第18話 0 11 356
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――3年前。
その少年には、何も無かった。
何も無い日々を、ただ過ごしていた。
都市の外れに拾い物のビニールシートと鉄パイプで小屋を作り、寝泊まりをしていた。
森や川が近くにあったので、魚や虫を捕まえて日々の飢えをしのいでいた。
ただ、それだけの生活だった。
同じことの繰り返しだ。
夢も目標も楽しみもなく、ただ『死ぬのは何となく嫌だ』という感情のみで動く人形のようだった。
他の、同じような境遇の人達はどうだったのだろう?
分からない。
少なくとも自分にとっては、何もない人生だった。
「――――選ばせてあげるよ」
ある雨の日。
ドロドロの地面に座り込んで、ぼうっと空を見上げる視界に、1人の女性が映り込んだ。
黒いレインコートを着てフードまで被っていたが、金髪の美人だということは分かった。
「なーんにもないけど、安全安心の今の生活を続けるか。危ないしキツイし嫌なこともあるけど、誰かに必要とされる生活に飛び込むか」
女性は指を2本立てて、突き出した。
「さあ、どっちがいい?」
一瞬迷ったが、答えはすぐに決まる。
後者の方が、今より少しはマシに思えた。
だから少年は自分の意思で、そちらを選んだ。
「にへへ。歓迎するよ」
女性は子供のような笑い方をして、頭を撫でてきた。
すると不思議なことに、頭の中に地図が浮かび上がる。
滝の傍にある、特殊な迷彩魔法で隠された入り口だ。
女性が去った次の日、少年はそこへ向かった。
自らの意思で、頭の中の地図に示された監視カメラや通行人に見つからない道を、隠れて進んだ。
施設に入ってからは、地獄の日々だった。
過去の名前(愛着は無かったが)は剥奪され、『11番』と呼ばれるようになった。
殴られ、蹴られ、暴言を吐かれ。知識や家事や戦闘の『教育』を受け続けた。
それらは全て、あの金髪女性に雇われた大人達が行っていた。
大人達から『ボス』と呼ばれていたその女性は、定期的に施設を訪れていた。
畏まった大人達に施設の様子を尋ね、それが終わると子供達1人1人の話を聞いていく。
彼女が訪れた日は、『教育係』からの暴力がとても少なくなるような感じがした。
――――しかし子供達は皆、彼女を恨んでいた。
聞いていた話と違う、とか。
奴隷にされるなんて知らなかった、とか。
金儲けのための詐欺だ、とか。
――――本当に、その通りだと思った。
いくら表面が優しくても、やっている事は酷い犯罪だ。
例え本当に、前の生活よりはマシになっていたとしても。
「――――実はね、アタシも昔はきみたちと同じ、ホームレスだったんだぁ」
ある日、その女性は珍しく自分のことを語り始めた。
少年がこの施設で1番特別な『教育』を受けていたからか、『ボス』の女性は少年を呼び出して、2人で会話をすることをしばしば望んだ。
今思うと、少年はいわゆる『お気に入り』だったのかもしれない。
「……お父さんは居なくて、お母さんは娼館で働いてたんだけど、アタシが10歳くらいのときに客に殴られ過ぎて死んじゃってね。そこから1人で生きていくのは、大変だったなあ。何年か前のキミみたいに毎日毎日、その日のご飯のことだけを考えてたよ」
女性はその過去を、何故か笑顔で語る。
「でもね。アタシには1つだけ、『武器』があったんだ」
そう言って両手の人差し指で、美形の顔にできたえくぼを指差して見せる。
「可愛い、って『武器』がね。これのおかげで、ある金持ちの変態オジサンの目に留まって、拾われた。一応『養子』ってことでね。12歳のときだったかな。それからはまあ…………色々と嫌なことばっかりだったけど、それでも何とか生きていくことができた。綺麗な服も着られたし、時々ヘンなもの混ぜられたけど、まともな食事もとることができた。段ボールとビニールシートの小屋の中じゃ学べなかった社会を、知ることができたんだ」
