八話 死闘!陽紅狼
俺たちの前に突如現れた"陽紅狼"ブリガネガルは、威嚇するように大きな咆哮にあげる。
ウルべニカ山を住処にしている魔物がなぜベール森林にいるのかわからないが、とにかく途轍もなく危ない状況であることは判断できた。
俺はクロ先輩に向かって叫ぶ。
「クロ先輩、逃げましょう! こいつは特危個体の魔物、"陽紅狼"ブリガネガルです! 俺たち二人で相手するには危険すぎます!」
「あぁ……そのようだな。この肌に纏わりつくような殺気……相当ヤベェ魔物ってのはわかるぜ……。だが……コイツ!」
グルルァァァァーーーー!
「――!! クロ先輩! 避けてください!」
「チッ……!! やっぱりコイツ、俺たちを逃すつもりはなさそうだぜ!」
ブリガネガルは俺たちに向かって大きく飛び掛かり、鋭い爪を振り下ろす。
咄嵯に俺とクロ先輩は回避行動を取り、すぐに体勢を整えてブリガネガルと対峙する。
俺は剣を、クロ先輩を袖口からナイフを取り出し、臨戦態勢に入る。
「これはもう……覚悟するしかないですね……」
「ハッ! どうせ逃げれる感じじゃねぇんだ。俺たち二人でどうにかするしかねぇ。新人! オレがヤツの注意を引き付ける! お前はその隙に攻撃しろ! 行くぜ!」
「え!? あっ、クロ先輩!?」
クロ先輩はそう言って、ブリガネガルに向かって駆け出した。そして、ブリガネガルもその行動を察知したのか標的をクロ先輩に定める。
くそっ! こうなったらやるしかない! 俺は覚悟を決め、ブリガネガルに向けて技を放つ。
「"風流剣――飛ビ威太刀"!!」
剣に風を纏わした俺はブリガネガルに向けて、飛ぶ風の斬撃を放つ。その斬撃はまっすぐとブリガネガルの胴体に命中する。
ダメージが入ったのか少し苦しそうな呻き声を上げる。よし、これで少しの間でもブリガネガルの動きを止められれば――。
「今度はこっちの番だぜ、バケモノ! これでもくらいやがれ!」
今度はクロ先輩が袖口から十本のナイフを取り出し、ブリガネガルに目掛けて全て投擲する。
しかし、ブリガネガルの硬い表皮によって全てのナイフが弾かれてしまった。
「ッチィ……硬ぇなオイ……。なら直接切り刻んでやるよ!」
クロ先輩は今度は袖口から手甲剣を取り出し両腕に装備するとと、そのままブリガネガルへと突撃していく。
ブリガネガルもクロ先輩が近接することに気付いたようで、鋭い爪で応戦する。
しかし、クロ先輩はその攻撃を掻い潜りながら着実にダメージを与えていく。
「オラオラァ! 切り刻まれやがれ! "死狂レ演舞"!」
クロ先輩は両腕の手甲剣でブリガネガルを切り刻み続ける。その動きはまるで踊っているかのように滑らかで美しい。ブリガネガルの硬い表皮に刃が通り、確実にダメージを与える。
グゥルルァアアアーーー!!!
クロ先輩の攻撃に危機を感じたのか、ブリガネガルは一際大きな声で吠えると、その巨体からは想像できないほどの跳躍力で俺たちから距離を取る。
その瞬間を好機と見たクロ先輩は追撃を仕掛ける。
「逃すかァ! "鉄鎖陣――縛"!!」
ブリガネガルの周辺に魔法陣が展開されて、そこから無数の鎖が飛び出し、ブリガネガルに巻き付く。
グルルァーー!! 鎖に拘束されて身動きが取りづらくなったことに腹を立てたのか、懸命に鎖から逃れようと激しく暴れる。
クロ先輩、こんな魔法まで使えたのか……。そんな関心を他所にクロ先輩は俺に声をかける。
「今だ、新人! オレが抑えてるうちにさっさと攻撃しやがれ!」
「わかりました! では、参ります!」
俺は拘束されているブリガネガルに向かって飛び上がり、剣を上段に構え、風を纏わせる。そしてブリガネガルの頭部に狙いを定め、鋭い一撃を食らわせる。
「"風流剣――破太刀"」
剣を振り下ろし、風の威力が乗った重い一撃をブリガネガルの頭部に直撃させる。
俺の放った一撃はブリガネガルに直撃するが、やはり硬い表皮によって威力を軽減されてしまう。
しかし、この技は他の風流剣の技とは違う特徴がある。それは――。
グガァァァァーーーー!!!
