MYMIMI:2015 - ふたつの心を宿す本
※この作品は志室幸太郎様主宰のシェアード・ワールド小説企画「コロンシリーズ」参加作品です。
ある朝の事。シドが登校し昇降口に入ると靴箱の前でミミミを見付けた。いつも通り声をかけようとした彼だったが、彼女の様子を見てつい言葉を切った。
「おう、ミ……」
「ん? ……おう、シド」
シドに気付くミミミ。彼は思わず黙り込む。
「ん? どうかした?」
「……い、いや、何でもない」
「?」
適当に取り繕いミミミの質問をやり過ごした。
さっきのあれ……あれはもしかしなくても……。
数分後、教室で席に着いていたシドは先ほどの昇降口でのミミミを思い出していた。あの時彼女は、何か手紙の様な物をカバンに入れていた……靴箱に……手紙……。
……ラブレター?
っていやいや、無い無い! 彼はぶんぶんと首を左右に振る。ミミミを好きになる様な奴なんている訳無いって! あいつは相当な変人だ。勝手に人の部屋に入ってくるわAVを見るわ。
ミミミははっきり言って世間からずれている。常識では考えられない言動を度々行う。個性的と言えばそれまでだが、間違い無く変人と呼ばれる部類の人間だろう。事実学校でも彼女は「ちょっと変わった女子」として生徒の間でも教師の間でも有名なのである。悪い奴ではないので嫌われてはいないのだが。
そんなアブノーマルJKに、コクる奴なんて……。
と、ここまで考えた所で彼はふと我に帰る。何で僕がこんなに気になってるんだか。馬鹿馬鹿しい。
「なあシド君」
「うおっ!」
気付けば彼の目の前にミミミの顔があった。本当に目の前だ。触れるか触れないかのスレスレのラインだ。
「芦辺君がボクに話があるそうなんだ」
「近い近い……で、それはわかったけどどうしてそれをわざわざ僕に言うんだよ」
「狩りの依頼なんだそうだ」
ここで言う「狩り」とは、ブックハント、すなわち本探しの事である。
「だから何で僕に言うんだよ」
「えっ?」
「え?」
「えっ?」
「……」
あーはい、僕に巻き込まれろって事ですか……シドがため息をつく間に彼女は芦辺という男子生徒を彼の席まで連れて来た。
芦辺は彼らのクラスメイトである。物静かな性格で、いつも大人しい美術部員だ。
「という訳で芦辺、こいつは秘書のシド」
「勝手に秘書にすんじゃねーよ!」
「……あ、うん、知ってるよ、クラスメイトだし……」
「で? 君が探して欲しい本って何?」
「実は……ノートなんだ」
「ノート?」
シドとミミミのふたりは声を合わせる。
「ノートって、お前……普通のノートか? 授業で使う様な?」
てっきりどこにも売っていない様なレアな本だとか、そういう物だと思っていたシドは拍子抜けした様に尋ねる。
「うん……いつも授業で使ってたノート……地理のノート」
「無くしたの?」
ミミミも聞く。
「うん、昨日……」
「……」
買えよ、彼はそう言おうと思ったのだが少し思考を巡らせる。何か思い入れのある大切なノートなのかもしれない。でなければわざわざミミミに頼んだりなどしないだろう。ノートなんて百均で買える。ただ、授業の記録を見返せないのは辛いが。
「職員室の落とし物コーナーには行ってみたの?」
「うん、行ったけど、僕のノートは届いてなかったよ……」
「ふむ……どこで無くしたのかとか、心当たりは?」
「多分、昨日の昼休み図書室で勉強してたから、図書室の机の上に置き忘れたんだと思うんだ」
「じゃあ図書室には?」
「放課後に気付いて行ったんだけど、どこにも無かったよ。図書委員の人にも聞いたんだけど、そんなの知らないって」
「図書委員ねえ……」
