第十二話 報告
「まぁ何事もなく終わって何よりね」
巫女装束を纏った少女は、お土産のパウンドケーキを食みながらそう言った。
鎧武者の一件から1日が過ぎ、日和は成功報酬の支払いを行うために玉鬘へとやってきていた。
「削瑠羽鳥の様子はどうなの?」
細々とした事務手続きを終えた阿礼は日和にそう尋ねる。
「命に別状はありせんが、右目の損傷と衰弱がかなり激しいです。今は病院で療養中です」
そう言った後、物憂げな表情となる。
「羽鳥は今後どうなるのでしょうか」
大道がそれに答える。事務机に足をかけ、禁煙パイポを咥えている。
「心配するな、カウンセラーに登録届けさえ出せばそれほど面倒なことにはならない」
「カウンセラー?」
大ちゃんがそれを説明する。カウンセラーとは『綴』と呼ばれる組合に所属する。半神の監視を主とする組織らしい。
荒御霊と成りうる人物を発見し、その変異を未然に防ぐことを目的にしている言った。
「登録は俺が付き添ってやる、だから安心しろ」
大道はぶっきらぼうな態度でそう言った。
「ありがとう、大ちゃん」
日和は微笑を浮かべ感謝を述べた。
本人はけっして認めないが、大ちゃんは優しい人間だ、人を蔑ろにする態度も彼なりの誠実さの現れだと思っている。
彼は間違いなく良い人間だ、少なくとも私よりは。
「まぁ仕事だからな…」
そう言いながら大道はそっぽを向いた。この照れ屋な所も私は好きだった。
その様子を見て阿礼がニヤリと笑いながら言った。
「いつかのようにほっぺをつねってもらえば?」
その言葉を聞き今度は事務所の隅で傍観していた青年に視線を移した。
「湊。しゃべるなと言った筈だ」
「…何のことやら」
湊はすっとぼけた表情でそう答える。
いきり立つ大道を阿礼がさらにはやし立てる。
「そんなに恥ずかしがらなくても良いじゃない」
そう言いながらもにやけ顔で大道を見ている、小馬鹿にした態度は明らかだ。
「このメスガキ…今日こそ殺してやる!」
「上等よ、どうなっても知らないわよ」
大道はコートから木刀を取り出すと、容赦無く阿礼に襲いかかる。
事務所内にて大道と阿礼の死闘が繰り広げられる。湊がそれを止めようとするがおさまる気配はまったく無い。
(安心したわ、大ちゃんにも仲間がいて)
三人のコントじみたやり取りを眺めながら日和はそう思う。
大ちゃんはあの少女を、阿礼ちゃんを心から信頼している、彼女と話す時の大ちゃんは表情豊かで人間らしいから。
それに湊琴雪、ゆーちゃんも大ちゃんは気に入っている、ああ言う独特な信条を持った若者を大ちゃんがほっとく訳ないもの。
あくまでも感覚的なものだが、日和は湊に何か特異な印象を感じていた。
その印象がどこから起因するのかという疑問は日和にも説明ができなかったが、今になって気がついた。
ゆーちゃんは羽鳥に似てる、見た目や性格の事ではなく、一種自虐的ともいえる忠誠心が彼の中には宿っている。
羽鳥は私に心酔している、そうなるように私が仕向けたのだから。
あの目はそれと同じだ、彼もまた庇護者として、自分の全てを誰かに捧げているのかも知れない。
(それが一体誰なのかは、私には分からないけど)
「少しは成長したと思っていたけど、思い違いのようね」
阿礼は片足で大道の頭部を踏みつけながらそう言った。
どうやら決着がついたようね、それにしても大丈夫かしら、大ちゃんの意識が無い、というか頭から血を流しているように見えるけど。
「手続きはこれでおしまいよ、何かトラブルが起こったときはいつでも連絡して」
そう言いながらも阿礼は大道を踏みつけたままだ。
「阿礼さん…さすがにやり過ぎだと思います、なんか血溜りができてますけど…」
湊は震えながらそう言った。
「この程度で死ぬように育てた覚えはないわ」
巫女少女は平然と言葉を返した。
日和は玉鬘を後にした、廃品街の治安の悪さを考慮し、駐車場まで湊が送ることとなった。
「どうして羽鳥を助けようなんて思ったの、初めはゆーちゃんも嫌々協力していたでしょ?」
後部座席のドアを開けた日和は不意にそう言った。
たしかにこの若者は乗り気ではなかった、少なくとも羽鳥の姿を直接見るまでは、一体あの時彼の心境にどんな変化があったのだろうか。
湊は一瞬考える素振りを見せたあと日和に向け言葉を返した。
「少し似てたんですよ、日和さんの境遇と俺の大切な人の境遇が」
そして何か思いを巡らせるように言葉を続けた。
「だからこそ羽鳥さんの気持ちが理解できたんです。彼の日和さんへの思いを、自分と重ねていたのかも知れません」
日和は湊を数秒ほど見据えたのち、別れの挨拶を交わし車に乗り込む。
その時ふとあることを思い出した。
「そう言えば忘れていたわ、これを大ちゃんに返しておいて」
日和はカバンの中をまさぐるとそこからスタンガンを取り出した。
湊は苦笑いをしつつそれを受けとる。
「じゃあ俺はこれで失礼します」
そう言って湊が立ち去ろうとした時であった、唐突にある疑いが頭を過った。
厳密に言うならばそれは疑いと呼ぶには形すら無く、違和感と呼ぶほうが正確かも知れない。
「ゆーちゃん」
背を向けて歩き出す湊へ向けそう呼び止めた。
湊は何の感情も伺えない表情で振り返る。
「あなた…何か隠してるでしょ?」
心の何処かで常にそれを感じていた、慢性的に自分を偽ってきた日和だからこそ、この若者の発する違和感に気がつくことが出来たのかも知れない。
湊は微笑を浮かべながらそれに答える。
「いえ…何も隠してなどいませんよ」
そう言って日和に背を向けると、ゆっくりと歩きだした。
日和は後部座席に腰を下ろすと小さくため息をついた。
(…たぶん私の思い違いね)
「社長、お疲れさまです」
伊丹が運転席からそう声をかけてきた。
この冴えない男は運転以外なにをやらせても失敗ばかりする、しかし口は固いため今回の鎧武者の一件にも関わらせた。
ポンコツであることに間違いはないが、こういう素朴な人間は以外と重宝するものだ。
「次はどちらまで?」
伊丹の質問を半ば聞き流しながら日和は思案した。
半神…肉体に神を宿し、言葉により現実をねじ曲げることの出来る存在…。
彼らの力は絶大だ、この世界の常識を全て覆すほどに。
そして私には羽鳥がいる。彼もまた、言ノ葉の力を使役する半神だ。
日和は小さく笑みを浮かべると、自らへ問いかけるように呟いた。
「そうね…何処へ向かおうかしら…」