彩美リン
厨房へと戻ると、お風呂上がりの紬の姿があった。
美味しそうな料理が並ぶダイニングテーブルに座り、食べるのを我慢している。
「もしかして、待っててくれたの?」
「だって、一緒に食べたいもん」
「可愛い奴め」
笑みを浮かべた珠景は、紬と向かい合うように座った。
手を合わせた二人は、声を揃えて告げる。
「「いただきます」」
お腹が空いていたのか、紬はすぐに夕飯を食べ始めた。
御神体が生み出す霊力によって生命が維持される為、今の存在になってからは一度も食事をしていない。
八月八日以外はずっと眠っていたので、ご飯を楽しむ機会は訪れなかったのだ。
気になった料理を箸で摘み、珠景は不思議そうに見つめる。
「これは……何?」
「餃子だよ。専用のタレとかポン酢、醤油に付けて食べると美味しい」
「へぇ。じゃあ、タレで食べてみようかな」
小皿に出した専用のタレに餃子の端を付け、そのまま口へと運ぶ。
パリッと音がなると、ジューシーな肉汁と程良い酸味が口の中に広がった。モチモチとした皮と、焦げ目のついた羽のパリパリ食感のバランスが絶妙だ。
「なにこれ、美味しい」
驚きのあまり、珠景の箸を動かす手が止まる。
そんな珠景に構うことなく、紬は食べる手を止めずに夕飯を楽しんでいた。
会話もせずに食事していると、廊下の方から誰かの足音が聞こえて来た。
歩く速さからして、弥栄ではない。
「つむっち、今日も泣いたってマジ?」
厨房に入って来たのは、二十代くらいの女性だった。
透明感のある茶髪をポニーテールにしていて、引き締まった身体と程よく日焼けした肌は、アクティブな印象を与えてくれる。
「……ちょっ、つむっち! お客さん居るなら教えてよ! もう、すっぴんなのにぃ」
珠景の存在に気がついた彼女は、慌てて顔を手で覆い隠した。
しかし、すぐに手を外すと、紬の隣に座って珠景に視線を向ける。
「うわっ! めっちゃ美人」
「えっと、こちらは……珠景姫の魂を宿した精霊さん?」
紬の紹介を受け、珠景は自己紹介を始める。
「妙な出会いから、ここに住むことになりました。年は死んだ時と同じ十七歳で、名前は珠景に改めました。百年分の時代のズレがあるので、色々とご迷惑をおかけするとは思いますが、何卒よろしくお願いします」
珠景が頭を下げると、彼女も軽く頭を下げた。
「……マジ? 亡霊やん」
困惑した様子の彼女の腕をとんとんっと叩き、紬は自己紹介を促す。
「気持ちは分かりますけど、ほら、リンさんも」
「私は彩美リン。民宿の経営管理を行う二十三歳、独身。高校生の弟と一緒に、この民宿でお世話になってる。よろしく!」
彩美家に生まれたリンを見て、ふと思う。
もし、今も長姫制度が続いていたら、この子が長姫になっていたのかな。と。
紬とリン。
二人が自由に生きているのなら、命をかけて終わらせた甲斐が有る。
互いに自己紹介を済ませた後、リンは珠景をじっくりと見つめて、ため息を溢した。
「……んで。なに、この完成度。世界遺産やん」
「珠景さんは綺麗過ぎるので、嫉妬したら負けですよ」
「かもねぇ。毎日この顔を拝めるなら、むしろ幸せと思うべきか」
リンの呟きに、紬は餃子を食べながら頷く。
「ねぇねぇ、『姫ちゃん』って呼んでも良い?」
懐かしい呼び方に、珠景は表情を緩めて頷く。
「なら、私も『リンちゃん』って呼んで良いですか?」
「全然おっけ!」
リンに向けていた視線を、食事を楽しむ紬に向ける。
「紬って呼ぶから、私のことも珠景って呼んで欲しいな」
「分かったぁ」
「じゃあ、紬とリンちゃん。今日からお世話になります」
笑顔で頷く二人を見て、珠景も安堵の表情を浮かべた。
改めて挨拶を済ませた後、お椀を手に取り食事を再開する。
味噌汁は、もう冷めていた。