背景
「推し」は好きな言葉の一つだ。
「推薦する」という意味の動詞「推す」から派生した言葉で、今では辞書にも載っている。
辞書によって多少の違いはあれど、『支持すること、ファンであること』あるいは『特に引き立てて応援している人や物。お気に入り』というような説明がされている。
言葉は不思議だ。
生き物のように変化したり、新たな意味を獲得したりする。
古文と現代語訳を読み比べてみると、今でも使われている言葉が全く異なる意味を持っていて、面白いなぁと思う。
それと同時に「どうして違う意味になったんだろう」という疑問も浮かぶ。
言葉に限らず、出来事や物事について「どうしてそうなったのか」という背景を考えることは、興味深い。
そう思うようになったきっかけは、座敷わらしだった。
昔、国語の問題集に取り上げられていた論説文の中に、「座敷わらしが誕生した背景には、間引きされた子供の存在が関係している」というような記述があった。
うろ覚えだし、その部分しか思い出せないのだけれど、確か民俗学に関する話だった気がする。
「間引き」というのは、密集した植物の苗の中から少数を残して抜いてしまう作業だ。
増えすぎたものを減らす。そうしないと、栄養が行き渡らないから。
この間引きを、昔は生まれたばかりの人間の子にも行っていたという。
江戸時代には「間引き禁止令」が発令されていたくらいなので、当時はよくある話だったのだろう。
ただ、昔の人達だって「衣食住に不自由せず、安全が確保された状態」であれば、子供の間引きなどしたくなかったはずだ。
だから、間引きの是非については触れずに話を進めたい。
座敷わらしが住み着いた家は繁栄するが、立ち去った途端に没落してしまうと言われている。
つまり、機嫌を損ねない限りは福の神というわけだ。
命を奪われた被害者が、福の神として加害者に幸福をもたらす。
虫が良すぎる話だとは思うけれど、加害者である親としては、そうとでも考えなければ耐えられなかったのかもしれない。
間引きされた子供は、人間としては生きられなかったけれど、座敷わらしとして生まれ変わり、家族と共に存在し続ける。
そう信じることで、何とか気持ちに折り合いをつけようとしていたのだとしたら……。
などと考えていたら、何とも言えない気持ちになったので、私の推しである米津玄師の『ごめんね』という曲を聴いてリセットすることにした。
この曲が作られたきっかけは、アンダーテールというゲームなんだとか。
知らなくても全然構わないことだけれど、背景を知るとまた違う楽しみ方が出来たり、理解が深まったりすることもある。
だから私は、つい余計なことまで調べたり考えたりして、背後にあるものを見ようとしてしまう。
知らない方がいいことだって、きっと沢山あるのだろうけれど。




