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余命三ヶ月の姑

作者: 采
掲載日:2026/10/24

「あなたね、何なのこの料理の味付けは?」

「何か問題ありましたか? おかあさま」

「あなたにお母さまだなんて、呼ばれる筋合いはないのよ!」


 あるんだな、これが。

 そう思いながら、姑の言葉を右から左に聞き流す。


「あなたね、人の話を聞いてるの?!」

「すみません、ほとんど聞いていませんでした。あんまり参考にならない内容だったので」

「なんですって?!」


 姑の顔がさらに赤くなって、ますます語気が荒くなる。初めて聞くと驚くような圧があるけれど、聞き慣れてしまうとどうということはない。


「それじゃあ私、一旦失礼しますね。私たちの夕食の仕上げが残ってるので。味付けに文句があるなら、あとで息子さんにそう仰ってください」

「ちょっと、まだ話は終わってないのよ!」

「大丈夫です、また後で食器を下げに来ますから。続きはその時にお聞きしますよ」


 姑はまだ何か叫んでいたけれど、私を追ってくることはしない。いや、できないのだ。姑は不治の病に侵されていて、余命三ヶ月を宣告されている。今は自力でベッドから立ち上がることすら難しい。


「ただいま。今日も大丈夫だった……?」


 私の結婚相手は仕事から帰ってくると、いつも真っ先にそう尋ねてくる。


「大丈夫だよ。いつも通り」


 私がそう答えると、結婚相手はほっと胸を撫で下ろす。彼は私の幼馴染で、今は書面上私の夫である。


⬛︎


 幼馴染は、小さい頃からよくモテていた。顔立ちが整っているし、言動もスマート。老若男女みんなに優しく思いやりもあって、時たまみせる天然なところも大人気。加えて実家は裕福で、頭も良くて、足も速くて──幼馴染である私は、よく恋文を託されたりした。


 大人になった彼は変わらず魅力的で、整った顔立ちそのままに身長が伸び、いい学校を出ていいところに就職して、順風満帆そのもの。けれど──彼はこの年にして、恋人というものを作ったことが一度もない。

 それは幼馴染本人に原因があるわけではなく、ただひとえに彼の母親に起因する。


「あなたね、自分があの子にふさわしいと、本当にそう思っているの? 鏡を見たことがあって?」

「あなたがうちに嫁いできたなら、私きっといびってしまうわ。だってあなた、気に入る要素がないんだもの」

「あなたのお父さまのお勤め先、私もよく使っているのよ。困ったわね、あなたがうちの子に色目を使うなら、もう二度と行けなくなっちゃうわ。経営が傾いたりしないといいけれど」

「身の程知らず……この意味くらい、あなたの頭でもわかるかしら?」


 等々、かの姑は数々の暴言と策略をもって息子の恋路を邪魔してきた。母親の権を使って周囲からできる限り女を排除し、少しでも女が寄ってきたなら徹底的に叩き潰す。私は幾度となくその光景をそばで見てきた。


 ではなぜ私は、彼の幼馴染としてそばにいることを許されたのか。結論から言えば、決して許されたわけではない。


「本当、あのお母さまは強烈よね。娘さん、酷いことばかり言われて大丈夫?」

「息子さんがよっぽど大事なんでしょうね! 私も娘が可愛いくって仕方がないから、お気持ちはよくわかります」


 私の母は、私の友人母とそんな会話をよくしていた。母はどこか抜けていたから、姑の言葉をうまく聞き流すことができたのだろう。普通の家庭であれば娘のために彼の家に怒鳴り込みにいくところ、全く意に介していなかった。


 私は母とは違って、姑の暴言を聞き流すようなことはできなかったけれど。言われれば言われるほどに言い返して、やられればやられるほどやり返した。


「あなたのお母さま、私苦手だわ。全然話が通じないんだもの。あなたから通訳してくれる? うちの子に、あなたの下品な娘を近づけるなって」

「何語で喋ったんですか? 日本語で喋ったなら多分、言葉遣いが間違ってたんだと思います。あとよその子に下品だとか、言っちゃいけないんですよ。そんなことを言うなんて、とっても下品」


