linen(kind leaf)
前作「linen」からお読みください。
「兄さん、本当に行っちゃうの?」
部屋に来た弟が、荷物をまとめる僕を見ながら言う。僕は「ああ」と返し、「暇ならお前も手伝ってくれよ」と服の山を押し付けた。
「暇だけど…兄さんに行って欲しくないんだ。だから、手伝いたくない」
「仕方ないだろ。お父様の言いつけだ、逆らえないよ」
「だからって、京都になんか行かなくていいでしょ?新幹線で2時間もかかるのに」
弟は手伝う様子を見せるどころか、ベッドの上に寝転がる。
「こっちにも良い学校は沢山あるのに。どうしてお父様は京都の学校を受験させたんだろう?」
「僕が目障りなんだろ。一番お母様に可愛がられていた時間が長いから…」
「……ねえ、篤葉兄さん。長い休みの時は帰ってきてね?他のきょうだい達も、寂しがるから」
「もちろん。陽眞、お前は僕の代わりにしっかり皆の面倒を見てやるんだぞ。お母様の事もお前が守るんだ。いいな」
「分かってる」
僕は弟の頭を撫でて、今度こそ手伝わせるために衣装ケースを押し付けた。
僕の大学進学は、父が全て決めた。いや、大学進学だけではなく、僕のこれまでの人生の全てがあの人の敷いたレールを走ってきていた。そして、これからも。きょうだいの面倒を見るために実家から通える範囲で受験を考えていたし、そのための努力もした。しかし僕の学力が意外と悪くない事を知った父は、京都の国立大を受験するように言ってきたのだ。僕は勿論反対したが、聞き入れてもらえなかった。そのまま受験を迎えた僕は無事合格を果たし、進学することになったのだった。
父が用意してくれたマンションに送る荷物は粗方準備ができたが、出発は明日だ。今日は他のきょうだい達とたっぷり時間をとろうと僕は決めていた。
陽眞と一緒に部屋を出て、お土産を手にきょうだい達の過ごす離れのリビングに行く。そこでは春休みに入って暇を持て余すきょうだい達が、各々好き勝手に寛いでいた。
僕はテレビの前に置かれた大きなソファに座るきょうだい達の顔を眺める。きょうだいは総勢12人、一番上の僕が18で、一番下はようやく2歳になったところだ。父は子ども達には興味がなく、どうせ産まれるなら母に似ればいいと話していた。だがそれを聞いていたかのように皆揃って、美男な父に似て産まれた。
「ドーナツを持って来たよ」
僕がそう言うと、皆一斉にワーとテーブルに集まり出す。
手を洗うようにと陽眞が誘導し、洗面台から帰ってきた子達からどれを食べるか相談し合っている。
「これは篤にいが買ってきたの?」
「いや…お母様がくださったんだよ」
「お母様!?」
「お母様に会ったの!?」
「ずる〜い!」
正直に白状すると、きょうだい達は揃ってブーイングをする。陽眞でさえも驚いて目を見開いていた。
「良いよな、篤にいは。一番お兄ちゃんだからお母様にしょっちゅう会えるんだ」
「ねー」
「そんな事はない、僕だってたまにしか会わせて貰えないよ。それに、お母様はお前たちの顔も見たくてたまらないと話していた」
「お母様が?僕達に?」
「会いたいって?」
「ああ」
さっきのブーイングから一転、今度はヤッターと喜ぶ声が上がる。僕は一番下の弟の恵深にドーナツを食べさせてやりながら、喜ぶきょうだい達を見ていた。
母家のダイニングを訪ねると、そこには既にお茶を用意したテーブルについた母が居た。促されて座ると「京都の大学に行くって聞いたわ」と切り出される。
「篤葉が選んだの?それともお父様が?」
「…学校を決めたのはお父様だよ。でも僕自身も行きたいと思っているから」
「あなたの人生なのに…。せめてここから通える大学にしたら良かったのよ。いきなり一人暮らしだなんて」
「良いんだ。休みには帰ってくるから」
「篤葉がいいなら良いけど…まあ、しっかりしているから心配はしなくてよさそうね」
母は今年で36歳になるはずだが、12人もの子どもを産んでもなお美しく若々しい。恵深を産んで2年程になる今、久しぶりにまた妊娠しているそうだ。
「お母様も体調に気をつけて。1人の体じゃないんだし」
「私は大丈夫よ、もう12回も経験があるもの」
「同じ子が産まれてくるわけじゃないんだから」
僕がそう言うと、母は急に目を潤ませて下を向いた。
「篤葉…あなたがこんなに立派に育ってくれて、私は嬉しいの。本当は遠くへ行って欲しくないけど…ここよりはマシかもしれないわね。学生生活を満喫してね」
父を思い出したのか、母の顔が陰る。きょうだい達は皆、父の事が苦手だ。母を苦しめ、傷つけてきたから。
母にいつもついている使用人から、ドーナツの箱の入った袋を渡される。母を見やると「みんなで食べて」と微笑んでいた。
「僕たちに、またきょうだいが増えるそうだ」
「エー!」
「やった〜」
下のきょうだい達は「男の子?女の子?」と興味津々だ。しかし上のきょうだい達の顔には不安が浮かんでいる。
「お母様、体は大丈夫なのかな…。恵深を産んだ時も体調を崩して寝ていたのに」
「それな。お父様はお母様の事を全く慮ってない」
僕と陽眞の下の双子である真咲と桔梗が頷き合う。彼らの下の妹・麗多も「お見舞いに行きたい」と同調した。
僕はドーナツを頬張るきょうだい達に「もう一つ、聞いてくれ」と声をかける。
「僕は京都の大学に進学する事になった。新幹線で、2時間もかかる場所だ。だからこの家から出る事になったんだ。休みには帰ってくるけど、頻繁には難しいと思う。だからこれからは、陽眞兄さんの言う事をよく聞いて、良い子にするんだよ」
「えー?!篤にい、遠くにいっちゃうの?」
「やだぁー!」
「陽にいはなんかやー」
弟と妹たちに拒否された陽眞は「なんだと」と言って立ち上がり、キャーと逃げ回る彼らを追いかけ回して捕まえている。上のきょうだい達はさらに不安な顔でこちらをみた。
「篤にい、そんなの聞いてないよ。僕たちだけじゃ無理」
「そうだよ!お父様とまともに話せるのは篤にいしか居ないのに」
「まともに話せたことなんかないよ。長男だから話す機会が多いだけで、嫌われてるし」
「私たちなんか目も合わせて貰えないんだから…。まあ、進んで話したいわけじゃないけど」
母は僕たちきょうだいを産みはしたが、育ては出来なかった。産まれてすぐに父が取り上げたからだ。親子の思い出を作る機会を奪った父の事を、僕たちは恨んでいる。父はと言えば僕たちに興味がないのでなんとも思っていないようだが。
「ごめんな。さっきも言ったけど、休みには帰ってくる。お前たちを頼りにしてるよ」
上の4人をぐるりと見渡しながらそう言うと、彼らは顔を見合わせながら黙ってしまった。理解していない下のきょうだいたちは、相変わらず騒ぎながらドーナツの取り合いで揉めているようだった。
翌日朝早く、送迎の車に荷物を積んでいると、母家から父が秘書と共に出てきた。見送りなど珍しいこともあるものだと向き直ると、父は「比良坂の長男として、名に恥じない行動をするように」と言って玄関に入ってしまった。何か温かい言葉を期待していたわけでは無かったので、「はい」と返して車に乗り込んだ。昨日見た母の顔を思い出し、目を瞑った。