シドはぽつりと呟き、やんわりとある性……いや、生徒の事を思い出した。
「なるほど」
得心の行った様にミミミは頷く。
「地理の授業で使ってたノートか。いいよ、受けたげる」
「ほんと!?」
「3万ね」
「……え?」
「だから、報酬。3万円」
彼女はぴっと三本指を立てた。
「お前……容赦ねーなあ。一介の高校生に」
「身分は関係無いよ。こっちはプロとして仕事してるんだし」
「だそうだけど? どうすんの? 芦辺」
「……」
彼は口を閉ざしていた。三万円。例え学生ではなくても決して安い金額ではない。
「……わかった。出すよ」
苦々しい顔をしながらも芦辺は結論を出した。
「毎度あり。これでも最低ラインだよ。これより下げちゃうとプロとしての沽券に関わるからね」
ミミミは席を立つ。
「では改めて、芦辺君の地理のノートのハント、ここに引き受けた!」
「契約書とか書かないんだね」
「場合によっちゃあ書くけどね。芦辺はクラスメイトだし、口約束だけで済ましとくよ。めんどくさいし」
「僕の処理がな!」
ミミミの契約書の書式はなぜかシドが作成し、しかも保管もしている。
「あ……話し合い終わった?」
頃合いを見計らってシドの前の席の男子がミミミに話しかけた。彼女は勝手に席に座っていた。
同日の放課後。ミミミとシドはパソコン室を訪れていた……というか、やはりシドもまたもやミミミの仕事に付き合わされている。これが初めてではない。
昼休みの内に図書室と職員室の忘れ物コーナーには赴いたのだが、やはりどちらにもターゲットらしき物は無かった。という訳で、ふたりはとある人物を頼る事にしたのである。
「おっ? 客か?」
窓際の一番前の席にいたひとりの男子が彼らの顔を見てから言った。ここでは普段パソコン部が活動をしているのだが、部長であるこの生徒はそれとは別に、もうひとつの肩書きを持っていた。
「よっす先輩!」
「どもー」
ふたりは挨拶を交わす。
「相変わらず仲いいな、お前ら」
「腐れ縁ですよ」
シドが答える。
「で、仕事の依頼か?」
「うん! 学校の事は先輩に聞いた方が早いからね!」
彼らが「先輩」と呼び慕っているのは空次。三年生でパソコン部の部長だ。
そして「道礼高の情報屋」の異名を持つ。この学校についての情報なら彼に聞けば何でも手に入る。気になる女子のスリーサイズ、とある教師のカツラ着用疑惑の真相、職員室における恋愛事情……とにかく、何でもである。彼はミミミと業務上で提携を結び、ハントに必要な情報を提供してくれる。ちなみにその際の依頼料はミミミの報酬の一割である。
「なるほど……図書室で消えたノート、か」
「そ! 先輩には昨日の昼休みから放課後にかけて図書室に行った生徒を調べて欲しいんだ」
「何ならついでに聞き込みもしといてやろうか?」
「おっ! いいの?」
「五分増しでどうだ」
報酬の事である。
「……乗った」
彼女はぱちん、と指を鳴らした。
「ただし、2日でよろしく」
「おいおい、急かすなあ」
「あんまり時間かけると依頼人さん待たせちゃうからね」
「わかった……じゃあ明後日の放課後、また来い」
「よろしく~」
商談が終わりふたりはパソコン室を出た。廊下からは運動場で部活動を行う生徒の姿が目に入る。
「目撃者、いるといいな」
「うん」
「誰かが間違えて持って帰ったのかな」
「それか間違えて捨てられたか……」
「もしくはまた別の可能性、か」
「……さて、生徒への聞き込みは先輩に任せるとして、ボクらにはボクらのやる事がある」
「ああ……って」
やはりさらりと協力する事になっている。
「すまんがミミミ、僕は帰って勉強を……」
「え?」
「えっ?」
「え?」
「えっ?」
