2.「自己紹介が遅れたわ」
家の主の正体は?
「くそ、ここにも感染者が!?」
順は、バットを振り上げた。
「待って! 順!!」
私は慌てて彼を羽交い締めにする。
「止めるな! 愛華!! 彼女はもう手遅れだ!!!」
反射的に、彼がその女性を始末しようとする気持ちはわかる。
なぜなら――
顔の左側は普通の人間だが――
もう半分の顔の右側は……その目、眼球は、深海のような真夜中の闇を思わせる暗い青色、ミッドナイトブルーに染まっていた……
この目の色は、私たちにはよく知られている。
この目の色は、PNウィルスに感染した人間……つまり感染者を意味するからだ。
「離せ! 愛華!!」
「だから待ってって! 順!! 様子がおかしいと思わない? 順なら、気づくでしょ!?」
あの目の色、まぎれもなく、彼女がPNウィルスに感染した証拠だ。
だが、もし、本当に感染者なら不可解な点がある。
「もし、感染者なら……両目が青色に染まっているはずよ! それに、私たちとここまでコミュニケーションが取れるはずがない!」
順はハッとし、振り上げたバットを力が抜けるように少しずつ下ろした。
落ち着いた順を見て、私は彼から離れる。
ここまでの一連の流れを、感染した彼女は黙って見ていた。
やがて、口を開く。
「ありがとう……ひとまずこれでやっと話し合えそうね……」
私も順も、まずはこの人の話を聞いてみようと思った。
「あなたたちが動揺した理由……よぉくわかるわ~~私は確かに感染している」
「でも、感染者ではない……と言えば語弊があるけど、少なくとも理性はある。彼らと違ってね」
淡々と、彼女はそう語った。
「し、失礼ですが、感染してからどれくらい経っていますか?」
順がそう尋ねる。
「およそ二週間は……」
彼女はそう答えた。
二週間。
人間が、PNウィルスに感染した場合、早ければ数分、遅くても一時間以内には、感染者になるはずだ。仮に彼女が、発症がものすごく遅いタイプだったとしても、眼球が青く染まるときは両目同時に染まるはずだ。
両目が青く染まる理由は、PNウィルスの毒素が脳の理性や思考を司る前頭前野の機能を破壊し、やがてその毒素が目に溜まるためとされる。
前頭前野の機能が破壊された人間は、苦しみや痛みを常に感じ、その破壊衝動に支配され暴れ続ける。
そして特に非感染者の人間を見つけると襲う。それはまるで同じ苦しみを私たちにも味わわせるかのように……それは、生前どんな関係であろうと無差別に襲う。たとえそれが愛する人であったとしても……
話がそれたが、二週間も彼女が変わらないなら、彼女は確かに他の感染者とは違うかもしれない。
そしてこの先、理性を失い私たちを襲うこともないかもしれない。まあ、いずれも確証はないけど。
「わかりました。先ほどは軽率な態度をとってすみません。命の恩人に対して、武器を構えるなんて」
「いえ、いいのよ。彼女さん? あなたが恋人を守るための行動だと理解しているわ」
「「い、いや、彼女『コイツ』と付き合っていないし!!」」
「「あ」」
彼女が私たちの関係を勘違いしていたので、慌てて否定した。
しかし、偶然ハモってしまい、彼女は余計に「フフ」と微笑んでしまった!
「自己紹介が遅れたわ……私の名は、深水紗綾。この家に住んでいる者よ」
深水さんは、胸に手を当てながら自己紹介をする。
「あっ、私は、文月愛華です。でっ、こっちが」
「天川順です」
私たちも自己紹介をした。
そう言えば、私たちのことまったく教えていなかったわ。
私、文月愛華。身長162cm。髪型は茶髪のボブ。ちなみに茶髪は染めたのではなく地毛。よく校則であーだこーだ言われたけど。
服装は動きやすさと夏のおしゃれを両立するため、黒いTシャツに上から長袖の白シャツを羽織り、青いデニムを合わせている。
そして天川順。身長170cm。髪型は、黒髪の天然パーマで、黒縁のメガネをかけている。
服装は動きやすさ重視で、全身黒いジャージ。
そのオタクっぽいところと、もう少しオシャレに気をつければモテるかもしれないのに、本人はまったくオシャレに興味がない性格だ。顔も悪くないのにもったいない……いや、順がモテたらモテたでなんだかムカつくけど……
私と順は、感染拡大前、織彦高等学校の一年生として通っていた。
順とは幼馴染というか腐れ縁というか、家が近いこともあり、小中高はずっと同じ学校だった。
中学生までは、一緒に遊ぶ仲だったけど、高校に入ってからはなんだか気まずくなって、順は男友達、私は女友達とつるみ、自然と会話が減っていった。
そういえば、一緒に登校や下校をすることもいつの間にかなくなっていた。
そのまま、私と順の関係もいつの間にか消滅すると思っていたけど、感染拡大が起きてから、奇妙にもまた一緒にいられるようになった。
でも、手放しに喜べない。
なぜなら、感染拡大によって、私の大切な人が亡くなったから……
「文月さんと天川くんね! よろしく!! 実は、もう一人、二人には紹介したい人がいるのよ」
深水さんはニッコリ笑いながらそう言い、奥の扉を開けた。
ダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダ
何かが走る音が響く。嫌な予感がした。
そして、その予感は的中した――。
「い゛い゛い゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛い゛」
「紹介するわ、主人の紘人よ」
奥の扉から出てきたのは、男性の感染者だった。
深水さんは相変わらずニッコリしている。
だが、その感染者はなぜかすぐ近くの深水さんを無視し、私たちに襲い掛かろうとした――
「わああああああああああああああああああ!!」
私は腰が抜けて床に倒れた。
順も驚いていたが、私とは違いバットを構えて反撃の構えを見せる。
そして、感染者と順が衝突しそうな距離で――
「あなた!」
ピタッ!
深水さんが大声で叫ぶと、その感染者は見えない首輪に引っ張られたように動きを止めた。
「フー、フー、フー、フー、フー、フー、フー、フー、フー……」
深呼吸を繰り返す感染者。
両目の青い瞳を私たちに向けながらも、襲う気配はまったくない。
私も順も呆然としたまま、状況を飲み込めずにいた。
「驚かせてごめんなさい。彼が一緒に暮らしている夫よ。名前は、深水紘人。見ての通り、れっきとした感染者だけど、私なら動きを制御できる……」
「あなたたちを襲わないように指示したから、もう大丈夫よ!」
動きを制御できる? 襲わないように指示? 一体どういうこと?
私はますます困惑した。
「愛華……立てるか?」
腰が抜けたままだった私に、順が手を差し伸べる。
私はその手を掴み、なんとか起き上がった。
「もっと聞きたいことはあるでしょう? その前に紅茶を出すから、ゆっくり話を続けましょう」
深水さんはそう言い、私たちを奥へと案内しようとする。
私と順は聞きたいことが山ほどあったが、まずは言う通りにし、感染者の横をゆっくりと素通りしながら奥の扉の先へ進んだ。
愛華と順は奇妙な夫婦に出会った……