「その……オジサンは、今は……?」
「…………にへへ」
女性は満面の笑みで、右手の指をワキワキと動かす。
それだけで、その男性の末路は容易に想像できた。
「でも、今ではむしろ感謝してるんだよ? アタシに『機会』を与えてくれて、ありがとーってね」
「…………でもそれは……」
決して、人権のある1人の少女が受けるべき待遇ではない。
「衣食住や学を与えられた恩があるからと言っても、許して良いことじゃない……かと」
「にへへ。そうかもね」
女性は、はにかんだ。
「だけど、そんな状況から這い上がることでしか、欲しい生活を手に入れられない人だって居るんだよ。キミも分かってるとは思うけどね」
「僕は……」
思い出す。
自分が無になる前の、マイナスの過去を。
「たくさん、殺しました」
自分の両手を、見つめる。
「7歳か8歳の頃から銃やナイフを握らされて……子供だから、みんな油断するから……それで、他の都市の要人とか、犯罪組織の幹部とか、色んな人を次々と……」
「凄腕暗殺者、ってわけだねえ。でも嫌になったから『親』も殺して、逃げ出したんだ?」
「……はい」
「人殺しの才能が、怖い?」
「………………はい」
「でもそれも、キミの『武器』だよ。だからこそキミはここで一番グレードの高い『教育』を受けているし、注文したお客さんも、すんごい立場の人なんだから」
「………………」
「んん? まだあんまりスッキリしない感じかな?」
「どうしても、奴隷とか……そういうのじゃないと、駄目なんですか?」
「え?」
「僕は、人を撃つのは嫌だけど……料理とか、掃除は好きです。みんなもそれぞれ、得意なこともあるし、良い所もあります。だから、奴隷じゃなくて、単にそういう仕事を与えてくれれば、僕たちは……」
「無理だよ?」
女性は、首を傾げた。
「キミみたいな人殺しを、フツーの人間が雇ってくれるわけないじゃん? もちろん、他の子もね」
優しい雰囲気はそのままに、しかし己の考えを狂信しているような、断固とした口調だった。
「確かにキミ1人だけを助けるなら、もっと優しい方法があるかもね。でもアタシは、世界中の、昔のアタシみたいな子供達を助けたいの。そうするには、馬鹿みたいにお金も必要だし、大きな組織も必要。そんなの、アタシ1人の経済力と魔法じゃ、まともな方法でやっていけるはずもないでしょ?」
「そ、それは…………」
「…………喋り過ぎたみたいだね。そろそろ行かなくっちゃ。怖い上司に怒られちゃう」
女性は立ち上がると、頭を撫でてきた。
「よしよし。毎回、付き合ってくれてありがとう。流石に今日の会話の記憶は消すけど、また話そうね」
「…………ほ、本当は、もう止めたいんじゃないですかっ……?」
「え?」
「本当は間違ってるって……止めないといけないって、気づいてるんじゃ……ないんですか? こんな、ことっ!」
「…………?」
「僕が、絶対、止めてみせます! こんな施設なんか壊して、あなたを…………かい、ほぅ」
数分間の記憶が消し飛び、そのショックで意識も失う。
「にへへ……無理だろうけど。そういうのも……アリかもね…………じゃあ、ちょっとだけ、楽しみにしてようかな?」
その日から、少年は脱走を考えるようになった。
女性がわざとその感情の記憶を残していたのか、それともミスなのかは分からないが、とにかく『ここから出なきゃ』という強い思いを抱えるようになった。
そして『特別教育の最高級品』という立場を利用して、様々な情報を集めて計画を練り、脱走を実行に移した。
誰一人殺すことなく、拳銃を盗み出し、監視の目を縫って森側の職員用出入り口を目指す。
