七話 虹妖蝶と畏怖なる魔物
【クロ、アランペア】
グレガロンの群れを撃退してから数十分後、俺とクロ先輩はようやく森の奥深くに到着した。
ここに着くまでに多くの魔物に襲われて、俺たちは疲労困ぱいの状態だ。
「はぁ……はぁ……やっと着いたな……」
「はぁ……そうですね。しかし、異様に魔物の数が多かったですね。クロ先輩は大丈夫ですか?」
「あぁ……オレは大丈夫だ。問題ねぇよ」
クロ先輩の様子を見てみると、言葉では強がっているようだが、明らかに疲れ気味の顔をしていた。何せ三~四十体以上の魔物と遭遇し、そのたびに戦闘を繰り広げていたのだ。疲れるも無理はない。
俺は腰に装備しているバッグから二本の回復ポーションを取り出し、一本をクロ先輩に渡す。
「クロ先輩、回復ポーションです。飲んで少し休みましょう」
「お! 気が利くじゃねぇか。ありがとよ」
クロ先輩は近くの木の根に腰掛けると、俺の手から受け取った回復ポーションを飲み干す。すると、みるみるとクロ先輩の表情が明るくなっていった。その様子を見た後、俺も回復ポーションを飲む。
「くうぅぅー! 生き返ったぜ! しかし、ここが森の最深部か。本当にこんなところに虹妖蝶がいるのか?」
「ノア社長の話が正しければ、目撃情報からしてこの辺りのはずですが……」
俺は周辺をキョロキョロと見渡しながら言った。辺りを見渡しても、あるのは鬱蒼とした草木ばかりである。とてもではないが、虹妖蝶のような珍しい生き物がいるようには見えない。
「もしかしたら、こっちはハズレだったのかもな。もうすでにノアたちが見つけて捕獲してるのかもしれねぇ。もしくは情報がデマで最初からここにはいなかったのどちらかだ」
「だとしたら、ここにいても仕方がありませんね。日も落ちてきましたし、一度戻って確認を取りますか? それとも、もう少しだけ探しますか?」
俺の返答にクロ先輩は腕を組んで考え込む。そして、何か思いついたかのように口を開いた。
「んー……そうだな……。仕方ねぇ、ちょっとアレを試してみるわ」
「アレ……? ですか?」
クロ先輩はそう言うと、腰掛けていた木の根から立ち上がり、近くの少し開いた場所で立ち止まる。そして、ゆっくりと目を閉じ始めた。
……一体何をする気なんだ? しばらく様子を伺っていると、クロ先輩の身体が徐々に光り始めていく。その様子に俺は驚いてしまう。
「く、クロ先輩!? 一体何を――?」
「しっ! 少し黙ってな。今から探知魔法を試す。蝶に反応するかはわからねぇが、何もしないよりマシだろ」
「そ、それは確かにそうですね……お願い致します」
「おう」
俺はクロ先輩の言葉に納得し、その様子を静かに見守る。
クロ先輩は探知魔法に集中し始め、徐々に纏う光が強くなっていく。
すると、探知魔法に何か掛かったのか、クロ先輩は目を閉じたまま不審の表情を見せる。
「ん? なんだこれは? 何か小せえ魔力を宿した何かが揺らめいて動いてやがる……。魔物……っていう感じではなさそうだ」
「まさか、それが虹妖蝶?」
探知魔法を終えたのか、クロ先輩の身体から光が消滅する。そして、俺の方を向きある一点の方向を指差す。
「虹妖蝶かどうかはわからねぇが、あっちの方向に何かがいるみたいだ。ここからそう遠くない場所にいるみてぇだし、行ってみる価値はあるかもな」
「そうですか、では行ってみましょう!」
俺はクロ先輩と共にその方向へと足を進める。それから数分後、森の奥地にある大きく開けた場所にたどり着いた。そこにはあたり一面に花が咲き誇っており、まるで楽園のような場所であった。
「こんなところに、こんな綺麗な花畑があるなんて……。驚きました」
「あぁ……だがそれより新人。アレを見てみろ」
