第2話 カタログ魔法取得
向かってくるのは、1人のようだった。
たぶん、20代前半の女性だ。
その女性はスマートフォンを耳に当て、小声で誰かと話していたが、
「――――これは、驚いた」
少年を見つけると通話を切り、駆け寄ってきた。
「まだ13、4歳か? 重傷だな……一体どうしたんだ?」
月明かりに照らされて、女性の姿が視認できた。
黒髪の、美しい女性だ。
宇宙のように深い黒色に染まった両目の下に1つずつ、小さな泣きぼくろがある。
その表情は知的で、落ち着いた雰囲気があった。
ベルトに吊ったホルスターから拳銃を抜き、周囲を警戒するように視線を巡らせている。
「たす…………け、て」
少年の懇願に、女性は首を横に振った。
「残念だが、私の力でキミを治すことはできない。今、メールで知り合いの医師に連絡をしたが、ここは都市から離れている……恐らく、間に合わないだろう」
「あ、うぅ」
「……だが、今……[調]べてみて分かった」
と、女性は続けた。
「キミはまだ、自分の『単語』を持っていないようだな……となると、キミ自身の力で、その傷を治すことができるかもしれない」
女性は、少年の肩に手を置いた。
「『カタログ魔法』を、今すぐ取得するんだ」
「かた……ろぐ?」
「ん? 魔法カタログから取得する、カタログ魔法のことだぞ? まさか知らないなんて……いや……そうか、記憶喪失……なるほどな」
女性は少年の反応に首を傾げたが、何かを察知して納得したようだった。
「では……とにかく『魔法カタログ』という本の召喚を念じてみるんだ。それが何なのかは分からなくていい。ただその名前と本の形のイメージを強く念じるだけで、召喚できるはずだ」
女性が言っている内容は殆ど分からないが、信じるしかない。
どうせこのままだと、自分は死んでしまうのだ。
何故こんな所にいるのか?
こんな怪我をしているのか?
自分の名前は何だ?
……そんなことも分からないまま死ぬのは、とても悔しいことに思えた。
「っ、く……」
少年は朦朧とする意識の中で、女性に言われた通りに左手を開き、念じる。
(魔法カタログ……召喚)
すると、
「…………あ、ぁ」
どこからともなく青い光の粒子が集まり、一冊の光る文庫本が召喚された。
「よし。次は『魔法単語』だ」
少し急かすように、言われる。
「その傷を治せるような意味を持つ単語を念じて『魔法単語、抽選』と唱えるんだ」
女性は少年の左手を握って、光る本の上に乗せた。
「……ちなみに言っておくが、[神]とか[命]とか、あまり大袈裟すぎる単語は止めておいた方が良い。ハズレを引く確率が高くなってしまうからな」
「…………」
そう言われても、この状況で、気の利いた単語なんてすぐに思いつかない。
片腕はぐちゃぐちゃで、内臓もズタズタなのだ。
血も多く失った。
しかし、できることなら、
「この、身体を……も、もとに…………[戻]し……たい」
少年は、宙に浮く魔法カタログに手をかざし、唱えた。
「魔法単語、抽選」
するとカタログが強く発光し、風も吹いていないのにページが激しく捲れ始めた。
そして数秒後、ページが止まる。
『抽選』とやらが、終わったのだ。
あまり高望みをすればハズレを引いてしまうと、女性は言った。
だから少年は、この死にかけの身体を最低限救うだけの、何かを望んだ。
――その明確で限定的な願いが、功を奏したのかもしれない。
抽選結果を示す、少年の取得した『単語』のページには、
[戻] 2/3 極使/不可 操作(20) 吸収(40) 生成(40)
世界共通語ではない。『漢字』と呼ばれる文字で、そう記されていた。
「……なるほど[戻]か! 世界で3人しか所持できない単語を、よく引き当てられたものだな……いや感心している場合じゃなかった。早く! その魔法を使うんだ」
「…………」
少年は、自分の身体に視線を落とした。
やはり、酷い有様だ。
本当に可能ならば、元に戻したい。
そう思った瞬間。
「っ!」
空中で何かが『生成』され、少年の腹と腕へ流れ込み始めた。
――血だ。
魔力の粒子が温かい血液に変換され、傷口から少年の身体へと入っていく。
脇腹の痛みが、だんだんと鎮まっていく。
10mm程度の穴が空いていた部分は、あっという間に新しい細胞が補填されて塞がった。
さらに右腕の、不自然な方向へ折れていた骨がミシミシと元へ戻っていく。
そして正常な位置に骨が収まると、泥や砂が吐き出されて、傷口が完全に塞がった。
――――傷が、塞がったのだ。
助かった。
訳の分からない状況の中で、訳の分からない現象で、絶命の危機を免れた。
痛みもほとんど消えて、呼吸が楽になる。
少年は胸いっぱいに空気を吸い込んで、吐き出した。
「これは、大した才能だな。しかし、この治る順番は……」
その様子を、女性は何か考えるようにじっと見つめていたが、少年と目が合うと柔らかく笑った。
「さて……これでひとまず、キミの命は助かったな。なに、アドバイスの礼は要らないよ。私はキミに、生きていてもらわないといけなかったからね。ひとつ貸し、というワケだ」
少年の引き締まった身体がひょいと持ち上げられ、おんぶされる。
女性の背中は柔らかく、良い匂いがした。
「さて、では追手が来る前に、ここを脱出するとしよう」
「追手……ですか?」
「そうか、記憶喪失だったな。ええと……端的に言うと、キミは高確率で悪い組織に追われている。だから優しい私が、手厚く保護をしてあげようという訳だ」
ふふん、と女性は鼻を鳴らして言った。
「あ、あなたは、一体……?」
「私か? 私は、雨目空だ」
少年の問いに、女性は答えた。
「この都市じゃ少ないが、『世界共通語』ではなく『漢字』の名前なんだ。雨目が苗字で、空が名前。まあ、1人で細々と私立探偵をやっている者さ」
「た、探偵?」
「ああ。カタログ魔法専門のな。だから、安心するといい。キミが巻き込まれた、この事件――――」
雨目と名乗った女性探偵は、肩越しに少年へ笑いかけた。
「――――私の魔法と、ほんの少しの推理で、解決してあげるとも」
それが少年と雨目空の、最初の出会いだった。