俺の攻撃を受けたブリガネガルは絶叫を上げ、地面に倒れ込む。
この"破太刀"の特徴は相手に強い風の衝撃を与えることにある。つまり、斬るというより叩くと言った方が正しい。そのため表皮が硬くても、内部へのダメージは大きいのだ。
俺はもう一度剣を構え直し、ブリガネガルと向き合う。今のところ、こちらが優勢だ。もしかしたら、倒せるのではないか?
俺がそう思った矢先、突然クロ先輩の声が聞こえてきた。
「――!! おい、新人! 今すぐそこから離れろッ!」
倒れていたブリガネガルの毛がさらに赤く揺らめき立ち、その赤い体毛が逆立つと同時に、凄まじいオーラを放つ。
そして、口を大きく開けると、そこには巨大な火炎弾があり、その狙いを俺に定める。
「!!? しまっ――!!」
そう思った時には既に遅く、ブリガネガルは俺に向けて火炎球を発射した。
「クソっ! 間に合え――!! "鉄鎖陣――壁"!!」
クロ先輩はブリガネガルの鎖の拘束を解くと、瞬時に別の魔法を展開し、俺の前に鎖の防御壁を展開する。
しかし、火炎弾の勢いを鎖の壁では完全に殺すことは出来ず、炸裂した火炎弾の爆風に巻き込まれた俺は吹き飛ばされ、その先にあった大木に激突する。
「カハァ――!」
背中を強く打ち付けた俺は、肺の中の空気を全て吐き出してしまい、そのまま意識を失いそうになる。なんとか堪えるが、視界が霞み、身体の自由が利かない。
「お、おい!! 新人! 大丈夫か!」
クロ先輩が駆け寄って来て、俺の身体を揺する。どうやら頭から出血しているのか、左目に血が入って視界が確保しづらくなる。
呼吸がままならないまま、俺はクロ先輩の声に答える。
「はぁ……はぁ……。はい……何とか……大丈夫……です……」
「バカ野郎! どこが大丈夫だ! 酷い怪我じゃねぇか!」
「すみません……でも……これくらい……なんと……も……ありません……」
俺は必死に立ち上がろうとするが、手足が痺れて力が入らない。立たないといけないのに身体が言うことを聞かない。
その様子を悲痛な表情で見たクロ先輩は、何かを決意したように呟く。
「……もういい、お前はここで休んでいろ。後はオレがやる」
「――! なっ……何を言って……! ここは……俺を置いて……クロ先輩だけでも……逃げてください」
「オレはお前の先輩だ。後輩を見捨てて逃げるなんて真似出来るわけねぇだろうが。そこで見てな、先輩の意地ってやつを見せてやるからよ」
クロ先輩は俺を木にもたれ掛けさせると、そのままブリガネガルへと向かって行く。
ブリガネガルの拘束はもう解かれている。向こうも大きな牙を剥き出し、臨戦態勢の状態でクロ先輩に向き合う。
すると、クロ先輩は俺から距離を取るように駆け出し、ブリガネガルの周りを走りながら袖口からナイフを取り出し、投擲していく。
グゥルゥーーー!!
ブリガネガルは鬱陶しいと言わんばかりに腕を振り回し、クロ先輩を投擲したナイフを払い除ける。
「へッ! テメェの相手はこのオレだ! こっちに来やがれ、バケモノ!」
クロ先輩は挑発するように叫ぶ。そしてそれに応えるかのようにブリガネガルはクロ先輩を追いかけるように動き出す。
どうやら、クロ先輩は自分を囮にして、少しでも俺からブリガネガルを引き離すつもりのようだ。
ある程度、距離が離れたところでクロ先輩は立ち止まる。
「――よし、これだけ離れていればいける! 見とけ、新人! これがオレのとっておきの大技だァ!」
そういうと、クロ先輩は地面に手をつき、魔法を発動する。ブリガネガルの足元に魔法陣が展開され、そこから先ほどと同じように無数の鎖が伸びてくる。しかし、よく見ると鎖の色が違っており、今度は赤色の染められた鎖だった。再び拘束しようとブリガネガルの周囲を囲むと、勢いよく鎖が襲い掛かる。
グゥガァァーーーー!!
