第6話 初めまして、元妻です。
「ごめんね、あのときは余裕がなくて……」
「いや、俺のほうこそ守ってやれなくて……本当にごめん」
「私のほうが……」
「俺のせいだし……」
俺たちは互いの顔を見合わせて「やめよっか」と同時に吹き出す。
「静かに話ができるところに行かないか?」
「五月蠅過ぎるものね」
咲羅が「どこに?」という顔を向けるけどちょっと困った。
流石に俺の家はまずいかな。しかしホテルというのも……いや、別に咲羅となら噂になって全然構わないんだけど。
咲羅が「それなら」と咲羅の実家に行くことを提案する。えっと……俺は別れた咲羅の旦那なんだけど、いいの?
「誠に会いたいって言っていたし」
君のせいじゃない。そう言ってくれた親父さんを思い出す。
「俺も親父さんたちに会いたい。迷惑じゃなければお邪魔させて貰おうかな」
「それじゃあちょっと電話してくる」
そう言うと咲羅は少し離れたところで電話を始める。目を離したらどこかに行ってしまいそうで、じっと見ていたら咲羅は視線を感じたようでこちらを向く。
どうかしたかと言う目に応えずじっと見ていると『見ないで』と照れ臭そうに咲羅が顔を背ける。俺に一喜一憂する姿が愛おしい。
最後に見たときやせ細っていたから、いまの咲羅の健康的で元気なところが嬉しくて堪らない。こんな咲羅が見れたなら、あのとき別れた俺の選択は間違ってなかったのかもしれな……。
「斗真!!」
は?
『春沢杏奈』の俺を呼ぶ金切り声がロビーで反響し、思わず眉間に皺が寄りかけて『橘斗真』はこんな顔をしないと急いで顔を整える。
「どうした?」
「あんたの奥さんの幽霊がいま私にっ!!」
名前で呼ばれる筋合いもないし、『あんた』と呼ばれる筋合いは欠片もないのだが……。
「誠、どうしたの? あら、そちらの方は?」
咲羅!?
え、なにその言葉遣い。他所仕様? いや、そうじゃなくて! 疚しいことは何もしていないんだけど、この状況を誤解してないよな!?
「誰よ、あんた?」
「初めまして。彼の元妻です」
んん、初めまして?
「嘘! さっきの幽霊と顔が違うし! そもそも何でそこにいるの? あんた死んだ筈じゃない!」
『春沢杏奈』の言葉に周囲は騒つくが、それよりも俺は震えながら腕にしがみつく咲羅しか気にならない。
「……ひどい。怖いわ、誠さん」
誰だ、これ?
ちょっ、抓るな! 分かった、分かってるよ!
『よよよ』という効果音が背後に背負ってよろける咲羅を俺は支える。そんな俺に縋るように咲羅はしがみつく。
「熱愛報道はいいの。不倫を正当化するために私を貶めるのも夫のためならと我慢できたわ。それなのに私に『死ね』だなんて……酷いわ。酷いわ、誠さあん」
いや、本当に誰だよ。
「なっ、そんなこと言っていないじゃない!」
「死んだ筈だって言ったじゃない。助けて、誠さん。この人、私を殺そうとしているのかもしれない」
「はあ?」
「だって死んだ筈って、それって殺そうとしたってことじゃない!」
怖いと言って俺の胸に飛び込んできて抱きしめた俺の腕の中で震える咲羅。俺より演技が上手いかもしれない。
俺たちを囲む野次馬のざわめきが大きくなる。それはそうだ。
未遂かつ犯人にその意図はないが殺人犯を追い詰めているこの状況に推理モノ好きは盛り上がる。
鬼のような形相の女、儚げな美女、そして男。この三角形の構図は恋愛モノ好きを刺激していることだろう。
「おやおや、これは何の騒ぎですか?」
由貴!?