俺が目の前の光景に感動していると、クロ先輩は先程見つけた魔力の正体へと指を差す。俺もその方向を見ると、花畑の中心に咲いた一輪の花に一匹の蝶が止まっていた。
翅が虹色に輝き、煌びやかなオーラを放つその蝶の姿形はまさしく俺たちが探し求めていたターゲット――虹妖蝶そのものだった。俺は思わず声を上げる。
「クロ先輩! いました! 間違いありません! 虹妖蝶です!」
「マジかよ! 本当に居やがった! よし、早速捕まえるぞ! 急げ!」
「はい!」
俺は手に持っていた虫捕り網を力強く握りしめ、勢いよく駆け出す。そして、そのまま花畑を突っ切り、虹妖蝶に目掛けて勢いよく網を振り下ろす。
しかし、俺が振り下ろした虫捕り網は、空を切った。
「なにッ!?」
「なッ!? コイツ速え! なんてスピードだ! コイツ本当に蝶なのか!?」
俺の攻撃を躱した虹妖蝶は目にも留まらぬ速度で羽ばたき、花畑の上空を飛び回る。
ノア社長が「虹妖蝶は捕獲するのが非常に難しい」っと言っていた意味がようやく理解できた。確かにこれは、普通の人間が追いつけるような速さではない。それにこの速さで動き回られたら、虫捕り網など当たるはずもない。
しかし、ここで諦めたら終わりだ。皆が必死に探しようやく見つけた虹妖蝶――ここで逃すわけにはいかない!
俺は一度深呼吸をし、冷静な心を取り戻してから再び虫捕り網を構える。
「"風流剣――風読み”」
身体の感覚が研ぎ澄まされ、精神と風を一体化させる。この技は自分の感覚を風と一体化させることで、風の流れの変化から周囲の動きを鮮明に感じ取ることができる。
この技ならどんなに素早い相手でも捉えられるはずだ。
「――――!! そこだぁ!」
虹妖蝶が放つわずかな風の動きを捉えた俺は、虹妖蝶が通過するであろう位置を予測し、素早くその場所に向かって駆け出し、虫捕り網を振るう。
俺の渾身の一撃は見事に虹妖蝶を捉え、虫捕り網に捕獲された。
「や、やった! やりましたよ! クロ先輩!」
「すげぇ! やるじゃねぇか、新人! これで依頼は完了だな!」
クロ先輩は驚きと喜びに満ちた表情で、俺のところに駆け寄ってくる。
その時だった――。
「――!!? 逃げろ!! 新人!」
「!!?」
クロ先輩の声と突然上空から感じた殺気に気付いた俺は虫捕り網を置いたまま、勢いよくクロ先輩の方へ回避する。
――ズドンッ!!
俺のいた場所に巨大な魔物の爪が振り下ろされ、虹妖蝶ともども虫捕り網が粉々に粉砕された。
「な、なんだこのデケェ魔物は!? いきなり上空から飛んで来やがったぞ!? 一体何なんだコイツ!?」
「くッ……! こ、こいつはまさか――!」
そこに現れたのは全長15メートル程の巨体に全身を真っ赤な毛で覆われており、鋭い牙と鉤爪を持った狼の魔物であった。その逆立った毛はまるで焔のように揺らめいており、その風貌はまるで炎焔の猛獣のようだ。その姿を見た俺はかつて王宮で聞いた話を思い出す。
《オストリア王国の東にそびえ立つ大山、ウルべニカ山。その山に君臨する魔物の王は、山から昇り立つ太陽に赤く、燃え盛る焔のような姿をしているという。その神々しさから"太陽の化身"と呼ばれ、ある国では太陽神の使いとして崇められているそうだ。また、その魔物に出会ったものは例外なく襲われ、竜すら食らい尽くす獰猛さを兼ね備えている。その危険性と狂暴性から、冒険者ギルド協会から"特別危険個体"に指定されるほどだ。ウルべニカ山に君臨する魔物の王の名は――――》
「"陽紅狼"ブリガネガル!!」
俺は目の前に現れた魔物の名を口にする。
ブリガネガルは俺たちに敵対するかのように、空気が振動するほどの大きな咆哮をあげた。