珠景姫と紬
「……え……」
ある光景を見てしまい、紬は怯えた声を漏らして立ち尽くす。
一人の少女が、珠景姫が飛び込んだとされる大穴から出てきたのだ。
「……なんで、人が居るの……」
この場所は、神島家の敷地からしか入る事が出来ない。
今日は民宿の宿泊予約も無く、観光客が迷い込んだ可能性も無い。
残された選択肢は一つ。
あの少女が、この土地に縛られた亡霊である事だ。
「……あぁっ」
涙が頬を伝っていく。
目に映る少女が亡霊だと思った途端、急に怖くなった。
その場に座り込んでしまった紬は、抱えた膝に顔を埋めて泣き始める。
泣いたって何も変わらない。それでも今は、ひたすら泣くことしか出来なかった。
風に揺れる木々の葉が、不吉な音色を奏でる。
不安に煽られて、心臓の鼓動も騒ぎ出す。
視界を閉ざした事で、音に対して敏感になったのかもしれない。
早鐘を打つ胸が苦しくなる。
息が詰まりそうだった。
「大丈夫?」
そっと、誰かの手が触れた。
手から伝わる人の温もり。
加速した鼓動と呼吸が、徐々に落ち着きを取り戻していく。
優しさが滲む綺麗な声は、初めて聞いたはずなのに、どこか懐かしい。
顔を上げなくても分かる。
助けに来てくれたのは、あの少女だ。
恐怖を感じていた相手に、今度は安堵に近い感情を抱いてしまう。
「君、お名前は?」
「…… 紬です」
「紬ちゃんかぁ。私は、珠景姫――」
涙で濡れた顔を上げると、一人の少女と目が合った。
容姿端麗なその姿に、紬は思わず見惚れてしまう。
ゴールドベージュに近い綺麗な長髪、透き通るような白い肌、きりっとした大きな瞳、長いまつ毛、可愛らしい唇、整った輪郭。
色気と可愛さを兼ね備えた顔は、国宝級の完成度だった。
「み、珠景姫って……あの『珠景姫』ですか?」
「私が知る限り、一人しかいないはずだよ?」
「つまり…… 珠景姫の……亡霊」
自分で導き出した答えに、紬は怯えた声を漏らす。
「一度死んでいるから、亡霊っていうのも否めないよね」
珠景姫は優しく笑うと、紬の頭を撫でながら話を続けた。
「私はね、御神体の精霊に、魂が宿ったことで生まれた不思議な存在。人の見た目をしてるし、亡霊では無いとは思うけど……私も良く分かんないっ!」
困ったように微笑む珠景姫を見て、紬も表情を緩めた。
涙の跡に触れる風が心地良い。
「それで、こんな場所で何してたの?」
「八月八日のお祈りに来たんです。帰ろうとしたら、御神体に人の姿が見えて……」
「怖くて泣いちゃったと」
珠景姫の言葉に、紬は小さく頷く。
「あぁ……驚かせてごめんね? もう誰も来ないと思って、普通に出て来ちゃった」
顔の前で手を合わせると、珠景姫は可愛らしくウインクをして見せる。
「暗くなってきたし、早く帰りなよ?」
最後の試練を忘れていた。
夕陽が姿を消した空では、夜が始まろうとしている。
灯りの無い隧道は、既に真っ暗だ。
珠景姫でも良いから、一緒に帰る人が欲しい。
仮に亡霊だったとしても、知らない幽霊と出会うよりは怖く無いだろう。多分。
「……い、一緒に来てくれませんかぁ……?」
お盆になれば、先祖の魂が家に帰ってくるのだ。
珠景姫の魂を宿した精霊が帰ってきても、何も不思議な事はない。
「もしかして、夜のトンネル怖いの?」
視線を落とし、黙ったまま頷く。
「ふふっ、色歌にそっくり」
どこか懐かしそうに微笑むと、珠景姫は紬に手を差し伸べた。
「良いよ。家まで送ってあげる」
「やった!」
無邪気な笑顔を見せた紬は、珠景姫の手を取って立ち上がった。
面倒見が良い珠景姫と、臆病で泣き虫な紬。
まるで姉妹のような二人は、トンネルの前で手を繋ぐ。
「行こっか」
真っ暗なトンネルの中を、並んで歩いていく。
まだ誰も知らない物語へと、足を踏み入れるように――
次の投稿は、1/5(日)です!
⚠︎︎次回から、本来の水曜日&日曜日(8時)投稿に
戻りますので、ご注意ください。
これからも、美珠夏/misyuka作品を
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