幾千の彼方
ファンタジーでもミステリーでもない。
ある意味ラブストーリーだけど、恋でも、愛でもないような。
私と相対するとき、人は期待と畏怖の狭間を揺れるような表情で顔を伏せる。
この町一帯の地主である八坂家の男子に伝わるこの能力は、目を合わせることで発動するものではないのだが、大抵の人は未来を知りたいと言いながらも、心の内まで見透かされそうなのを嫌って、目を逸らすのだ。
目の前の男も、畳の目の数でも数えているのか目線を下に向けたまま動かさなかった。
「そ、それでどうですか? 子どもはどっちでしょうか?」
じっと見つめられるだけの沈黙に耐えかねて、男は先に口を開いた。
結婚を考えている女性との間に生まれる子どもが男の子ならば、このまま婚姻を進める。そして、女の子ならば、何か理由をつけて別れを切り出すつもりだ、そう男は話した。
未来を視る『先見師』と呼ばれるこの力を持つ者は、視たものに感情を動かしてはならない。
「……男の子ですよ」
そう告げると男はほっと胸を撫で下ろした。
女の子ならば別れると言っていたが、男の子であってほしいというのがこの男の本音なのだろうか。本当は心からその女性と結婚したいと願っていたのか。
未来が視えるからと言って、人の心まで分かるのではない。
深々と頭を下げて部屋を出て行こうとする男を呼び止めてから、少し次の言葉に迷ってじっと男の目を見つめると、男は「ど、どうかなさいましたか?」と居心地が悪そうに後ずさりした。
「火に……気を付けて」
「は? 火、ですか?」
男は火の気のない閑散とした部屋を見渡して首を傾げたが、私がそれ以上は何も語らないと分かると足早に去って行った。
先見師は、望まれた事柄以外の未来について口にしてはならない。
しかし、たとえ何を話したところで視えた未来は変わらない。
そんなことは百も承知だ。最近の私はどうかしているのだ。
文机しかない部屋に黒く分厚い霧が立ち込めている気がして、立ち上がって襖を開けた。植木一つない廃れた庭があるだけだが、部屋にこもっている空気よりはいくらかマシだった。
深呼吸していると、荷物をたくさん抱えた少女がふらふらしながら、こっちへ歩いてきた。
「一葉、そんな風に一度に運ぼうとすると――」
転びますよ、と言い終わる前につまずいて、顔面から荷物もろとも地面に転がった。
縁側に座らせて転んで擦りむいた鼻を手当てしてやると、
「さすが千樹様、わたしが転ぶこともお見通しでしたね!」
と言って笑った。
半年前から私の小間使いとして働いているこの少女は、十四歳という歳の割に幼く感じられた。
「視なくても、わかりますよ」
苦笑しながら言い、地面に転がったままの荷物を見やると、錆びたバケツやシャベルが散乱していた。
「何をするんですか?」
そう何気なく問うと、一葉は不思議そうに目を丸くした。こげ茶色の瞳が真っ直ぐ私の目を見つめてくる。未来を視られるわけでも、心を読まれるわけでもないが、一点の曇りもないその視線にたじろいでしまう。
「千樹様が質問するのは、珍しいなって思って」
そうだろう。普段は人に『何をするのか?』など聞かなくても、視れば分かる。
この能力は水道の様に制御できる。蛇口を閉めれば視ないことも出来るし、開けっ放しにすれば流れる様に未来が視える。普段はむやみに視ないよう蛇口を閉めているが、初対面の人間に対しては警戒して蛇口を少し開く。
しかし半年前、新しい小間使いとしてこの少女を紹介された時は驚いた。
未来が視えない人間。そして、私の目を真っ直ぐ見てくる人間。そして、半年経った今でも、私を恐れるどころか、呼ぶ前に駆け寄ってくる。
「そこに花を植えようと思って、倉庫から色々道具を持ってきたんです」
一葉が庭を指さした。庭に降りて転がったままのシャベルやバケツを拾い上げ、手を広げて楽しそうに言った。
「たくさん花を植えて、実が生る木も植えて、池を作ってそこに魚を放して――」
「そこに花は咲かない」