――――結果的に、脱走は成功した。
少年は、歓喜した。
安堵して、飛び上がりたくなった。
――――しかし、
外へ出た瞬間に、頭に植え付けられた[記]の『安全装置』が作動した。
唐突に自殺したい衝動に駆られ、しかし死にたくないという矛盾した記憶と感情のせめぎ合いが起き、握っていた拳銃が不自然に自分の頭へと向けられていく。
こうなった場合、正気に戻る方法は1つしか考えられなかった。
自殺衝動を超える強烈な『痛み』を自分に与えて、自殺どころじゃない状態になれば良いのだ。
「ふぅー、ふぅ…………」
近くには、十分な強度を持つ金属のガラクタが、ごろごろ転がっている。
一番無力化したいのは、銃を握るこの右腕だ。
…………だったら、この右手を潰すことで強烈な痛みを得るのが効率が良い。
右手の指は、既に引き金にかかっている。
凄まじい握力を発揮する自分の手は、その辺の壁に打ち付けるくらいでは銃を放す気配が無い。
――もう、時間が無い。
自分で自分の身体を傷つけるのは、とても怖かった。
だが今は、それ以上に自分で自分を殺そうとする記憶があるせいで、多少の麻酔にもなった。
震える右腕を何とか押さえつけながら重なった廃車の上に上り、3mくらい下の地面に転がる大きな金属の歯車を、じっと見つめる。
そして、
「う、ううううああっ!」
右腕を下敷きにするように、そこへ思い切り飛び込んだ。
ゴキン、と嫌な音がする。
腕が、有り得ない方向へ折れ曲がる感覚がした。
そして、その衝撃で引き金にかかりっぱなしだった指が動いて、
「あぐうぅっ!?」
左の脇腹を、弾丸が貫いた。
「う、うぁ、あ……」
激痛により、目が覚める。
自殺衝動は無くなり、拳銃から手が離れた。
しかしこの有様では、あまり結果は変わらない。
どのみち、瀕死の重傷だ。
数歩進んで脚に力が入らなくなり、廃車の山に背をもたれるようにして、座り込んだ。
――このまま、死ぬのだろうか。
だとしたら、この脱走には何の意味もなかった。
そもそも何で、こんなことをしようと思い立ったのか。
誰かのためだった気もするが、思い出せない。
そうして、目を閉じようとしたとき。
「あちゃぁ……ヒドイ怪我……だね」
悲痛な声が、聞こえてきた。
「まさか、本当に脱走しちゃうなんて……『安全装置』の解除方法も、見つけてたんだ?」
汗に濡れた頭を、優しく撫でられる。
「にへへ……確かに、これは良い機会なのかもね」
子供のような笑い声。
「じゃあキミを使って、賭けをしようかな?」
記憶が、だんだんと消えていく。
「今からキミの記憶を、全部消す。そしてソラちゃんに連れて行かせる。それでもキミがアタシに辿り着いて、アタシを逮捕できたら……キミの言うことを何でも聞いてあげるよ」
この女性は、何の事を言っているのだろう?
ああ、とにかく、右腕と脇腹が痛い。
「まあでも、ノーヒントだと不公平だしなあ…………キミの記憶に、少しだけ細工をしておくよ。アタシの魔法の発動条件が分かるようにね。ソラちゃんなら、こんな些細なヒントでも、気づいてくれるはずだからね」
「…………」
血が抜けて、身体が寒い。
「……うん。ソラちゃんが、こっちに来るね。それじゃあね『11番』くん。アタシと勝負だよ。まずはちゃんと、その怪我から回復してね?」
そうして、誰かの足音は遠ざかっていき、何か重いものがスライドして閉じる音が聞こえた。
「あ、ぅ…………」
意識が、どんどん遠くなっていく。
さっき何か声や音を聞いた気もするが、それすらも忘れていく。
そして――――――――――
同日、午前3時56分。
――――ミコルは、雨目空と出会った。
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