筆者の怒りを聞いてください…()
起きた。そして自然と頭を枕につけたまま目覚まし時計を見る。目を離した。あぁ…つかれt…ん!?ちょっと待って!?やばい。明らかにやばい。明日学校なのに2時に起きてしまった…寝れない…うん、やばい…!!夜ご飯食べてないからお腹も空いたし()
夜は病みやすいしなぁ…どこかで聞いただけだかけど、疲れると本能的に脳がネガティブに考え始めるらしい。寝る寸前は一番疲れているかもな…この時間になると、自分からも狂気を感じるようになる。狂っている人というのは、いつも何か信号を出しているから、わかりやすい。でも、その信号を見すぎると「なれてしまって」、あまり気にしなくなってしまう。色々な人からよく嫌われる「かまってちゃん」を例にして話をしてみるか…
構ってもらいたい。シンプルな、誰にでもある思い。そして、子供の頃あまりかまってもらえず、構ってもらうためにはなにかしなくては!と考察を進めて生きてきた子はいわゆる構ってちゃんなのかもしれない。僕と遊んで!!話して!!笑って!!もう、心の叫びに感じる。彼ら彼女らの行動から透けるその思いはとてもシンプルだけど、透けすぎてて思い道理になるのを嫌だと感じる人も多いかもね。でも、それは叫びなんだよ。それを放置したり、叩いたり、封じ込めようとしたり、思い通りにしようとするとすごい勢いで狂気を放つ人が増えていってしまう気がする。ただでさえ多いのに。
一旦狂っているという表現を自分の視点でどう把握しているか説明すると、別に目に見えるように狂っている人限定ではなく。そういう雰囲気を出している人はかなりいるはずで。そういう人は普段と違って、お酒で自己コントロールを失ったり、車を運転する途端に態度が変わったり、いい結果が出る度に自慢を始めたり。何か自然と、普段とは違って悲鳴を上げているような行動をする人は少なからず狂ってしまっていると考える。普段使われるような悪口のような「狂った」ではない。僕も少なからず狂うときがあって、いわゆる爆発というものかもしれない。
で、そんな狂気の雰囲気を漂わせ、行動まで不快を感じる事をする人の行動を抑え込んだりしてみようか。さっきの場合で言うなら、構ってちゃんを完全にスルーして、構ってちゃんが他の人に寄り添おうとしたときにそれも抑えるとしよう。どうなるのだろうか…?狂う気持ちをそのままの波長で放置させると、殺気になると思ってる。
ニュースで、殺人をした人がいるとしよう。その人はきっと酷いのだろう。頑張って生きている人を殺し、殺された人の周りの人も傷つけ、自分の周りの人にはとてつもない恐怖感を味わせ。そんな損しかないこと、普通の人ならするだろうか?しない。ニュースに出てた殺人者はきっととてもやばいやつなのだろう…!
そうなのか…?皆少なからず殺気は持っていると思う。例えば、家族と遊ぼうとするたびに、勉強しろとか言われて?勉強いつもより少し頑張って、時間通りご飯を食べれなくて、叱られて?がんばって、時間を裂いて、学校に受からなかったら、家族からも否定されて、やっぱり勉強足りなかったんだなって言われて?殺気というものは少なからず湧くと思う。後は爆発するまでこれを続けてあげれば、殺人鬼の完成だよ。さぁ、悪いのはこの人だけかな…?犯罪はいけないことだけど、犯罪者だけが全てを背負うべきなのかな…?
ちなみに殺気が爆発しつつ、他人を殺さない方法も一つある。自分を…という方法だ。でも、自殺者が自殺したのには一つの事だけが原因という事は少ない。いじめっ子のせいだとしても、それを止めることができた人達は沢山いたはずである。まあ、いじめっ子も狂っている人であって、その人の周りと…また責任を広げていくのは批判を食らうだろう。一人のせいにしちゃえば皆楽なのだ。
僕は今の世の中が嫌いだよ。狂った人が人を育て、その人もまた狂う。広がっていく。法律じゃ何もできない。感謝の気持ちはどこに行ったんだろう。いつから嫌いなものは避け、好きなものだけを追いかける世の中になったんだろう。敬語や、敬意は、作るものなのだろうか?マニュアル道理にやるべきものなのだろうか?ロボットではなく、人間にしかできないこと、沢山あるはずなのである。一番助けが必要な人をも、助けることはできないなんて、ほんとに嫌だな。考えただけで涙が出そう。でも、感情も出さずに冷静にいたほうがよく見られるよね。という、おれの愚痴w腹がたった。事があった。それに対しての嘆きかもしれない。少なからず狂っている僕の話をどこまで真に受けるかは、しっかり見極めてほしい。
まあ…ちょっとこのままで終わらせるのは気分がブルーになって心配なので…w傷付きにくい方法をについて話してみようか。あまり傷つかない人にとっては、かなりわかりきった話だけど、説明するのが少し難しい。感覚に近いことであるから。それは、信じ切ることをしない事である。大体のものはバランスが大事で、信じることも、半分にしたほうが無駄に傷つきすぎることが少なくなる。信じ切って、頼り切って、その結果理想と少しだけずれていると、とても傷ついてしまう。逆に疑い過ぎもあまり良くない。人は独りでは生きていけない生き物だし、疑いすぎると自分が辛くなってしまう。疲れて。信じるにしても、疑うにしても、少なくても残りの一割だけでも他の可能性を残してあげると、痛みが減る。「絶対に」「〇〇でしょ/だろ」「ありえない」「関係ない」。こういう言葉を使うことが多い人は気をつけてみるといいかもしれない。冗談の時のことではなく、普段からだね。うーん…例えば…「絶対こんなこと言うの小学生だろ」とか、「私まったく悪くない」とか、「彼女なのに浮気するのとかありえないー!」とか、が結構見かけるかな…信じ切ってしまうと、反対の意見がすべて受け入れられなくなるからね…そして簡単に信じる人には、すがる傾向がある気がする。依存感というか…まあすがることについてはまたいつか話すかもね!
あぁ…頭が回りすぎて寝れそうにないな…あ、フクロウみたいにぐりぐりぐりって行くわけじゃないよ??脳みそフル回転ってことね!豆粒みたいな大きさで、頭をふるとあちこちコンコンって音がなるけど。あ、冗談だけど!人狼でもやろうかな…あ…アンチの話もしようかな今度。明日は…つんだっぺ!!!終わりっペ!!
お疲れ様です!!嫌な感じたくさん出たね!すみません…
あ、言い忘れたけど、迷惑のかけるかけないも、バランスが大事!迷惑はかけてくれていい!全くかけないのはよくない!
細菌…じゃなくて最近、筆者は人狼にハマっているのだが、主な理由はこの傷つかないように、信じることのさじ加減を把握するためにある。練習できて、プレイもできて、プレッシャーを楽しむ練習もできるいい環境だった。
では!!じゃんけん!!ぽん!!!
パー!!今回は超特別に負けてあげるよ…!☆またね!