「変な手紙を取り継ぐの、迷惑だからやめてくれる? 幼いうちは共学でもいいと思ったのが大間違いだったわ。うちの子にふさわしい子が、あんな学校にいるわけがないのに」

「あんな学校って、息子さんも通われてる学校ですよ。息子さん、そんな程度の低い学校に通ってるんですか?」


「うちの子はとっても出来る子なの。だからあなたみたいな子は、隣に立たってはいけないのよ」

「でも、向こうから誘われたんですよ? 出来る子だから、あなたより見る目もあるんでしょうね」


 言い返す度に姑も言い返してきたけれど、個人的に負けたことはないつもりだ。

 そんな私の性格をもって、彼の周りから女の子がいなくなっていけども、私は彼からあえて離れようとは思わなかった。もちろん姑とのやりとりは煩わしかったけれども、幼馴染自身に非はないのだし、彼との距離を作ってしまうと、姑に負けた気がして嫌だったのだ。


 幼馴染のことは、嫌いではなかった。あの姑とやりあえるのは私くらいなものだという自負もあったし、周囲からもそう扱われていたと思う。

 それでも、幼馴染はその状況を良しとはしなかったのだ。


「ごめんな、いつも辛い思いをさせて。母さんには何度も何度も言っているんだけど、どうにもあの性格を直すのは無理らしい。君に辛い思いをさせるのは、本意じゃないんだ。君を守りきれなくて、ごめん」


 そう言ってある時、彼は私から距離を置いた。

 幼馴染が母親のためにしなくていい苦労をしてきたことは、よく知っていた。母親のために傷ついた周りに対し、彼が心を痛めていたことも、彼なりのフォローをしていたことも。そして実の母を捨てられるほど、彼が非情ではないことも。


 私がそばにいることで、周りまわって彼が辛くなってしまうなら、私は彼の判断に従おう。私は彼を憎からず思っていて、おそらく向こうもそうだったけれど、関係性を変えられるほどの強い気持ちは、お互い持つことはできなかった。


 会わなくなってからも、彼のことは度々思い出した。あの凶悪な姑すら気にいるような、非の打ち所のない素敵な人と出会っているかもしれない──そんなことを考えたりして。

 私は私でそれなりの出会いはあれど、彼以上の人がそうそういるはずもなく、一人慎ましく生きていた。


「久しぶり、元気してる? 突然で申し訳ないんだけど、少し会って話せたらありがたい」


 幼馴染からそんな連絡が来たのは、本当に突然のことだった。何事かと思い会ってみると、想像通り格好良く成長した彼が現れて、まずもって驚いた。

 そして彼の母が不治の病に冒されていることを聞き、あの人は病魔にすら嫌われると思っていたものだから、さらに私は驚いた。


「今までしてきたことが、自分に返ってきたんだと思う。知っての通り父さんが逝ってから、母さんはやりたい放題だっただろ? 君にも迷惑をたくさんかけて、あの頃は本当に申し訳なかった」

「ううん……もう、本当に治らないの?」

「医者も匙を投げてる。母さんも自分の身体のことはよくわかってるみたいで、受け入れてるみたいだよ」

「そう、なんだ──……」


 私この時、姑よりも幼馴染のことが心配だった。早くに父親を亡くしているから、母親までともなれば、彼は天涯孤独になってしまう。あんな人だけれど、幼馴染にとってはただ一人の母親に違いない。

 けれど私の態度を、幼馴染はいいように解釈したらしい。


「相変わらず君は優しいな。あんなに酷いことをたくさん言った人に対して、そんな心配そうな顔をするなんて」

「え、うん……そりゃあだって……あなたの母親なんだから」

「…………こんなことを言える立場ではないし、断られる前提で言わせて欲しい。俺と、結婚してくれないだろうか」

「えっ……?!」


 突然のプロポーズに、それはもちろん驚いた。


「結婚相手を見るまでは死ねない──……余命を聞いてからというもの、母さんは毎日のようにそう言うんだ。息子を結婚から遠ざけていたのは自分だっていうのに。もう恋人も結婚も諦めてたもんだから女っ気なんてないし、付け焼き刃の婚活も全滅」


 姑以外好条件の彼が、婚活で全滅するだろうか? 姑が手を回したんじゃ……そんな考えが頭をよぎる。


「俺、母さんが思ってるほど価値のある人間じゃないだろ? 今までに何人もの人を傷つけてきたわけだし、今更結婚しようと思ったってできるわけがない。君に不愉快な思いをさせて、本当に申し訳ない。でもその……こっぴどく振られたとなれば、母さんも諦めがつくと思ったんだ。自分の息子は人を選ぶ立場ではないし、選ばれもしないんだってことを」