「まずはもっかい図書室に行って、詳しくもっかい調査だ」
「あー最近成績下がり始めてる気がするなー!」
「どうせ盗撮系のAVでも見るんだろ」
「見ねーし! 盗撮系とか興味ねーし! 痴漢系だし!」
「引くわ」
この時今朝の昇降口での事がシドの頭によぎったのだが、尋ねるのはやめる事にした。
三日後の教室。彼らは再度芦辺と話をしていた。
「調査の結果、ノートはある生徒に持って帰られた可能性が高い事がわかったよ」
「はあ……やっぱり……」
ミミミは昨日ソラジから受けた報告をそのまま彼に伝える。やっぱりという事は、芦辺もその様な予想を立てていたのだろう。一番大きかった可能性だ。調査途中でわかった事は都度彼に提供する事になっていた。
「それで、誰が持って帰ったのかな……」
「3組の桐野っていう女子」
「っ……!」
芦辺は目を見開いた。
「あれ? 知ってるの?」
「え? まあ、ちょっとね」
「昨日と一昨日と落とし物コーナーには通ったけど、やっぱり君のノートは届いてない。って事はノートは多分今も桐野さんが持ってるんだと思う」
「もう4日経ってるんだけどな……」
シドが口を挟む。
「情報屋の話だと、桐野さんは落とし物を見付けると律儀に届け出る性格らしいから、多分ノートを持ち帰っちゃった事に気付いてないんじゃないかな。他のノートと重ねてカバンに入れたとか、奥に隠れてるとか、その日は普段は使わないバッグを使ってたとかで」
「……」
芦辺はただ黙っていた。
「誰が持ち帰ったのかわかってよかったじゃないか」
「直接返してもらえばいいしね」
「……だ、駄目だ」
「え?」
彼は焦った様に声を漏らす。
「何でだよ」
ミミミが尋ねた。
「……と、とにかく、出来れば直接会わずにいたい」
「……」
シドは彼の顔をじっと観察していた。
「何とかバレない様に取ってきてくれないかな。気付いてないんなら急に無くなっても何にも思わないだろうし」
「……依頼人さんがそう言うんなら」
やや困惑気味にミミミは返す。
「ただ、ボクはあくまでもブックハンターであって泥棒とか空き巣とかじゃないからね。こっそり盗んだりだとかそういう不法行為はあんまりしない様にしてるって事だけはわかって欲しいかな」
あんまりって事は少しはしてるんだな……シドは何も言わなかった。
「まあ今回はそれが芦辺の物だってわかってるしーーー君を信じるならねーーーやり過ぎない程度に隠密にやってみるよ。シドと一緒に」
「……ありがとう。よろしく頼むよ」
彼女の言葉の最後が気になったが、やはりシドは何も言わなかった。
またしても放課後。ふたりは体育館に足を運んでいた。桐野という女子生徒はバレー部に所属しており、今日はその活動日なのだ。
「お~……やってるやってる」
彼らは壁の下部にある小さな窓から中の様子を覗いていた。シューズの摩擦音やボールが床に弾ける衝撃音が掛け声と共に聞こえてくる。熱心に練習に励んでいる様だ。
「……主に足とか下半身しか見えないな」
「エロいだろ? どうせこういうの好きなんだろ? お前」
「ああ」
シドは即答した。
「引くわ」
「で、いつまで見てていい……いや、見てるつもりなんだ?」
「とりあえず部員が全員出てるか確認するだけだよ」
「脚が1本、2本、3本……あの娘は肉付きがよくて凄く……」
「早よ数えろや」
「ごちゃごちゃしてて数えきれん」
「カスが」
「うん、もう僕カスでいいよ……」
年頃の女子の太ももを眺めながらシドは気の無い返事をした。
「おら行くぞ! もう練習が始まって30分は経ってるし、更衣室には誰もいないだろ!」
