朝の教室、演劇ごっこ
忘れられない夏休みだった。
今日から新学期。始まりの朝を迎えた。
制服に袖を通し、鏡と向き合って寝癖を直す。
「紬、準備出来たか?」
「出来た!」
迎えに来てくれた凪と合流し、紬は早足で玄関へ向かう。
「いってきまーす!」
元気な声を響かせて、朝の世界へ飛び出した。
涼しげな夏木立のなかを、並んで歩いていく。
二人が通う『奥島高校』は、海辺にある公立高校だ。
電車通学の生徒も多く、朝の夢奥島駅は高校生で溢れてしまう。
その時間帯を避けるために、紬と凪は普段から早めに登校している。
静かな商店街を歩いていると、凪が話を切り出した。
「珠景も、だいぶ慣れてきたんじゃないか?」
今日までの一週間。
オンラインショップで服を購入したり、スマホの使い方や最近の言葉を教えたり。
珠景が現代で暮らす為の準備を、少しずつ進めてきた。
「今どきの若者って感じだよね」
「誰目線なんだよ」
「つむ婆。だって、凄いんだよ? リンさんから貰ったお古のスマホ、もう使いこなしてるもん。なんか流行りにも詳しいし、私より現代っ子。とにかく飲み込みが早い」
「紬がそれ言うか」
「私は食べ物の飲み込みが早いだけで、感性はお婆ちゃんだから」
「違いねぇや」
「そこは否定せい」
にやっと笑う凪の腕を、紬はパシッと軽く叩く。
「珠景はポテンシャルもエグいからな。この前、頼とキャッチボールしてたけど、二十球くらいノーミスだったし」
「どうせ、私はへたっぴですよぉー」
「確かに、キャッチボールするなら珠景だな」
「ほら、またそうやって……あとタカアシガニだから」
「大いに納得したらだろ? 普通に納得したから、確かにで合ってる」
「タカアシガニ」
「結局、出るのかよ」
笑みを浮かべる凪を見て、紬も表情を緩めた。
いつもはクールな表情なのに、二人で居る時は素直な笑顔を見せてくれる。
凪の朝練に合わせて早起きするのも、この幸せなひとときを過ごす為だ。
高校に通うのが楽しいのは、全部凪のおかげ。
感謝の思いを抱きながら、凪の隣を歩き続けた。
朝の教室には、先客が一人。
海色に染まる窓辺の席で、頼がスマホを眺めていた。
荷物を置いた紬は、頼の顔を覗き込む。
「おはよー」
「おはよう。指示した通り、エースは連れてきてくれたかね」
「えぇ、あちらに」
片膝をついた紬は、荷物を整理する凪に視線を向けた。
視線を誘導され、頼も凪に目を向ける。そして、立ち上がった。
「おお、これはこれは。私が求めていた至高の左腕! 間違いない、エースだ」
わざとらしい拍手を送り、頼は紬に視線を落とす。
「褒美をつかわそう。一体何が欲しい? 金か、権力か、それとも……」
「私が欲しいのは、山岡頼の失脚ただ一つ!」
紬は立ち上がって、小刀を握った設定の拳を頼の腹部に当てた。
「なっ、おい、待て、よすんだ、ぐわあぁぁぁぁあ!」
刺された設定の頼は、大きな声を上げながらその場に崩れ落ちる。
「こうして世界は、山岡頼の支配から解放され、平和な日常を取り戻しました。そして、みんな幸せに暮らしましたとさ。おしまい」
「はい、カット!」
床に倒れていた頼が大きな声を出すと、紬も表情を緩めた。
そんな二人を見て、凪は微笑を浮かべる。
「演劇ごっこは終わったか?」
「終わったぁ」
呑気に答えた紬に対して頷くと、凪は頼に声をかける。
「朝練行くぞ」
グラウンドに向かう二人を見送って、紬も教室を後にする。
誰も居ない図書室へと入り、文庫本が並ぶ本棚を眺めた。
気になるタイトルの本を手に取り、中身を軽く確認して本棚に戻す。
その作業を繰り返していると、ある歴史小説を見つけた。
「姫奥島の伝説 ―最後の姫となった少女― 」
タイトルを小声で読み上げて、紬は年季の入った本を開く。
昔から置いてあった本だが、魅力を感じたことは一度もなかった。
珠景姫は島の偉人であり、先祖の一人。
それくらいの認識で、関心を抱くきっかけも無かったから。
しかし、珠景が家族になったことで、珠景姫の物語にも興味が湧いたのだろう。
「……これにしよ」
本を借りた紬は、静かに図書室を後にした。




