表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
婚約破棄されたので辺境で好きに生きます〜なぜか辺境伯に溺愛されていますが〜  作者: きなこ
第1章「堕ちた令嬢と辺境の扉」

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

1/35

第1話「その日、前世の記憶が蘇った」

はじめまして。お読みいただきありがとうございます。


婚約破棄された公爵令嬢が辺境で第二の人生を歩む物語です。

ざまぁ・溺愛・ハッピーエンド確約。安心してお読みください。

----------------------------

3/8

修正版投稿


毎日更新予定です。

ブックマーク・評価・感想いただけると大変励みになります。

第1話「その日、前世の記憶が蘇った」


 死んだ、と思った。


 白い明かりに照らされた天井。積み上がった書類。デスクに突っ伏したまま、二度と目を覚まさなかった自分のことを。


 それが誰かの記憶だと気づくまで、少し時間がかかった。



 全ての始まりは、高熱だった。


 18歳の誕生日、その前夜のことだ。


 わたくしは布団の中で、体が燃えるような熱に浮かされていた。


 額に冷たい手ぬぐいを当てようとするヨハンナの声も、遠くに聞こえる。


「お嬢様、しっかりなさいませ」


 ヨハンナの声は聞こえている。


 でも、瞼が重くて開けられない。


 意識が、引っ張られていく。


 深い、深い、暗い場所へ……。



 気づいたときには、洪水だった。


 見知らぬ光景が、次々と溢れ出す。


 白い明かりに満ちた天井。


 夜中の事務所。


 画面の光だけを頼りに、キーボードを叩き続ける細い指。


 朝の混雑の中、人波に押しつけられて息もできない通勤の日々。


 「もう少し頑張れば終わるから」と言い聞かせながら、また残業する夜。


 そして——。


 ふと気づいたら、誰もいない事務所のデスクで、ぱたりと。


 ……26歳で、過労死した。



 ぱちり、と目が開いた。


 天蓋付きのベッドと、柔らかなシーツ。窓の外には星空が広がっている。


 これはわたくしの部屋だ。


 ヴァルトシュタイン公爵家の、エリナ・フォン・ヴァルトシュタインの部屋。


 ……わたくしは「エリナ」であると同時に、かつて日本のどこかで働いて死んだ、名もないOLだった。


(あー……。これが「前世の記憶」ってやつ、か)


 頭の中が、二重になっている感覚。


 「エリナ」としての18年間の記憶と、「前世」の26年間の記憶が、ぐちゃぐちゃに混ざり合って——でも、どちらも確かに「自分」のものだった。



「お嬢様! お目覚めですか!?」


 ヨハンナが飛び込んできた。


 白髪交じりの髪をきっちりとまとめた、がっしりした体格の女性。


 その茶色の瞳が、心底ほっとした光を宿している。


「……ヨハンナ」


「よかった。熱が三日も続いておりましたから、本当に心配いたしました」


 三日。


(三日も寝てたの。そういえば体が重い……)


「お水を」とわたくしは言った。


 ヨハンナが素早くグラスを差し出す。


 飲み干すと、少し頭がはっきりしてきた。



 ヨハンナがお茶の準備を始めながら、そっと聞いてくる。


「……何か、悪い夢でも? 夢の中でうなされているご様子でしたから」


 悪い夢。


 そうとも言えるし、そうでないとも言える。


「少し、不思議な夢を見ましたわ」


 わたくしは、正直にそれだけ言った。


 ヨハンナは「そうでございますか」と静かに微笑んで、それ以上は聞かなかった。


 この人の、この聞き分けのよさがとても好きだ。


(……好きだ、か。以前のわたしには、こんなに気を遣ってくれる人はいなかったな)



 ヨハンナが差し出したのは、温かいカモミールティーだった。


 少し甘い、柔らかな香り。


「お嬢様がお熱のときは、いつもこれでございますよ」


「……ありがとう」


 カップを両手で包み込んで、ゆっくりと口をつける。


 じわ、と体の内側から温もりが広がっていく。


 気がつくと、わたくしの目に、じんわりと熱いものが浮かんでいた。


(あれ。泣きそう)


 なんで泣きそうなんだろう。


 前世では、誰かにこうして心配してもらったことなんて、ほとんどなかったから。


 熱を出しても、一人で薬を買って、一人で飲んで、次の朝また出社して。


 それが当たり前だと思っていた。


(……次はそういう生き方をしなくてよかったのかも。いや、もう十分したか)



