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プロローグ

 小さな手の平が、私のしわくちゃの手の中でゆるゆると動いている。ぺたぺたと地面を踏みしめる足は頼りなく、か弱い。ちょっとのことでぐらりとバランスを崩し、その場にへたり込んでしまう。


 興味を惹かれる何かを見つければその手は緩むし、反対に怖いものや不安を感じると力がこもる。言葉で話すよりももっとはっきりと、その手の平は意志を表している。


 塀の向こうで吼える犬は怖がるのに、塀の上にいる猫には興味を示す。通りを歩く人間には人見知りするのに、好きな車を見ると駆け寄ろうとする。草むらのバッタに心惹かれるのに、実際に捕まえて目の前に差し出すと私の影に隠れる。


「もう少しだからね」


「うん」


 春の日差しの中で、何もない場所だというのに楽しそうにしている孫の顔。何にもまして生命力みなぎるかわいい孫の笑顔。その顔をされるだけで、なんだか私も嬉しくなってくる。


 退屈そうにしていた孫を連れ出した私は、近所まで散歩に出ていた。この子が欲しがるようなゲームやおもちゃは、ここにはない。あるのは自然と、私のような年老いた人間だけだ。都会の喧騒も、絶えず流れ込んでくる刺激も、機械的な臭いも、この子が育った場所に当たり前にあるものはなにもない。


「あっ、たんぽぽ」


 野花を見つけて駆けていく孫の後ろ姿がとても眩しかった。未知の世界であっても、この子は楽しむ術を知っている。


 あちこちガタついて、言うことを聞かなくなってきた身体を動かしながら、なんとか隣へと歩み寄る。


「これね、たんぽぽって、いうんだって」


「きれいだね」


「ようちえんで、ならったの!」


「そうかそうか」


 花を摘んでいくという孫のため、一緒にしゃがんでぷちりと手折る。地面に近付いたことで、野草の青臭さが柔らかく鼻へと届いた。


「いっぱいもっていく!」


 しゃがんだまま、器用にあちこち動き回り、たんぽぽの花束を作り始める。男の子が、こんな遊びをするとは思わなかった。嬉々として集める姿は純粋そのものだ。


 まだしばらくかかるか。


 私は軋んで悲鳴を上げていた膝を解放するべく、そのまま地面へと座り込んだ。尻から伝わる春の生命力の強さ。私も、いつかこうやって走り回っていた日が、確かにあったんだろう。


 遠すぎて掴めもしない記憶に思いを馳せながら、視線は孫から離しはしなかった。この子も、こんなふうに思う日が来るのかもしれない。


 いつの間にそんなに集めたのか、小さな手で掴み切れないくらいの、小さな花束。胸元に抱えている黄色と、青いトレーナーとのコントラストが鮮やかだ。


「ちょっと、もってて」


「たくさんつんだね、もういいんじゃないかい?」


「まだ! もっと、たくさん、もっていくの!」


 頑固なところは誰に似たんだか。私の手に押し付けられた小さな花束を見つめる。私が持つとたちまち陳腐なものに成り代わったような気がしてドキリとする。この野花は孫の手にあるからこそ、美しく見えるのだ。


 こんなふうに何気ないこの瞬間が、こんなにも愛おしいものだとは。孫ができてみるまでわからなかったことだ。


 あの小さな体は、これからどんどん大きくなる。私の背なんかすぐ追い越してしまうだろう。


 あの小さな体は、これからたくさんの経験を積んでいく。私なんか比べ物にならないほど、たくさんのことを体験し、吸収し、考え、挑戦していくだろう。


 あの小さな体は、これからどんな未来の中を歩んでいくのか。きっとどんな未来が待ち受けていても、ちゃんと歩んでいけるに違いない。


 あの子は、これから何者にもなれるのだから。

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