同じ手は通用しないと言わんばかりの雄叫びを上げ、ブリガネガルは鋭い爪で伸びてくる鎖を切り裂こうとする。しかし、その爪が鎖に触れる寸前、クロ先輩はニヤリと笑う。
「残念だが、これはただの鎖じゃねぇんだぜ! くたばりやがれ! "鉄鎖陣――起爆殺"!!」
ブリガネガルの爪が赤い鎖に触れた瞬間、大きな爆発音と共に囲っていた赤い鎖が一斉に爆発し、ブリガネガルを爆炎に包み込む。
グゥガァァァアアアアァァァーーーー!!!
今までで一番大きな絶叫を上げるブリガネガル。あまりの威力に俺の方にまで熱風が押し寄せてくる。
やがて煙が晴れるとそこには全身傷だらけになったブリガネガルの姿があった。しかし、まだ息があるようで、フラついた足取りで立ち上がると、クロ先輩を睨む。
「はぁ……はぁ……。チッ……まだやるってのかよ。さっきのでくたばっていりゃあいいものを……」
膝をついたクロ先輩はそう言いながらも、内心焦っているのか額には汗を浮かべている。どうやら先ほど技で魔力をほぼ使い切ってしまったようだ。
そんなクロ先輩に対して、トドメを刺そうとばかりにブリガネガルは爪を振り上げ襲いかかろうとした。
俺は声を振り絞って叫ぶ。
「クロ先輩! 逃げて!」
「――あぁ……くそッ……。オレはここまでなのか……? オレの人生はこんな奴にやられてしまいだってぇのか……?」
「クロ先輩――!!」
クロ先輩の諦めの言葉を聞いた俺は、無意識に身体が動いており、ブリガネガルに向かって走っていた。
目の前の景色がスローに見える。全身のあらゆる骨が痛む。痛みで意識が遠くなる。だが、そんなことは今はどうでもいい――!!
俺は大きく跳躍し、クロ先輩とブリガネガルの間に割って入ると、手に持っていた剣でブリガネガルの爪攻撃を受け止める。
「ぐっ……! くぅ……!」
「!? お、おい! 新人! 何やってんだ! このままじゃお前まで死んじまうぞ!」
クロ先輩は慌てて叫ぶ。俺はクロ先輩の方を振り向かずに答える。
「いいんです……! 俺は……先輩を見捨てて……逃げるなんて……出来ません……! それに……俺もあなたと同じ……クエスト代行サービス社の社員です! ……仲間が死ぬのを黙ってみていられるほど……俺は自分の生き様を捨ててはいない!」
「新人……おめぇ……」
俺は必死にブリガネガルの爪攻撃を堪えながら答える。すると、今度はブリガネガルが大きな口を上げ、その牙で俺たちを噛み砕こうとする。
俺はその瞬間をスローで体験する。これがよく言われる、死ぬ直前に見ている風景がスローモーションになるという現象なのだろう。
(あぁ……もうだめだ……。すみません……俺はここまでのようです……社長)
死を覚悟したその瞬間だった。
「諦めるにはまだ早いと思うね。私はさ」
かすかに聞こえた女性の声に俺はハッとする。まさか……この声は――。
――ズドン!!!
グッ……アァアアアァァァ…………?!
ブリガネガルの左脇腹に美しい女性の足がめり込む。空気が震えるような衝撃音と共にブリガネガルはそのまま途轍もないスピードで多くの大木をへし折りながら吹っ飛んでいく。俺たちの目の前に現れた女性には見覚えがあった。透き通るような白い肌に、美しく整った顔立ち。風になびく艶やかな銀色の髪のポニーテール。瞳の色は綺麗な蒼色をしており、白いコートと青色のスカートで彩られた姿にどこか神秘的な印象を受ける女性。
彼女は俺たちに向かって笑顔で声をかける。
「二人ともお待たせ。待ったかな?」
その女性の名はノア・ハウストゥルム――俺たちの社長だった。