景色を惜しみつつ彼はミミミに立ち上がらされ更衣室の裏側に連れて来られた。窓がひとつあり、今は閉まっている。中に誰もいないのなら当たり前だろう。ミミミが軽く力を入れると、ラッキーな事にカラカラと窓は滑り出した。
「不用心だねえ……」
彼女はひょいと頭を動かし中を見る。と同時に顔をしかめた。
「うげ」
「ひやあああミミミちゃんのエッチーーーー!」
着替えていた筋肉質の男子数人が悲鳴を上げる。こいつどんだけ恐れられてんだ。
「うっせえおら! 男が情けない声出すんじゃねえぞごら! ※すぞ!」
そう罵声を浴びせて彼女はぴしゃりと窓を閉めた。
「ったく、何で野郎の着替えシーンなんだ」
「……女子更衣室は隣だったみたいだな」
少し移動する。そして今度こそ。
「……あれ? こっちは閉まってやがる」
「どうする?」
「いや、開けるしかないだろ」
ミミミは窓ガラスにぺたりと両手を着け、がたがたと上下に揺らし始めた。すると内側で閉まっていた鍵が少しずつ動いていき、やがて解錠された。
「鍵ゆるゆるなんだな……」
「学校が仕事してなくて助かったよ。こんな時に鍵を開け閉め出来る超能力とか欲しいよね」
「完全に空き巣だな」
「そういや向こうもボクっ娘だ」
「何の話だよ」
いとも簡単にセキュリティーを突破したミミミはシドを踏み台にして女子更衣室に忍び込んだ(ちらりと見えた今日のパンツは水玉だ)。彼もひとりで窓枠に足をかけて続く。
「さーて桐野さんのロッカーは……っと」
物色を始めるミミミ。完全に不審者だ。
「おっ、これだ」
ソラジから聞いていた情報に一致するリュックを見付け、合点する。彼女は通学用のバッグとは別にもうひとつリュックを持っており、それがこれらしかった。恐らく部活道具を入れているのだろう。荷物が少ない日はこちらのリュックに勉強道具もまとめて通学している事も彼の話にあった。中を探っていく。
「おっ!」
「あったか?」
「……でかいな……」
ミミミが取り出したのはブラジャーだった。何が大きいのか、というのは言わずもがなである。替えだろうか。
「……そうなのか? ここからじゃよくわからん。ちょっと僕にも寄越してくれ。確認をしたい」
キリッとシドは言った。
「引くわ」
「あ、やっぱわかるわかる。お前よりはでかいな」
「うるせえ」
と言いつつもミミミも背のわりにそれほど小さくはないのだが。
「! あった!」
今度こそターゲットを見付けたらしい。彼女は明るい声を出した。シドも近付き確認する。仕切りで分かたれた奥のポケットに一冊のノートが挟まっていた。他のノートと重ねた時にこれだけすり抜けてこの中に落ちてしまったのだろうか。事前の芦辺の情報通り、彼の名前は書かれていないが表紙にとあるキャラクターのシールが貼られている。彼が好きなキャラだそうだ。キモかわいいと世間でも有名なゆるキャラだ。
「これで間違い無いっぽいな」
「……一応読んでおくか」
彼女はリュックに手を突っ込みノートを少しだけ摘まみ上げた状態でその表紙を見つめていた。あれか、とシドはそれを見守る。心を読む事でページを捲らずして本の内容を理解する、ミミミの「読書」能力ーーー。
「……あれ?」
突如彼女は虚ろな目をしたまま声を上擦らせる。
「どうした?」
「……妙だ、この本……心が……心がふたつある……?」
「……は?」
その時扉の向こうから微かに話し声が聞こえてきた。ミミミは慌ててノートから手を離す。
「やべっ!」
誰かがこちらへ向かってくる。彼女は急いで桐野が使っているロッカーのドアを閉め適当な空のロッカーに逃げ込んだ。
「お! おい!」
シドもその隣のロッカーを開けるが既に使われている物だった。足音はすぐそこまで来ている。
