◼️第6話(α1)ー黙示録的誤解ーCERN
◼️【Sep.10.2008 – Porking博士(理論物理学者)の手記】
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――まったく、なんという日だろう。
今日、私は裁判所に呼ばれた。訴えの内容は「CERNの大型ハドロン衝突型加速器(LHC)がブラックホールを生み出し、地球を飲み込む危険がある」というものだった。
原告はアメリカとスペインの紳士。しかも彼らは弁護士ではなく自称「科学者」だった。陪審員席の前に座りながら、私は内心でこう呟いた。
「科学的に荒唐無稽な心配で、裁判所まで呼びつけられるとは…。まったく頭が痛い。」
彼らの主張はこうだ。
LHCが生成するブラックホールは、ホーキング放射では消滅せず、地下を移動して質量を吸い込み続け、最終的に地球を破壊するのだと。
……冗談だろう?
私はホーキング放射の式を書き、裁判官に見せた。
「仮にLHCでブラックホールが生成されたとしましょう。その質量はせいぜい10⁻²³キログラム程度。蒸発時間は10⁻²⁶秒。0.0000000000000000000000001秒も存在できない。」
「0.1秒存続するブラックホールを作ろうとすれば?」と裁判官が尋ねた。
「太陽系の全物質を加速器にぶち込んでも足りませんよ」
私はそう答えた。法廷にどっと笑いが起きたが、原告たちは真顔のままだった。
それでも彼らは引かなかった。
「だが、CERNのロゴには666が隠されている! これは黙示録の獣の数字、破滅の暗号に違いない!」
……科学の議論がオカルトに変わる瞬間を、私は目撃した。
私の同僚は天を仰ぎ、ESAの友人は頭を抱え、私は心底疲れ果てた。
結局、裁判は原告却下された。
「信頼できる危険の証拠は存在しない」と判決文は述べた。
だがその後もネットには「CERNが世界を滅ぼす」という動画やポストが溢れ返った。
科学者が1つの方程式で説明できることを、人は数十、数百の噂の塊で押し潰そうとする。
だが、そもそも両者は競ってすらいない。
方程式は“世界を説明する”が、陰謀論は“世界を物語にする”。
そして人は、説明より物語を選ぶ。
研究所に戻るとESAの友人からEメールが届いていた。
「こっちは“宇宙線が人類を洗脳している”事を隠匿していると訴えられた。助けてくれ」
私は携帯を閉じ、深く溜め息をついた。
ブラックホールより厄介なのは、いつだって人間の想像力のほうだ。
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◼️帰宅
息子が帰った私を出迎え一言。
「お父さん、ブラックホール作る研究してるの?」
私は頭を抱えた。
了。