未来が流れてくる。何年経ってもこの庭は雑草の一本も咲かない無機質なまま。平然と残酷な未来を告げる私には似合いだと、誰かが言っていた。
一葉の丸い瞳に見つめられて、はっとする。軽やかな音楽の様に、テンポよく話す一葉の声に水を差してしまった。
「いえ、あの……。そこの土は、花が育たないのです。み、水捌けが悪いのか……」
傷つけたかと慌てて言い訳をするのも、一葉がどんな反応をするのか分からないからだ。未来の視える人ならば、こんなに言葉を選ぶこともない。
「じゃあ」
一葉が荷物を片づけるのを止めて、縁側に寝転んでいたずらっぽく言った。
「賭けますか?」
「え?」
今度は私が目を丸くする番だった。私を驚かせる人間は、この世に一葉ひとりだけだ。
「花が咲いたら、わたしの勝ちです。勝ったら、未来の視かた教えてくれます?」
「み、未来の視かた?」
未来を視る私に賭けを持ち掛けるとは。
年頃の少女は髪を伸ばして結い上げるものだが、一葉の髪は短く、風に吹かれるとすぐにぼさぼさになる。それを直すでもなくおもむろに頬杖をついた。
何を考えているのか、考えていないのか。面白い子どもだ。
一葉が私の顔を見て、歯を見せてにっと笑った。
*****
ある日の静かな昼下がり。墨が無くなったのでお使いを頼もうと一葉を探していると、台所の方から声がした。
「一葉、お前は怖くないのか?」
つまみ食いしようと料理に手を伸ばしかけていた一葉は、女中頭の小梅に見つかって仕方なく手を引っ込めた。
「何が?」
残念そうに料理を見つめる一葉に、薪を運びに来ていた青年が再び問いかけた。
「千樹様だよ。あんなに近くにいて、怖くないのか?」
「怖い?」
「だって、全部が視えているんだぞ。未来が視えるって、心まで見透かされているみたいで、怖いじゃないか。そんなに俺と歳も変わらないけど、親父なんかより何倍も怖いさ」
心までは視えないのだが、行動が分かるのだから同じことだと思う人もいるだろう。
見かけたことのある青年だと思ったら、長年勤めている女中の息子だ。時々、すれ違うくらいだが、いつも頭を下げていて目が合ったことすらない。
「千樹様は怖くないよ。あんなに優しくて綺麗な男の人はこの世にただ一人だと思うな。どうして怖いなんて思うのか、わたしには分からないよ」
本当に分からない、という顔をした一葉を青年は訝しげに眺めた。
「あの方のお付きは誰もやりたがらない。たまに、未来のいい事を教えてもらえるかもって下心のある人が、お付きになりたがったりもするけど、あの氷のような不思議な目を向けられるのに耐えられなくなって、すぐ辞めてしまうんだ」
そうだ。そして、困り果てた一族の者が、身寄りもなく何の事情も知らない一葉を見つけてきて、私の小間使いにあてがったのだ。
「確かに、千樹様と一緒にいると、いい事がたくさんあるよ」
一葉が無邪気にそう言うのが聞こえて、心臓に鋭い刃物を押し当てられたような気がした。利益が無ければ、傍にいる理由なんてない。当たり前のことだ。そんな当たり前のことに私は傷ついているのか。
その場を去ろうと踵を返すと、続けてこう話す一葉の声が聞こえた。
「あのね、千樹様は出掛けるといつもお土産を買ってきてくれるんだ。甘いもの。それで、それを一緒に食べましょうって言ってくれる」
「……うん?」
青年は予想していた『いい事』とは少し違ったのか、困惑した声を出した。
「それから、千樹様は笑うと、目が半月みたいになるんだ。凄く可愛いんだよ。みんな知らないでしょう? わたしの独り占めだ」
一葉の笑い声が耳に響く。
私の心臓は温かくて柔らかい布で包まれたようにじんわりと熱をもった。
一葉の傍にいると、未来は可能性に溢れているものに思えてくる。あの子の未来が視えないのは、あの子の未来が白紙だから。どんなことも出来る。どんなものにもなれる。そんな気がしてくるのだ。