 あの姑さえいなければ、幼馴染は選び放題の立場に間違いはない。置かれていた環境によって、彼の自己評価はひどく下がってしまっている。


「結婚して、心残りなくお母さんに逝って欲しい気持ちもあるんでしょ」

「母さんが改心して、障りのない結婚ができるならもちろんそれは理想だよ。でも、それは無理なことだし──……」

「プロポーズ、受けるよ」

「えっ?!」


 彼は、プロポーズされた時の私以上に驚いていた。


「で、でも俺と結婚したら、母さんが姑に──……」

「知ってるよ、そんなこと」

「散々酷いことをしたのに──……」

「あなたにされたわけじゃないもの」


 幼馴染は私の手を握って、きれいな目を輝かせる。


「プロポーズを受けてくれるなら、すっごく嬉しい! たとえ母さんが逝ってしまうまでの三ヶ月であっても、君と結婚できるなら願ってもないよ」

「三ヶ月?」

「母さんを安心させるために、情けで結婚してくれるんだろ? それでも、俺は十分嬉しいよ。結婚なんて一生諦めてたからさ。もちろん君が嫌がることはしないし、お礼だってできる限りする。あっ、しまった! 絶対断られると思ってたから、指輪も何にも用意してないんだ……ごめん、すぐ用意するからっ……!」


 久しぶりに幼馴染の天然ぶりに当てられて、思わず笑いがこぼれてしまう。

 そういうことじゃないよ、と言ったところで、幼馴染は納得しないだろう。私が気を使っているのだと思い込む。自分が優しい人だから、他人もそうだと思っているのだ。

 でもまあ、三ヶ月の結婚生活も悪くはない。人助けだと思えば、私たちの関係性を変えることに抵抗もない。


 ある意味姑のおかげでこうして幼馴染と再会し、まさかの結婚することになるとは。姑に感謝の気持ちが湧くところだったけれど、そもそも私たちが離れたのはあの人のせいなので、感謝するのもお門違いだ。私はすぐに、感謝の念を打ち消した。


 そんなこんなで結婚した私たちだったけれど、もちろん姑は荒れに荒れた。自分から結婚をせっついたそうだけれど、とてもそうは思えないほどに。

 けれど姑は目に見えて痩せていたし、やはり以前ほどの勢いは感じられなくなっていた。言葉尻は強いけれど、今にも飛びかかってきそうな、地獄の果てまでも追いかけてきそうな、あの圧はやや控えめになっていた。


「どんな素敵なお嬢さんを連れてきてくれるのかと思っていたら、まさかあなただなんて……あなたの顔を見なくてすんだ間は、それはもう快適だったのに」

「でもおかあさん、その間に病気をされたんですよね? 私がいなかったから、張り合いが無くなっちゃってたんじゃないですか?」

「そんなわけないじゃないの! だいたいなんなのよ、その派手な髪の色は。似合っていないし、我が家にもふさわしくないわ」

「あら、そうですか?」


 翌日、私は髪をシルバーに染めた。


「な、なんなのその色は!」

「おかあさんの髪色を真似してみたんです。これならこの家にふさわしいかなと」

「私、そんな変な色じゃないわよ!」

「え、そうですか? おかあさん、けっこう白髪が増えて……あ、自分ではわからないかな。鏡持ってきましょうか? それとも老眼鏡のがいいかな」

「なんって失礼な娘なのかしら! 早くその髪色をどうにかしてきなさい!」


 わりときれいな色で気に入ったので、私はシルバーヘアーをしばらく楽しんだ。


「あなたが嫁いできてから、どうにも埃っぽくていけないわ。きちんとお掃除ができていないのね」

「おかあさんは綺麗好きですもんね。いつもどうやってされてたんですか?」

「いいこと、機械に頼ってばかりでは駄目よ。箒とちりとりと雑巾、それからハタキとブラシ、まずは道具をしっかり用意して、一箇所一箇所丁寧に掃除していくの。私はここで見ていますからね、手を抜いたらすぐわかるわよ」

「でも私、道具の場所もやり方もわかりません。お母さんがお手本を見せてくれませんか? 私、ここで見学させてもらいます。手を抜いたらすぐわかりますから、いつも通り丁寧にお願いしますね」


 言い返す度、姑は怒髪天のごとくお怒りになる。病人であるから私ももちろん、本当に掃除を任せたりはしない。私も鬼ではないのだから、衣食住の不便はさせていないし、できる限り姑の看病をしているつもりだ。


⬛︎


 姑の部屋へ行くと、空になった食器が置かれていた。味付けに対する文句をひととおり聞き流しながら、お皿をまとめる。


 結婚したばかりの時は、毎食ごとに作った食事を捨てられたものだ。幼馴染が姑を粛々と叱りつけてくれたけれど、私もそれなりに落ち込んだ。気丈に振る舞ってはいたけれど、家事がおろそかになるくらいにはショックを受けていたらしい。

