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18.

「ばあちゃん!」


 病室の扉を勢いよく引いた。ドゴン、と鈍い音を立てて戻って来る滑らかな引き戸。上がる息。心臓がドクドクと脈を打っている。


「なんだい、優斗。皆さんに迷惑だよ」


 六人部屋の窓際右側から、ばあちゃんが俺をたしなめた。


「ばあちゃん、それ、何、大丈夫? どうしたの」


「まずは皆さんに謝りなさい」


 駆け寄る俺に、今度は厳しく言った。こっちはそれどころじゃないってのに。


「すいません、でした」


 肺が酸素を求めてゼイゼイと喘いでいる。


 ベッドの上のばあちゃんは、包帯でぐるぐる巻きにされた足を上げていた。骨折、なのか?


「何が、あったの。美咲に言われて、すぐに来たんだけど」


 思い出したようにどんどん息が上がる。美咲に言われて、チャリを飛ばしてここまで走ってきた。


「皆さん、うちの孫がすいません」


「いいんですよ、それだけ心配なさってたってことでしょう」


 入口左側のおばあちゃんが返事をくれた。他の人は曖昧に笑って頭を下げた。


「そこに椅子あるから、座りな」


 ばあちゃんはベッドの下を指差す。覗いてみると簡単な丸椅子が二脚。引っ張り出して俺は座った。


「なんで、何があったの」


「あんたが買い物に行ってから、ストーブの灯油がないことに気づいてね。引っ越しが近いから古いのは使い切りたかったんで、給油するのに外に出たんだよ」


「後ろの物置? 給油タンク持って?」


「そうさね」


 台所の勝手口を出て、ほんの数メートルの距離だ。


「物置の段差でバランス崩しちまってね。給油タンク持ってたから余計に変な力がかかったんだろう。転んだら動けなくなっちまってね」


「俺が買い物に出てすぐ?」


「日が当たってるうちはよかったんだが、どんどん日が陰っていくと寒くてね。まったく惨めだったよ。年を取るのは仕方ないとわかっていても、こうも無力だとねえ」


「なんで電話しなかったんだよ」


「スマホなんちゃ外出する時しか持ち歩かないからね。近所の人たちはみんな引っ越してったから声を上げても気づかないだろうし、あああたしもいよいよお迎えか。観念するべきかって思ったよ」


「なんで、そんな……」


「ま、優斗はそのうち帰って来るだろうし、騒いでも仕方ないかと思ったら眠くなってね。それでついウトウトしたんさ」


「……」


「そしたら玄関の方で、誰かが呼ぶ声がするじゃないか。あんただったらそんなことしないし、来客だと思ってね、あたしもおーいって呼んだんだよ。そしたら来たのがみーちゃんと美咲ちゃんじゃないか。二人にはびっくりさせちまって悪いことしたよ」


