異世界万博会場、魔王軍に占拠される
私は馬で疾走している。
目的地は『異世界万博』の会場────。
見えてきたわ。
朝日に照らされた草原の先。
木の柵で囲まれた約500メートル四方の空間。
その北側の入口。
ゴブリン二匹が見張りについているようね。
「とうっ!」
入口前に着くと馬から飛び降りた。
ゴブリンたちが持っている槍を構える。
小鬼とも言われていて成人男子より小さいけれど、私よりは頭一つ大きいわね。
だって私は7歳の幼女なんだもの。
体は。
「何奴!?」
「む? この小娘、もしやクララ姫では!?」
姫だということは服装で一目瞭然かしらね。
プリンセスドレスに肩掛けショール。
金髪の縦ロールツインテールの頭には、ティアラを被ってもいるし。
「その通りですわ。わたくしのことを存じなら、万博の主催者が我がルクレティア王家であることも知っているはずですわね?」
ゴブリンたちが緑色の顔を歪めて笑った。
「知っている」
「お前に恨みを抱いているルクレティア王家の家臣から、万博のことを知らされたのだからな」
「ふん。佞臣どもが糸を引いていましたのね」
私は軽く鼻を鳴らしてゴブリンたちを睨みつけた。
「とにかく────。この万博会場はルクレティア王家の管轄下にありますわ。狼藉は許しません。早々に立ち去りなさい」
「抜かせ!」
「ガキがノコノコと一人でやってくるなど、我ら魔王軍に殺してくれといっているようなもの!」
「魔王軍ですって?」
「そうだ! この会場は魔王軍が占拠済みよ! 死ね!」
ゴブリンの一匹が槍を突き出してきた。
私はひらりと身を翻して躱した。
「なっ!?」
しかもゴブリンのサイドにスライドしている。
右足で槍の柄を蹴り上げた。
前蹴上げ。
膝を伸ばしたまま足を跳ね上げる、空手の基本の蹴り。
右足は自分の頭より高く上がっている。
その状態のまま反対の軸足で跳び上がった。
「きええーい!」
脳天へと右足を打ち下ろす。
踵落とし。
決まった。
ゴブリンが操り人形の糸が切れたかのように崩れ落ちる。
私はそれを尻目に右足を下ろした直後、左方向に跳んだ。
「やあっ!」
左の肘鉄。
「ぐわっ!」
あっけに取られているもう一匹のゴブリンの眉間に直撃させると、仰向けに倒れた。
さきほど蹴り上げた槍が落ちてきて地面に突き刺さったのは、その後だった。
私はゴブリンたちが起き上がって来ないことを確認すると、乗ってきた馬に近づいた。
「異世界万博の会場、魔王軍に占拠されてしまったみたい」
馬の下げた頭を撫でながら語り掛けた。
さて、状況を少し整理すると────。
私は今でこそ7歳の幼女でルクレティア王家の姫クララだけど、元々は平凡なアラフォー日本人女性。
特徴と言えば、『真田海斗』というイケメン俳優の熱烈な推しだったことくらい。
海斗君はドラマや映画で大活躍している上に『劇団海斗』という若手中心の劇団も率いている。
それに音楽ライブだって開催できる多才な人気俳優。
ある日、海斗君が出演した映画ロケ地の遊園地を聖地巡礼で訪れていたのだけど─────。
映画で海斗君が演じていた黒ずくめの男をスマホに表示させて、そのカッコよさに夢中になっていた私は、進行方向が崖になっていることに気付かなかった!
(歩きスマホ! ダメ! ゼッタイ!)
そして崖から転落してしまい────。
目覚めたとき、なんと幼女になっていた!