 私はついつい、捨てられた食事を再度盛り直して、翌日の姑の食事として運んでしまった。もちろんそれも捨てられたけれど、ついつい何度か繰り返してしまったものだ。


 あまりに味付けの文句が多いので、何の味付けもせずに出したこともある。反対に多種多様な調味料を揃えて、姑の部屋に並べておいたこともある。お好きなものをお好きなだけどうぞ、と。うっかり姑の嫌いな香りのきついスパイスが多くなってしまったけれど。


 今ではだいぶお小言も落ち着いて、こうして全部食べてくれるようになった。私は私で姑の好みがだんだんわかってきたし、姑は姑で毎度幼馴染に怒られるのが嫌になったのだろう。


 幼馴染は、姑には関わらなくていいと言ってくれる。食事も身の回りのことも彼がするし、仕事で手が回らない時は外注するからと。

 ありがたい申し出ではあったけれど、なぜだか私は納得できなかった。なぜと言われると難しいけれど、やっぱり負けた気がして悔しかったのかもしれない。幼馴染の人生を捻じ曲げた姑に対し、かすかな復讐心もあったのかもしれない。あの姑をやりこめて、少しでも溜飲を下げたいという。


「……これで678勝目かな」


 空いたお皿を見ながら何気なく呟くと、姑は耳ざとくそれを聞き咎めた。


「なんですって? 678勝?」

「あ、ごめんなさい。なんでもありません」

「違うわよ、あなたの742敗目でしょう」


 姑の言葉に、むっとして言い返す。


「違います、これはおかあさまの678回目の敗北です! だって、私が作った料理をきれいに食べてくれたんですから」

「いいえ、あなたの742回目の負けでしょう。私好みの味付けを作らざるを得なかったんですから!」

「そもそも戦歴が違います。今まで678回しか衝突していませんから」

「あら、あなた数も数えられないのね」

「おかあさまこそ、とうとう記憶が怪しくなってきたのでは?」


 私たちが言い合っていると、幼馴染が慌てて部屋に止めにくる。


「だから、俺がやるって言ってるのに」

「いいの、私にやらせて。今日はこれで679勝したところだから。勝ち越しのままでいたいの」

「残念ね、あなたが勝ち越したことなんて一度もないわ。今日で742敗0勝よ」

「……二人とも、いったい何の話をしてるんだ?」


 一人話についていけていない幼馴染を残して、私たちは再び言い争う。

 それにしても姑も勝敗を数えていたとは驚きである。私のほうが、正しく数えているけれど。


◼️


 ある時、珍しく姑が私に贈り物があると言った。今まで贈られたものといえば、私の嫌いな甘すぎるチョコレートの詰め合わせくらいだ。


「あそこに入ってるのは、私が嫁いで来た時に仕立てた着物たちよ。有名な作家もので、生地も一等品なの。もちろん帯も」


 姑は、部屋にある大きな箪笥を指した。たしかに元気な頃、姑はよく立派な着物を着ていた。着道楽だったのだ。


「……ここにある着物をくださるんですか?」

「違うわ。あなたに管理を任せてあげる、って言ってるの。こんな上等な着物、触ったことなんてないでしょう? いずれあの子がもっと立派な娘さんと結ばれて、跡継ぎに恵まれる時がくるわ。そうなったら、あなたはきちんと身を引くのよ。その時までこの着物をしっかり管理してちょうだい。虫食いやシミができたりなんてしたら、承知しませんからね」


 これはいつもの姑らしくない言葉だ。常であれば、私物を私に触らせたりなどしないだろう。私も姑に私物を触られたくはないし、何をされるかわかったものではないので、この家に持ってきた貴重品は全部鍵のかかる棚にしまっているくらいだ。


 ふと姑の手に目をやると、嫁いだ頃よりさらに細くなり、骨と血管が浮き立っている。食事の全体的な量も減ってきていた。

 なんだか毒気を抜かれてしまって、言葉を返す気力がなくなってしまう。


「着物のお手入れの方法、教えてくれます?」

「あなた、そんなことも知らないのね。いいこと、着物はとっても繊細だから──……」


 私は勝利のカウンターを回すことなく、初めて真面目に姑の話に耳を傾けた。


「はあ……全く、なんであの子はあなたみたいに物知らずな子を選んじゃったのかしら」

「おかあさまの思う理想のお嫁さんって、どんな子なんですか?」

「そうねえ。とりあえずあなたよりも美人で気が利いて、きちんとしたお家の出で、自立できる収入も必要ね。あの子と釣り合うくらいの学もないと。それから何より夫の母を大切にできる子がいいわね」