「………」


「お医者様が言うには太ももを骨折してるんだと。最低でも一ヶ月は入院だってさ。うちの後始末を自分でできないなんて情けないけど、……しゃあんめね」


「でも、よかった。一ヶ月入院したらよくなるんだろ」


「ああそうそう、優斗には半年くらいか、ここに来てよくばあちゃんに付き合ってくれたよ。ほら、これ」


 ばあちゃんは枕元の引き出しから茶封筒を取り出して、俺の前に置いた。


「よくやってくれたよ。ここに十万円入ってる。これだけあれば東京にも帰れるし、小遣いにもなるだろ。これで東京帰んな」


「は?」


 ばあちゃんは、何を、言っているのだろう。


「こんな老いぼれの面倒見るのは大変だったろう? ばあちゃんはどうせ入院生活だ。引っ越しのことは人に頼むから、あんたは帰んな。こんな田舎、居てもしょうがないだろ」


「なに、言ってんの?」


「ああそれから、正雄にも美晴にも、ばあちゃんのことは連絡しないでいいからね。どうせ入院してるだけなんだから、来られても困るしね」


「俺、東京なんか、帰んないから」


「何言ってんだい」


「とにかく、俺は東京なんか帰んない! 明日も、明後日も、ばあちゃんの顔見に来るし、着替えとか、そういうのあるだろうし、うちのことも、俺がやるから」


「優斗」


「この金は、生活費としてもらうけど、東京には帰らないから」


 俺はそれだけ言って、封筒を掴んで病室を出た。


 身体は冷えたはずなのに、心臓がまた速くなる。頭の芯の方がじんじんと熱くなる。


『なに、どうしたの』


 病院を出た俺は姉ちゃんに電話をかけていた。


「姉ちゃん、あのさ」


『あんたにしては半年頑張ったんじゃない? よくやってると思うよ。すぐに音を上げると思ったのに全然連絡寄越さないんだから』


「そんなことはどうでもいいんだよ!」


 怒鳴ってしまった。姉ちゃんに怒鳴るなんて。どうかしている。


「ばあちゃんなんだけど、今日庭で転んで骨折したんだ。救急車で運ばれて、最低でも一ヶ月入院するようだって、今病院出てきたんだ」


『え、は? あんたがついていながら、なんでそんなことになってんの』


「俺が買い物に行ってる時に庭で転んだんだよ。俺の知らないうちに、近所の人が救急車呼んでくれて、それで」


『ひとまず、今週末そっち行くわ。ばあちゃん居ないなら、あんたもしょうがないでしょうし、お見舞い行かなくちゃ』


「俺、東京帰んない」


『何言ってんの。あんたが一人でなんとかできるわけないでしょ』


「姉ちゃんこそ、この半年間の俺の、俺とばあちゃんの生活を知らないくせに、勝手に、偉そうなこと言うなよ!」


 姉ちゃんの言葉を遮ってしまった。本当に今日の俺はどうかしている。


「うちの立ち退きだってあと二週間くらいなんだ。近所の人や顔見知りの人たちにお願いすればなんとかなるし、ばあちゃんを置いて東京帰るなんて、そんなことできない」


『あんたに何ができるの? 近所の人? 顔見知り? だって赤の他人でしょ。結局は面倒事だとしか思われないわよ。それなら身内で、週末なんとか都合をつけて私と父さんで』


「ごちゃごちゃうるせえな」


 姉ちゃんにこんなこと言うなんて、俺は今日死ぬのかもしれない。


「身内なんかより、よっぽど親身になって助けてくれる、この町は都会じゃないんだ。田舎だから、みんな家族みたいだし、俺みたいなやつのことだって気にかけてくれる。俺だって、ただここで適当に生きてたわけじゃないんだよ。なんにも知らないくせに勝手なこと言うなよ。どうせ仕事で忙しいんだろ? こっちはこっちでやるから」


『勝手なこと言ってんのはどっち、え』


『優斗、父さんだ。ばあちゃんに、何かあったのか』


 姉ちゃんから父さんに、電話を代わったらしい。


「姉ちゃんには言ったけど、今日庭で転んで救急車で運ばれて、そしたら骨折で最低でも一ヶ月の入院が必要なんだって。でもばあちゃんは、父さんにも叔母さんにも伝えるなって言ってた。心配されたって、見舞いも大変だろうし、こっちは入院してるだけだからって」


『それで、優斗はこっちに帰って来ないのか?』


「ばあちゃん一人置いて帰れるわけないだろ。うちの立ち退きがあと二週間くらいで、その最後も、俺は見届けなくちゃいけないと思うし、引っ越しとかなら、近所の人やばあちゃんと仲が良い人に手伝ってもらえばなんとかなるから」


『もう帰って来て、いいんだぞ?』


「だから帰らないって! 連れ戻しに来たって、車には乗らないからな!」


『そうか、わかった。……週末、父さんだけばあちゃんの見舞いに行くよ。優斗、お前はお前のやりたいようにやってみなさい』


『父さん!』


『さくらのことは気にしなくていい。こうして優斗が話してくれるようになって、父さんは嬉しいよ。ばあちゃんのこと、任せっきりですまんな』


「別に、いいけど」


 急になんだ。なんで父さんに嬉しいとか、言われるんだ。気が弱い父さんしか知らない俺は、ハッキリと言う父さんに面食らった。


『生活費はあるのか? いくらか振り込むか?』


「いいよ。今日ばあちゃんに東京帰れって十万もらったんだ。これで当面の生活費になるし、近所の人たちのお礼とかもここからできるし。……そもそも通帳のカードもないしね」


『わかった。何かあれば、すぐ父さんに連絡しなさい。ばあちゃんのこと、頼んだぞ』


「うん」


 電話が終わる頃、俺はうちに着いた。


 いつもは電気が点いて明るくて、温かいのに、今日は全然違う。


 真っ暗で、冷たくて、ひっそりとしていた。部屋の電気も、家具を持ち出したりも、何一つ変わってないはずなのに、妙に寒々しく、他人行儀に感じた。


 ふと机の上を見ると、小さなタッパーが置かれていた。蓋を開けてみると、中身は肉じゃがだった。美咲が作ってくれた、肉じゃが。


 それを見ただけで、ほんのりと家が温かくなった気がした。俺は顔を拭って、夕食の支度をはじめた。

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