しかもいる場所は日本ではなく中世ヨーロッパ風の世界。
どうも異世界転生して幼女になってしまったみたい。
私が転生した人物はルクレティア王家の娘、七歳の幼女クララ。
それならお姫様生活を満喫しようと思ったのだけど、良からぬことに気付いてしまった。
王である父は子煩悩で悪い人ではないのだけど、はっきり言って無能。
そして王家に仕える家臣たちは、王をそそのかして自分の私腹を肥やそうとする佞臣がほとんどだった。
佞臣たちは利権を得るためだったり政治資金の横領が容易だったりする政策を進言しているのに、王はあっさりと受け入れてしまう。
だから私は────。
「あらあら~。今献策された案よりも、こうしたほうが政治資金を節約できて国益に適っていますわ~」
というように、王を誘導して政治を正すように仕向けてきた。
幸いなことに子煩悩の王は私の提案を受け入れてくれた。
幼女の言っていることであっても内容的には正しいし、私は王の娘。
佞臣たちは表立って強く反論することはできず、政治はだんだんと良い方向にむかっていった。
でも佞臣たちは密かに刺客を差し向けてきた。
私さえ亡き者にすれば、再び王を操って私腹を肥やすことができると考えたのだろう。
だけど私は襲ってくる刺客たちをことごとく撃退した。
武器など使わずに、素手であっさりと。
スポーツ経験はほぼゼロだったのに、転生時のパラメータ設定エラーなのか身体能力は凄まじかった。
幼女なのにパワーもスピードも成人男子なんて目じゃないくらいのチート級。
そして空手の技をいつの間にか使いこなしていた。
その理由には心あたりがある。
私の推しの海斗君は、小さい頃から空手をやっていて高校生チャンピオンにもなったくらいの凄腕。
海斗君がSNS等にアップしている空手の練習や試合の動画は、一挙手一投足見逃さないように何度も見返した。
だから練習なしで空手を使えたのだろう。
つまり推しの空手。
その空手で刺客たちを撃退し続けて落ち着いたと思った頃、ちょっとした事件があった。
ルクレティア国の城塞都市から三キロほど離れた草原に魔法陣が出現した。
この場所のことだ。
私が様子を見に行くと、魔法陣が輝いてスーツ姿の男女数人が現れた。
その人たちは日本人だった。
最新技術で異世界との往来がある可能になったらしい。
まもなく日本で開催される万博の運営チームらしく、できることなら異世界パビリオン、つまり異世界コーナーの設置を計画しているらしかった。
異世界パビリオンに設置した転移用の魔法陣を通って異世界に来られるようにするので、観客が転移先のこの世界の文化に触れられるよう手を貸して欲しいと。
充分な報酬を提示された上に、何といっても祖国日本の一大イベント。
私は二つ返事で引き受けた。
王である父はいつも通り私の提案を承諾。
ルクレティア国でバックアップすることが決まった。
往来用の魔法陣の位置は動かせないとのことで、あたりを木の柵で囲ってその中に数多くテントを設置することにした。
各テントではこちらの世界各国の見世物や展示を見られるようにする。
つまり日本の万博の中の一パビリオンで、こちらの世界の万博、『異世界万博』が楽しめるという計画。
近隣諸国からの協力も上手く取り付けることができた。
準備は順調に進んで、開催は数日後に迫っていた。
それなのに、今朝になって────。
つい先程、起床して間もない時間、万博会場宿直の兵士数名が城に駆け込んできて『怪物の大軍が押し寄せてきてどうしようも無かったので慌てて逃げてきた』と報告を受けた。
私は馬に乗って会場に駆け付けた。
そして異世界万博の会場が魔王軍に占拠されていることを知った。
「乗せてきてありがとう。速く走ってくれたから疲れていると思うけど、ここは危なくなるかもしれないの。先に帰っていて」
そう馬に語り掛けると、軽く嘶いて城塞都市の方向へと走り出した。
走って行く馬を見つめながら思考を巡らせた。
魔王軍に接触して万博のことを知らせた佞臣がいる。
下手をすると兵士にも佞臣の息が掛かっている可能性がある。
兵士と一緒に戦うと背後から襲われてしまうかもしれない。
そうでなかったとしても犠牲を出したくはないし、一人でなんとかしてみせる。
そう思いながら会場の方に振り返った。
「たとえ魔王軍だろうと邪魔はさせない! 異世界万博の障壁になるものは、推しの海斗君の空手で撃退して差し上げますわ!」
私は万博会場の入口へと歩み出した。