこと、とりとめのないこと。
そうしているうちに、ぼくはかかとにならなんでも話せると思った。
ぼくがなんでも話せる相手はかかとが初めてであった。別れたばかりの彼女にも、母にも、親友にも話せないことはたくさんあった。
ぼくは不思議だった。かかとには話せてしまうのだ。なんでも。
かかとが何も言わないとしても。
かかとと話しているうちに、ぼくはかかとの声を聞きたいと思った。
「ねえ、かかと。どうして何も言わないの」
かかとは黙ったままだ。
ぼくはだんだん腹が立っていた。どうしてかかとは何も言わないんだ。
前からぼくの中で何かがうごめいていた。ついにその何かがかかとに襲いかかった。
ぼくはかかとを知っている限りのことばで罵った。そうして、かかとを殴ったり爪を立てたりして、かかとを傷つけた。かかとから血が出た。ぼくと同じ赤い血だった。
かかとは何も言わなかった。
かかとは初めて見たときよりも大きくなっていた。誰かに切られたような傷跡がある。そこから赤い血が少し流れている。ぼくと同じ赤い血だった。ぼくと、同じ。
そうして、ぼくは思った。
かかとは、何も言えなかったのではないか―
かかとは何も言わなかった。
かかとはただぼくの足元にあった。
かかとは何か言いかけたようにも見えたが、ぼくにはそれが聞こえなかった。