今出て行って声を掛ければ、その場の空気が凍ることは未来を視なくても分かるので、自分で出掛けることにしよう。そして、一葉に何かお土産を買って来るとしよう。部屋に戻り外套を羽織って外へ出ると、庭に土を掘り返した跡があった。『かだんよていち』地面に刺さっている木札に書かれた、たどたどしい文字は一葉が描いたものだろう。思わずふっと息が漏れた。
門番に声を掛けると、己が代わりに行くべきだろうか、こうして戸惑う心も見通されているだろうか、と苦悩するのが分かっていたので誰にも見つからないようにそっと裏の戸口から家を抜け出した。
あの家で私を探す者は一葉くらいだ。夕飯の前に戻れば問題ないだろう。
家の前の通りを抜け、脇道の路地にひっそりとある文具店に入って、目的の墨を買う。いつもの店主はいないようで、私が誰かを知らない若い娘が店番だった。いつも必要以上にもてなす店主が苦手だったので助かった。
大通りに出ると、すれ違う人の波に飲まれそうになるのを必死で堪え、露店の脇の隙間に滑り込んでほっと息をついた。ここ最近は先見師の務めが忙しく世間に疎かったが、普段より通りが賑わっている気がするのは、どうやら祭りをやっているらしかった。
思い返せば、私が忙しいので一葉が『もうすぐ祭りが終わってしまう』と嘆いていた。やはり、声を掛けて一緒に来れば良かったと後悔したが、もう遅い。
こんな些細な事に後悔する己が物珍しくて、行き交う人に不審がられないよう口元を隠して少しだけ笑った。
見かけない露店が立ち並び、大きな掛け声が混ざり合う。ここを一葉と並んで歩くのは、とても面白そうだ。ころころ変わる表情。どんどん先へと急かし、私の手を引くだろう。
不意に珍しい露店が目に入って立ち止まる。
「お兄さん、どうだい? ここらじゃ見ない花が咲くよ」
恰幅の良い男がにこやかに呼びかけてきた。少しだけ蛇口を開いて視てみるが、どうやらまがい物ではないらしい。確かにこの辺りでは見かけない花の種のようだ。
茎は長く伸び葉は青々と大きく広がった。濃い黄色に僅かばかり赤みがさした花びらが、太陽に向かって開く。
「ひと包みください」
この種を渡したら、一葉はどんな顔をするのだろう。そんな想像をするのも初めてだ。
小さな包みを懐にしまい、家に足を向けた時、隣の露店の店主の話が耳に入ってきた。
「火事で、あそこの店は全焼したらしいぞ」
「ここらじゃ一番大きな店だったのにね」
品物を吟味していた客の女がそう言い、店主は神妙に頷いた。
「それに、結婚を控えていたらしいが、破談になったそうだ」
「相手の女は、店のお金目当てだったってもっぱらの噂よ。その店が無くなったのに、愛がない男の世話なんてできるわけないわ」
客の女がどちらに同情しているのか分からないことを言ったが。店主は取り合わずに「そんなことより」と声を潜めて言った。
「火事のことを、千樹様は予言していたらしいぞ」
「まぁ、そうなの?」
「この前の嵐のことも予言しただろう。俺は時々、あの方は未来を視ているのではなく、未来を操っているんじゃないかと思えてくるよ」
そうだったなら、どんなに良かっただろう。
その場に立ち尽くしたままでいると、花の種を私に売った男が「どうかしたのかい?」と声を掛けてきて、その声に噂話をしていた隣の店主がこっちに目を向けた。
「あ、あなたは……」
店主が一瞬にして青ざめるのを見て、身を翻し人目を避けて足早にその場から離れた。
どんどん熱が冷めていく。あんなに温かく弾んでいた胸の鼓動が、凍り付いたように止まった。
未来を操れたなら、どんなに良かっただろう。現実の私は、未来が視えるだけだ。未来を変える力もなく、ただ未来が視えるだけなのだ。恐ろしい未来も。苦しい未来も。
それなのに、私は種など買って、何をしているのか。あそこに花は咲かないのに。
流れてくる人々の波に弾き出され、道の端で呆然とその波を眺めた。
先見師の力を持って生まれた者の命は、短命だ。私もそう遠くない未来に命が尽きる。
一葉の未来は視えないが、分かる。
あの子の未来に、私はいない。
それが私は、心が千切れそうなくらい、寂しいのだ。
