春の便りが届く日
春の淡い夕暮れ時。
紬は一冊の小説を読み終えた。
本を机に置き、畳の上に寝転がる。
美しい茜空のグラデーション。
反転する世界に、高嶺の花を見つけた。
「みかげ、みっけ」
呑気な声で呟くと、珠景はそっと微笑んだ。
そして、紬の近くに腰を下ろす。
「渡したいものがあってさ」
身体を起こし、向き合うように座る。
手渡されたのは、一通の手紙。
「えっと……これは?」
「色歌の手紙」
「色歌さんの手紙? え、私宛だ!」
封筒には、『紬ちゃんへ』と書かれている。
「生前、私や紬にも手紙を書いてくれたみたい」
「今、読んでも良い?」
「うん。ゆっくり読んであげて」
寂しくて切ない。そんな声だった。
珠景は静かに立ち去り、妹だけが残される。
十七年越しに届いた手紙。
封筒を開けてみると、中には便箋と写真が入っていた。
まずは、手紙を読んでみる。
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紬ちゃんへ
ひいばあちゃんの、色歌です。
この手紙を読む紬ちゃんは、何歳になりましたか?
覚えていないと思いますが、私達は会ったことがあるんですよ。一緒に入っている写真は、その時に撮ったものです。要らなかったら、手紙と一緒に捨ててください。
お墓を出て、拾いに行きますね。
六月九日。
念願の曾孫。紬ちゃんが生まれました。
長い人生を振り返っても、あの感動を超える瞬間はありません。
大切な約束を果たせたことで、私の九十七年間は報われたんです。
人生の最後に、花を添えてくれてありがとう。
これまでの私と、これからの紬ちゃん。
一緒に過ごせた時間は、本当に僅かなものでした。
私は赤ん坊の紬ちゃんしか知らないので、将来どんな子に育つか楽しみです。
紬ちゃんは、叶えたい夢がありますか?
もし、素敵な夢に出会えていたのなら。
叶う。叶わない。は考えず、全力で挑戦してください。
誰もが、夢を追える環境で生きている訳では無いですからね。
人生は長いので、幸せな時もあれば、辛い時だってあります。
悩みごとがあれば、私のお墓か仏壇に来てください。
そこに宿る私の魂が、最後まで話を聞きますので。
もちろん、嬉しい報告や、好きな人の話も大歓迎です。時々で良いので、紬ちゃんの顔を見せてくれたら嬉しいです。
深夜から早朝は私も眠っていますが、遠慮なく叩き起こしてください。
多分、罰は当たらないと思います。
最後に、一つだけ。
紬という名前は、私が付けたんですよ。
曾孫が女の子なら、絶対にこの名前を授けたかったんです。
九十七歳の婆さんが「人生最後のお願い」と懇願したので、紬ちゃんの両親も困ったことだと思います。この言い方だと、遺言に他ならないですからね。
それでも、嫌な顔をせずに「良い名前ですね」と笑ってくれました。
見知らぬお婆さんが、あなたの名付け親でごめんね。
そして、これは最初で最後のお願いです。
『神島 紬』 この名前を大切にしてね。
神島 色歌(ひいばあ)
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曾祖母が、生まれたばかりの赤ちゃんに書いた手紙。
十七年の歳月を経て、その想いを受け取ることが出来た。
紬は手紙を置き、封筒から写真を取り出す。
桜がひらりと舞った。
刹那を切り取った世界。
生まれたばかりの紬を、色歌が幸せそうに抱いていた。
この日の記憶は、もう残っていない。
「私と、ひいばあちゃん……」
写真が出会いを証明し、手紙が言葉を伝えてくれた。
先祖の一人という認識が、世界に一人の名付け親へと変わる。
二人の縁は、血の繋がりだけじゃない。
「また会いたいな」
同じ時代を生きた期間は、一年にも満たない。
色歌の人生が終わり、紬の人生が始まった。
きっと、二人の縁を結ぶ為の時間だったのだろう。
「……?」
写真を戻そうとした時、畳の上に桜色を見つけた。
手紙とは別に、もう一枚入っていたらしい。
桜柄の小さな紙を拾い、内容を確かめる。
「――え」
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珠景姫は、元気にしていますか?
この手紙は『珠景姫が帰ってきたら渡して欲しい』と、娘に伝えてあります。
珠景姫と出会っていなければ、そもそも読むことが出来ません。
紬ちゃんと姉さんが、どんな関係性を築けているかは分かりませんが、もし仲良く生活出来ているのなら、お願いがあります。
もう一度、姉さんに生きる道を選ばせてください。
私は『珠景姫の物語』を、悲劇で終わらせたくない。
幸せな未来へ導いてくれた姉さんに、幸せな人生を送って欲しいんです。
今の時代なら、きっと幸せに生きられるから。
私は諦めが悪いので、九十七歳を迎えても、こんなお願いをしてしまいます。
『いつか、姉さんが帰って来る』と、今も本気で信じているんです。
世界の誰よりも、姉さんが大好きなので。
これは、亡き婆さんの戯言です。
意味が分からないと思ったら、破り捨てても構いません。
でも、この想いが届くのなら。
姉さんのこと、よろしくお願いします。
神島 色歌
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もし、この手紙を去年の春に渡されていたら。
色歌の願い虚しく、何も気づけなかったかもしれない。
でも、今なら分かる。
「私が『物語の続き』を紡げば良いんだよね」
あの夏から続く、八月八日のお祈り。
珠景姫が帰ってくる日まで、御神体の信仰を守り続けたい。
その一心で、曾孫に全てを託すと決めたのだろう。
だから、紬の名前に願いを込めた。
「ひいばあちゃん。お手紙ありがとう」
神島紬という名前。大切にするね。
妹から義妹へ。
二人の想いは重なり、一つになって紬に託された――