「さよならシド! 月曜の校内新聞の一面は女子更衣室に侵入してブラを顔に擦り付けた男子生徒のニュースで決まりだ!」
「脚色するな!」
彼女が入ったロッカーを強引に引き開け無理矢理にでも中に入る。
「いやーんシド君のエッチ!」
「やってる場合か!」
「嬉しいくせに」
「お前じゃなかったらな!」
そして、ぎゅうぎゅうのロッカーでしばしの沈黙……。
「……あれ? 来なくねえか?」
「……ちょっ、ちょっとお、変なとこ触んないでよお!」
「お約束か」
もちろん変なとこなど一切触っていない。
「やりたいくせに」
「お前じゃなかったらな!」
五分くらい耐えただろうか(終始ミミミはうるさかったが)、更衣室に誰も入ってこない事を改めて確認するとふたりはロッカーから飛び出た。
「どうだった? クラスメイトとドキドキ密着シチュは」
「お前じゃなきゃ最高だった!」
「さっきの奴らは隣のトイレにでも行っただけだったのかな」
この女子更衣室に隣接して女子トイレがあるのだ。再びミミミは桐野のリュックから芦辺のノートを取り出した。
「ではもう一度……あれ? 今度は心がひとつしか無いや。普通のノートだ。中身も地理の内容だし」
「じゃあそれで決まりだな。ていうかいちいち心を読む必要あるのか? 捲れば早いじゃん」
「念のためだよ。前古書をハントした時にミスってページ破いちゃったんだ。その時はクライアントが温和な人だったからよかったけど、人によっちゃあ報酬減らされるし」
「なるほどな」
「それにしてもさっきのは何だったんだろう……」
「心がふたつあったんだっけ? そんな時もあるんじゃねーの?」
と放ったシドの言葉は誰かがドアが開いた音で途中で掻き消された。
「……」
ハントの達成感と会話とで注意散漫になっていた。更衣室の入口には休憩に入る汗まみれの女子バレー部員達が驚いて立っているのだった。
「あ……」
今度こそヤバい。
「き……きゃーっ! シド君が! 2年1組のシド君がまさか下着ドロだったなんて! さっ、さいてーっ!」
誰よりも早くミミミが真っ先に叫んだ。
「変態! 女の敵よ~~っ!」
「おっ、お前っ……! 裏切ったなっ!」
「へ~……あんた2年1組のシドっていうんだ……!」
さすが運動部員。彼女らはか弱い声を上げるどころか拳の骨を鳴らしながらじりじりと彼に近寄ってくる。
「えっ……いやあの……これは誤解で……おいミミ……!」
どさくさに紛れて彼女はこの場から立ち去っていた。逃げ足が速い。
「……っ! っのクソアマァッ……!」
「やっ、金曜はあの後無事に帰れた?」
翌週、学校で再会したミミミは少しも悪びれた様子も見せず何事も無かったかの様にへらへらと笑っていた。
「おっまっえっ……!」
シドは彼女の襟首を掴む。
「どの面下げて僕の前に出てこれるんだよっ……!」
「ちょっ、DVはやめよーよー」
「おかげでほんとに新聞載るとこだったんだぞ!」
「どうやって載りそびれ……いや、逃げられたの?」
「フアっていただろ! あのちょっと前のコロ……何だったっけ? 何とかシリーズの依頼の時に黒歴史を語った奴! あいつがたまたま男子バレー部員で騒ぎを聞いて駆け付けたから適当にあいつの名前出して逃げ切ったんだよ! 何か適当に調査してるとかどうの言って! あの女子共……僕の言葉には少しも耳を貸さないくせにあいつの言葉なら何でも聞きやがる!」
「ああ、あのマゾヒストの……よく協力してくれたね」
「じゃなきゃお前の黒歴史を晒すっつってな」
「ちっ……! 面白くなりそうだったのに、余計な事を……」
「おい今舌打ちしたよな! したよな!」
フアとは誰か、気になる方は「MYMIMI:2015 - この世に存在してはいけない物語」を読もう。