******
家の近くまで戻って来ると、門の前を掃き掃除をしていた一葉が私を見つけて駆け寄ってきた。
「千樹様! どこに行っていたんですか? 探していたんですよ」
上手く一葉を見る自信が無くて、あからさまに顔を背けてしまった。
「……散歩ですよ」
「いいなぁ! わたしも行きたかったです。お土産ありますか?」
懐に入れた小さな包みの重みを感じながら、無理矢理に微笑んだ。
「ありませんよ。ただの、散歩ですから」
それだけ告げて、足早に玄関へ向かった。何か言いたげな一葉の視線を背中に感じたが、足を緩めることなく、そのまま家の中に入った。
重い石を飲み込んだようだ。部屋に入ると途端に力が抜けて、畳に膝をついたまましばらくそのままで過ごした。
日が傾いて部屋の中が薄暗くなった頃、誰かの呼びかける声がした。
「千樹様! 千樹様!」
あんなに大きな声で私のことを呼ぶのはたった一人だ。
「千樹様! 出てきて下さい!」
どうしたのか。そんなに慌てなくても今行きますよ。
思うように身体が動かず立ち上がるのもやっとで、踏み出した足は空回りしている気がした。
「千樹様、早く来てください! 花が咲きました!」
え?
途端に踏み出した一歩は大きくなり、鈍かった手の感覚が戻って襖を勢いよく開け放った。
夕方とは思えない眩しさで目を眇めたが、確かに庭には花が咲き乱れていた。鮮やかな色とりどりの花が。そんな、そんなはずがない。
「綺麗でしょう?」
そう声を掛けられて振り向くと、見覚えのある少女が笑っていた。いや、少女というには大人びていて背が高い。髪も長くて後ろで結っている。しかし、瞳は一葉と同じこげ茶色をしていた。
「千樹様?」
君は誰だ?
身体がガクッと後ろに傾き、慌てて壁に寄りかかって支えると、壁にかかった鏡に自分が映っていた。
何処となく違和感のあるその姿。ほっそりした顎。目尻が少し下がった目元。
あれは、私か?
確かに私だが、見たことのない私だ。まるで――
「千樹様」
その声に反応して身体を起こした時、一瞬その場が何処なのかを飲み込めなかった。荒い息を整えながら見渡して、何もない閑散とした自分の部屋だと分かった。
外套を着たまま文机に突っ伏して眠ってしまったようだ。
何処からが夢なのか。
いや、現実であるはずがない。全て夢だ。
「千樹様」
夢と同じように、一葉が私を呼ぶ声がした。
どたどたと慌ただしい足音が近づいてきて、勢いよく破裂するような音を立てて襖が開いた。
「千樹様!」
音に驚いて目をしばたたいていると、一葉が「あ、眠っていました?」と勢いを引っ込めて言った。
「そんなに慌てて……」
また質問をする。どうかしたのか。
先程の夢と現実が混ざり合う。
「まさか……花が、咲いたのですか?」
「え?」
私の言葉に一葉がこげ茶色の瞳を揺らし、そして、申し訳なさそうに眉を下げて言った。
「まだです。だって、まだ種も植えてないんですよ」
立ち上がって縁側に出ると、雑草一本もない侘しい庭があるだけだった。よろめいた私の身体を慌てて一葉が支え、ゆっくり縁側に腰を下ろした。
あの一瞬の幻が、絶望を深くした。未来は変わらない。
「まだ種を買っていなくて。でも、千樹様も楽しみにしていてくれたんですね」
隣に座った一葉が顔を覗きこんでくる。先程夢に見た少女が重なり、目の前が霞んだ。
「……一葉、花は咲かないのです」
声が震えた。内側から押し寄せる、波のような感情が流れてこないよう、目を閉じた。
「未来が視えたのです。私の視えた未来は必ず現実になる。この前、子どものことを尋ねてきた男がいました。私の視た未来では、子どもは生まれなかった。二人は結婚せず、別れたからです。でも、私は嘘をつきました。未来を変えられるかと……。最低です。先見師としても、人としても……」
私の言葉の語尾をさらうように風が吹いた。木々の騒めきも鳥のさえずりも聞こえない、静かな風だった。いつも一葉が止めどなく話すので、二人でいるのにこんなに静かなのは初めてだった。幻滅しただろうか。