 姑の返答を聞いて、私は思わず笑い出してしまった。姑は、笑う私を見て怒り出す。


「何がおかしいのよ?!」


 おかしいったらない。そんな立派な娘さんは、こんな姑がいる家に嫁ぐわけがない。


⬛︎


 幼馴染と結婚してから、幾度となく姑とやり合った。私の戦歴は776勝となり、あと1勝でトリプルセブン……だったのだけれど。


 ある朝食事を持っていくと、姑はベッドに横たわったまま、身体が冷たくなっていた。いつかはこの日がくるのだとわかってはいたけれど、それは思っていたよりも早く、そして突然のことだった。


 淡々とお通夜とお葬式を済ませて、私と幼馴染は姑の菩提を弔った。腐っても名家の奥さまである姑の式はとても立派だったけれど、日頃の行いもあり参列者はとても少なかった。

 いつぞやに管理を任された着物の中でも、特に姑がお気に入りだったものを棺に入れる。高価な着物ではあるけれど姑のことだから、どこぞの娘に着られるくらいなら、一緒に燃えてしまったほうが嬉しいはずだ。


「なんだか、肩の力が抜けちゃったよ」


 幼馴染は、姑の遺影と遺灰を前にそう言った。彼の気持ちを推しはかることは難しい。天涯孤独になってしまった寂しさ、実母を失った悲しみ、それともやっかいな毒母から解放された安堵感もあるのだろうか。


「今まで色々と、ありがとうな。本当に救われた」


 そして幼馴染は、一枚の紙を取り出した。


「離婚届、書いたんだ」


 そう、私たちの結婚生活は三ヶ月だけの約束だった。姑が亡くなるまでの、三ヶ月間。


「君のおかげで、この三ヶ月とても楽しかった。昔に戻ったみたいで……あんな母さんにも気を遣ってくれて、身の回りのことまでしてくれて、どうお礼をしていいかわからない。財産分与もするし、お礼をかねて慰謝料も好きなだけ払う。でも、ただその……」


 幼馴染は、もう一枚の紙を取り出す。


「その、俺はやっぱり君が好きだ。一緒に暮らしてみて、改めて思う。もう一度チャンスがもらえるなら、俺は君と結婚したい──まずはその、結婚前提のお付き合いをしてもらえたら──……」


 私は幼馴染の言葉を遮って、一枚目の紙を破り捨てた。幼馴染の目に、困惑と期待が浮かぶ。けれど続けて二枚目の紙を破り捨てると、その期待が失われていった。


「ごめん、そうだよな……都合のいいことばっかり言って、悪かった」

「何言ってるの。私たち、今結婚してるんだよ?」

「え?」

「私も、あなたが好き。別に、離婚する必要なんてないじゃない。まして再婚する必要も。このまま、一緒にいたらそれで」


 幼馴染は私の言葉を聞くと、初めて合点がいったような顔をした。一度離婚しなければ禊にはならないとでも、思っていたのだろうか。それとも持ち前の天然ぶりを発揮したのだろうか。


 本当に、どうしてあの姑からこんな素敵な彼が産まれたのだろう。

 けれどもしも姑があの姑でなければ、私は彼と結婚はしなかった。いや、できていなかった。幼馴染には姑の言うような、理想的なお嬢さんこそふさわしいのだから。


 私はそっと、姑の菩提に手を合わせる。


 心の中で私は、姑に対し初めて負けを認めた。こんな魅力的な人が息子だなんて、その点においてだけは負けました。姑が逝ってしまったからこそ、素直に言える。やっぱり私も、彼が好きだ。一緒に暮らしてみて、心からそう思えた。


 776勝1敗。


 姑がいなくなった幼馴染は、これからたくさん狙われるだろう。私という妻があろうとも、それを飛び越えてあまりある魅力が彼にはある。


 でももう、これ以上は負けてなるものか。戦うことなら、姑相手に慣れている。私には寸足らずなあの着物たちを、姑が言うようにどこぞの娘さんに明け渡す気はさらさらない。いつか私たちの間に娘ができるか、もしくは息子ができて可愛いお嫁さんを連れてくるまで、私が責任持って管理しよう。


 幼馴染、もとい夫の手をとって、姑に嫌味をかねた報告をする。

 私たち、改めて夫婦になりました。お義母さんのおかげです。


 これで、777勝1敗。あちらで姑も、勝利カウンターを回しているだろうか。

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