 お茶が半分空になった頃、わたくしは、ゆっくりと記憶を整理し始めた。


 前世の自分が残してくれたものは何か。


 数字を読む勘と、交渉の感覚。そして「なんとかなる」というしぶとい精神力。


 それから——一人で抱え込みすぎた、という教訓。


(あの轍は、踏まないようにしよう)


 心の中で、静かにそう決めた。



 今世のエリナの記憶も、改めて確認していく。


 ヴァルトシュタイン公爵家の令嬢として、18年間を過ごしてきた。


 王立学院に通い、礼儀作法を学び、社交界にデビューして。


 そして——王国第二王子、アルフレート・フォン・ルヴェンタールの婚約者として、今日まで生きてきた。


(婚約者ねぇ……)


 ちなみに、王子の対極にいるのが北の辺境伯らしい。武骨で無口で、宮廷行事にも滅多に顔を出さない変わり者だとか。社交界では「辺境の熊」と呼ばれていると聞いたことがある。


 好意があるかといえば……あまりなかった、というのが正直なところだ。


 王子は確かに顔が整っている。けれど、人の話を聞かないし、自分が正しいと思ったら誰の意見も耳に入らない。


(味方の言葉に耳を貸さない人は、いずれ足元を掬われる)



 記憶を整理しながら、窓の外を見る。


 夜空に星が広がっている。


 冷たく、澄んだ、秋の空気。


 この世界に生まれて18年。


 今夜、前世の記憶とともに、もう一度「生まれ直した」気持ちがした。


(今度こそ。ちゃんと生きよう。誰かのためだけじゃなく——自分のために、ちゃんと)


 それがどんな形になるのかは、まだわからない。でも、わたくしの中にある力は、ここでも使えるはずだ。



「ヨハンナ」


「はい、お嬢様」


「お茶、とても美味しかったわ。ありがとう」


 ヨハンナが、ふわりと表情をほどく。


「もう一杯、いかがでございますか」


「ええ、お願いしますわ」


 わたくしは、もう一度カップを両手で包み込んだ。


 かつてのわたしには、こんな穏やかな夜があっただろうか。


 誰かが淹れてくれたお茶を、感謝しながら飲む夜が。


(なかったかもな。……でも、今はある)


 それだけで、少し、泣きそうになってしまうのが、われながらみっともないと思う。



 やがて、ふと気づいた。


 明日のことを。


 二杯目のお茶を飲みながら、わたくしは静かに呟いた。


「……そういえば明日は、秋の収穫大舞踏会ですわね」


 ヨハンナの手が、一瞬止まった。


「……はい。お嬢様が万全な状態でいらっしゃるか、少し心配しておりましたが……」


「大丈夫。行けますわ」


 わたくしは微笑んで、窓の外の星空を見た。


 収穫大舞踏会。


 王国で最も格式の高い、秋の大舞踏会。


 国王・王妃も出席する、年に一度の晴れ舞台。


 そして——あの王子と踊らなければならない日。


(あの王子と、か。……最近、やけにメリア嬢に入れ込んでいるとは聞いていたけれど)


 そういえば。


 社交界では、わたくしのことを"冷徹な令嬢"と呼ぶ人がいるらしい。


 笑顔が少なくて、感情を表に出さなくて——何を考えているかわからない、と。


(……"悪役"みたいな評判だな、わたくし)


 自分で思っても、少し笑えた。


 胸の奥で、勘がひっそりと動いた。


 こういう構図には覚えがある。誰かに入れ込んで、周りが見えなくなって——だいたい、ろくなことにならないパターンだ。


 ——まあ。


 なったところで、なんとかなる。


(転んでもただでは起きない。それが、わたしの生き方ですから)


 お茶の最後の一口を飲み干して、わたくしはゆっくりと目を閉じた。


 明日のことは、明日考えればいい。


 今夜は——ちゃんと眠れそうだった。



 カモミールの香りが、部屋にやわらかく漂っていた。


 外では風が鳴っている。


 秋の夜は静かで、少し冷たくて、空気だけがどこか優しかった。


 わたくしは、この世界で、もう一度生き始める。


 今度こそ、ちゃんと。


 ——そして翌日、秋の収穫大舞踏会の会場で、わたくしは知ることになる。


 あの王子が、何を決断したかを。


お読みいただきありがとうございます。


ブックマーク・評価いただけると嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