一番残酷なのは、子どもの性別を気にして結婚を決めた男でも、店の金目当てだった女でもなく、全てを知りながら何も告げない私ではないのか。未来を告げても、告げなくても、私には傷つけることしかできないのだ。
「千樹様は何も悪くないじゃないですか」
一葉が縁側から地面に降りた気配がした。目を開けると、一葉は目の前に立っていて、思っていたよりも近くで私を見つめていた。
「どうして他人の未来のことで、千樹様が傷つかなくちゃいけないんですか」
そう言って、おもむろに小さな両手で私の顔を包んだ。指で目の下を拭われて、ようやく自分の頬が濡れていることに気が付いた。
「その人の未来は、その人の責任ですよ。お店の跡継ぎの男の子を生めるかどうか確かめて求婚して、でも二股していた幼馴染への未練が捨てきれなくて、酔っぱらって仏壇のロウソクを倒してお店が全焼して、その挙句にお金目当てだった結婚相手に捨てられたのは、間違いなくその人の責任ですよ」
「…………えぇ?」
こんな素っ頓狂な声は初めて出した。
「知らなかったんですか? この辺りじゃ結構な噂になっていますよ。この家でも女中さんが噂していて……。千樹様が視るのは未来の出来事だけで、細かな事情までは分からないんですね?」
どうしてか、出来ないのに出来ると言い張ってしまった子どものような気分になった。大きな木があったら今すぐにてっぺんまで登りたい気持ちだったが、ここには雑草すら生えていない。顔を小さい手で包まれたままだったので、余計にいたたまれなかった。
「未来に起こることは、大体が自分のせいですよ。その人が結婚相手を失ったのも、店を全焼させたのも。わたしがこの後、小梅さんに怒られるのも、わたしがお団子をつまみ食いしたせいですし」
「お団子……?」
そう言われてみると、頬に添えられた手から、香ばしくて甘い香りがした。
小梅の目を盗んで、素早く口いっぱいに団子を頬張る一葉の姿が脳裏に浮かんで、思わず口元が緩んだ。
「あ、また、半月」
一葉が嬉しそうにそう言って手を頬から離した。一瞬何のことか分からずに首を傾げたが、青年に話していた言葉を思い出し、顔が熱くなるのが分かった。
「それから、花のことですけど、賭けは必ずわたしが勝ちますよ。だって、咲くまで諦めなければ、いつかは咲きますから。一年後でも、五年後でも、十年後でも。そう思うのは自由ですよね。だって、わたしの未来ですから。だから、急かさないで気長に待っていてください」
からっと晴れた空の様に告げる少女の声が、身体に入った重い石を溶かしていく。
未来が変わらない現実はそのままなのに、一葉の視ている未来に私がいる。それだけで、私の心は全てを手に入れたように満たされる。
「分かりました。待っています」
私の言葉に、一葉が嬉しそうに頷いた。私もまた半月の目をして笑っているのだろうか。
「それはそうと、わたしは、未来を変える方法を、一つだけ知っているんです」
一葉が珍しく真顔で言い、周囲をきょろきょろ見渡すと、顔を近づけ声を落として言った。
「わたしとお団子を買いに行ってください。そして、小梅さんにばれる前に棚へ入れておけば、未来が変わります」
確かに、未来が変わる。
思わず苦笑すると、了解ととったのか一葉は安心したようにほっと息を吐き「それから種も買いましょう」と言った。
小さな包みの重みを思い出し、懐から取り出した。
「……実はさっき、散歩のついでに買ったのです。珍しい花が咲くと聞いたので」
目を輝かせて包みを開いた一葉が、種を一粒指で掴んで空にかざした。
「どんな花が咲くんですか?」
「一葉みたいな花です」
「わたしみたいな? それってどんなですか?」
「それは、咲いてからのお楽しみです」
こんなことを言う自分は、どんな未来にもいなかった。これは、未来が変わったのだろうか。それとも、この変化も運命の内だろうか。たとえそうでも、夢うつつに視たあの光景を心に願うのは、私の自由だ。私の未来だから。
そんなことを考えていると、一葉があの花のように朗らかに声を立てて笑った。