夢追う球児の夏景色
『奥島高校のピッチャー、大山君に代わりまして、彩美君。九番、ピッチャー彩美君』
エースの名が呼ばれ、三塁側のスタンドは大いに盛り上がる。
「凪ぃ!」
笑顔の花を咲かせ、歓喜の拍手を送った。
凪がマウンドに立つと、近くに居た観客達がざわめき出す。
「あの彩美凪?」
「あぁ……一年の頃に、三年生の夏を台無しにした奴な」
「でも、今プロ注目の選手なんでしょ?」
「無理無理。あいつろくに三振取れねぇもん。この試合は初回で決まったな」
「お手並み拝見といきますかね」
嫌でも聞こえてくる会話に、リンはチッと舌打ちした。
「何様だよ、あいつら」
「大丈夫ですよ、リンさん。今日の凪は絶好調なので」
リンの膝に手をおいて、紬は自信に満ちた声で告げる。
「あの人達、言葉を失いますから」
「……つむっち。そうだねっ。大活躍であいつらを黙らせよう」
リンはニヤリと笑うと、グラウンドに向けて声を張る。
「凪、頼むよ! カッコいい所見せな!」
球審の合図で試合が再開。
凪の夏が始まった。
初球はスロースライダーで空振りを奪い、二球目はインコースにストレート。
そして、三球目。凪が投げたボールは、ストライクゾーンの真ん中へ。
失投を狙うフルスイング。白球が、打者の手元で消えた。
バットは空を切り、ボールは頼のミットに収まる。
空振り三振。
凪の変化球に、スタンドがどよめく。
そして、次の打者からも三振を奪い、仲間が作ったピンチを脱した。
ベンチへと戻る凪に、三塁側スタンドからは、割れんばかりの拍手が送られる。
攻守交代のタイミングで、珠景からメッセージが届いた。
『凪君、凄いね! 実況の人も驚いてたよ』
『カッコ良すぎた』
珠景からカニのスタンプが送られて来たので、一応返信しておく。
『タカアシガニ』
ここで、会話が途切れた。
凪が登板してからは、互いに譲らない投手戦となった。
二回以降も三振の山を築き、相手打線を完璧に抑え込んでいる。
しかし、奥島高校の打線も沈黙。一点も取れないまま、九回の裏を迎えてしまった。
九回の攻撃は、六番の頼から始まる。
凪は無失点。このまま負けるのは、何としても避けたい。
追い込まれても、ファールで粘り続ける。
必死に繋ごうとする頼を見て、春の会話を思い出した。
『――俺は、高校で野球を辞めるよ。 彩美凪の女房役を全うして、あいつを次のステージに送り出す。だから、同じ道は歩めない』
胸が熱くなり、涙が込み上げる。
祈るように手を合わせ、ぎゅっと握りしめた。
「……頑張れ。らいらい」
十球目。
金属バットが、綺麗な音を奏でた。
頼が打ち返した変化球は、遥か遠くへ飛んでいく。
追いかける外野手の頭上を超え、打球はフェンスに直撃した。
二塁ベースに立った頼は、ベンチに向けて拳を突き上げる。
ノーアウト二塁。
チャンスを作った頼に、紬は力強い拍手を送った。
頼の気迫も虚しく、打線は繋がらない。
七番、八番。連続の内野フライ。ツーアウト二塁。
『九番 ピッチャー 彩美君』
打席に入る凪を目に焼き付け、紬は組んだ手をおでこに当てた。
ギュッと目を閉じて、逆転勝利を願う。
試合の様子は、全く分からなくなった。
三塁側のスタンドには、重たい静寂が停滞している。
真っ暗な世界に浮かび上がる努力の結晶。
野球に向き合い、努力を重ねる毎日。
二人の成長する姿を、誰よりも近くで見てきた。
四季の思い出が蘇る。
桜舞う春。一人眺めた朝練の風景。
夏の練習終わり。一緒にアイスを食べながら、日陰で涼んだこともある。
秋には、珠景と一緒に練習試合を観戦して、ルークと出会った。
ひと冬越えて、頼の本音を聞いた春の黄昏。
思い出が途絶えた時、大きな歓声が上がった。
打球音は、聞こえなかった。
リンやルークが、手を叩く様子もない。
恐る恐る目を開けて、現実を確かめる。
歓声が上がっていたのは、一塁側スタンドだった。
電光掲示板の九回裏の枠には『0』と表示されている。
グラウンドに目を向けると、両校の選手が整列していた。
審判の合図で一礼。
互いに歩み寄り握手を交わす。
試合終了。
最後の夏が終わった。
『ご覧のように、2対0で、――高校が勝ちました』
十二個の三振を奪い、最後まで無失点。
凪の好投実らず、奥島高校は初戦敗退となった。
紬の目からも、涙がこぼれ落ちる。
「……つむっち。帰ろっか」
優しい声と共に、リンは背中をさすってくれた。
荷物をまとめた三人は、スタンドを後にする。
バス停に向かう途中、今度はルークは声をかけてくれた。
「ナギは完璧デシタ。このまま成長すれば、プロになれるはずデス」
今日の投球は圧巻だった。
凪の野球人生で、一番の出来だったと思う。
ルークに教わった縦のスライダーを要所で操り、二塁すら踏ませなかった。
うるさい観客達も、序盤から言葉を失っていた。
「試合は負けましたが、ナギは注目されると思いマス。心配はイリマセン」
球場の駐車場まで歩くと、ルークは足を止めた。
「私は車なので、ここでさよならデス」
「今日はありがとうございました。ルークさんもお元気で」
紬は表情を切り替えて、ルークと握手を交わした。
「ナギがプロになったら、また一緒に応援デスネ」
「はい! 楽しみにしてます」
ルークを見送った後、紬はバス停に向かって歩き出す。
コハモを開いてみると、珠景からメッセージが届いていた。
『凪君も頼君も凄かったね! 紬も暑いなか応援お疲れ様! 後でお話聞かせてね』
『暑いので、かき氷とソフトクリーム食べてから帰ります』
バス停に着くと、山から蝉の鳴き声が降り注いでいた。
紬の夏は、まだ終わらない。