凛とした声にこの場の全員の目が向いた先、先ほどまでのラフな格好から仕立てのよい三つ揃えのスーツに着替えて髪も後ろに撫でつけた由貴がいた。
新たな登場人物。周囲が誰だと騒ぎ出すが……だよな。腕の中で咲羅がにっこりと笑っている。はい、イベントは計画的に。
「た、立花様!」
由貴の後を追いかけてきてくれた受付嬢の登場。
「局長秘書が直ぐに来ます。あちらの応接エリアでどうかお待ちを」
ウグイス嬢の経験がある彼女の声はよく通り、局長秘書が対応するほどの客であることを知った野次馬の輪に大きな波紋ができる。
「立花って立花財閥の立花様? 会長のご子息か!」
「年齢的にご長男ではないな。立花会長のご子息は三人、いや従兄弟とか……創始者一族は子だくさんで有名だから」
「どちらにせよ立花財閥の創始者一族の誰かということだ」
「そんな大物がどうして? 番組スポンサー絡みか? 株主、それとも銀行?」
「立花の事業が多岐に渡るからな。思い当たる節が多過ぎる」
でっかい声のヒソヒソ話。俺に聞こえるのだから全部聞こえているのだろう、受付嬢が青い顔をして由貴の顔を伺う。
彼女、純粋な被害者。大丈夫、あなた悪くない。そもそも由貴はこんなことで怒らない。
「お気遣いなく。今日の私は運転手でしてね、父に言われて時間通り食事に連れてくるようにと……」
周りが騒つく。
立花会長はよほどの相手でないと一緒に食事をしないことは有名。嫌いな人と食べても美味しくないという理由なのだが相当な美食家だからだと噂されている。噂って……。
「お名前を伺えれば直ぐに……」
「騒がれるのが嫌いなので。お気遣いありがとうございます」
片眼を瞑りながら微笑む。ハイソサエティの雰囲気は崩さず、ちょっと触れてみたくなる遊び人の風情を出している。
「ああ、いた。迎えにきたよ」
手を差し出した由貴の視線の先にいた『春沢杏奈』が頬を紅潮させて両手で口を覆う。
「今日はドレスコードはないけれどその恰好は些か寂しいな。買ってから食事に行こう」
由貴が優しい瞳で高級ブランドの店名をいくつか挙げれば周囲の女性が羨望の溜め息を吐く。『春沢杏奈』の顔は興奮で赤い。
今頃ここにいる多くの者の頭の中ではシンデレラストーリーが展開しているだろう。日本の経済を裏から支える立花財閥といえばそうなる。
立花財閥は別に経済界で暗躍しているわけではない。ただトップに立つのが面倒なのだというちょっと変わり者の一族。
変わっているのはそこだけではなく立花一族は直系も勘と運が妙に良く、百年以上みな恋愛結婚で子宝に恵まれつつ資産も増やしてきた。
嫁や婿がみな名家出身ではない。外国人の婿もいれば施設育ちの嫁もいる、生まれに拘りがないことが分かる。「お前が決めたなら大丈夫」と甘やかしているとしか言えない台詞で一族に迎え入れている。
これは誰もが知っているから、『春沢杏奈』の顔に打算が浮かぶ。確かにここで立花の直系に受け入れられれば逆転サヨナラホームランだ。
泡沫の夢なのだが。
「お兄様」
俺の腕の中で顔を上げ「怖かったですわあ」という吹き出しが見えそうな感じで咲羅が由貴にガシッとしがみつく。
周囲が騒めく。
先ほど咲羅は俺の元嫁だと名乗った。つまり「あなたたちが散々貶めた『橘斗真の妻』は立花財閥の娘」と公言し、最近頻発している人事異動や番組降板の理由を明らかにしたのだ。
「お兄様、お仕事は?」
「用事があるのは親父だから。咲羅と君の夫で我が友の名誉毀損の処理」
由貴は笑うが、周囲の数人が顔色を悪くする。
「誠、久し振りだな」
「そうだな、由貴」
「両親は会いたがっているよ。咲羅を守るために離婚の道を取ったのは理解したけど家に遊びにも来ない。お袋は淋しいと泣くし、お袋が泣くから親父はこの件は許さんって怒るし」