「まあまあ、おかげでターゲットは手に入ったんだし」
「……何だか大変だったみたいだね」
そばで彼らのやり取りを見ていた芦辺が申し訳無さそうに言った。
「という訳で、これが依頼された地理のノート。確認して」
ミミミはノートを芦辺に差し出す。彼は表紙を見てすぐに「間違い無い」と声に出した。そしてぱらぱらとページを捲っていく。
「じゃーこれで依頼は完了かにゃ?」
「……え……あ……うん……そうだね……」
しかしノートを取り戻したはずの彼の声はどこか暗い。大切な物なら喜んでいいものを。どこも破損してはいないはずだ。
「……どうした?」
不審に思ったシドが尋ねる。ミミミもいつの間にか、先ほどのふざけた態度から真面目な顔つきになっていた。
「……本当に、それが欲しかった物?」
「……」
彼女の問いかけに芦辺は何も答えない。
「……どういう事だ? ミミミ」
「あの時言っただろ? 心がふたつあるって」
「あ、ああ……」
そういえばこのノートを見付けた時そんな事言っていた様な気がする。
「あの後考えたんだ。疲れを取りに銭湯行ってサウナに入りながら」
「お前人の事裏切ってそんな事してたのかぶん殴るぞ」
「簡単な事だった……本の中に本……そうだろ?」
「……? このノートの中に、もう一冊本が挟まってた……って事か?」
「そ。もしかして、芦辺が欲しかったのはそのもう一冊の方なんじゃないの? だから買い換えずにボクに依頼してきたんだろ?」
「……うん、実は……」
観念した様子で芦辺は喋った。
「そうだったのか? じゃあ何でそう言わなかったんだよ」
「何かしら理由があったんでしょ? 直接返してもらえばいい話なのにこっそり取り返せとか言ってくるし」
「……うん」
「……だったら、まだ依頼は……」
「終わってるよ」
「え? でも芦辺がほんとに欲しかったのはこっちじゃなくてそのもう一冊なんだろ?」
「でもボクはこのノートの依頼しか受けてないし」
「……」
確かにその通りだ。正論である。
「じゃあ、約束通り報酬の3万円は指定した日までに指定した口座に振り込むか……これくらいなら現金手渡しでもいいよ」
「……わ、わかったよ……そういう約束だったしね……」
しょんぼりと俯いたままの芦辺。可哀想な気もするが、契約したものは仕方がない。
「……と、普通ならこうなるんだけどさ」
声の調子を変えて、ミミミはどかっと机の上に腰掛ける。
「芦辺は初めての依頼って事もあったし、変な緊張してたのかにゃー。ここから先はアフターサービスで動いてあげるよ」
「……っ!」
彼女の言葉を聞き彼の表情がぱっと明るくなった。
「何で隠してたのかはプライバシーだから聞かないであげるからさ」
「あ……ありがとう……」
「て訳だ、シド」
「やっぱり僕もやるのね」
「あの……席、いいかな……」
シドの前の席の男子が躊躇いがちにぼそりと言った。
「今度はこそこそせずに正攻法でいこう!」
学校を終えたふたりは桐野の自宅の前にいた。この住所もソラジから教えてもらった物だ。
「けど、直接返してもらうのは避けたいんだよな……まあもうあの依頼終わったけど」
「もちろん直接は言わないよ。ボクの完璧な作戦はこうだ。今からどうにかしてこの家に入る。そして桐野さんの部屋に上げてもらい何とかしてあのリュックを漁る。そしてもう一冊のノートを手に入れる」
「ガバガバじゃねーか」
あのノートの中に挟まっていたのは更に薄く小さいサイズのノートだったらしい。あの時一度はふたつあった心がひとつになった。つまりミミミがロッカーに隠れる際にノートから手を離した時、中に挟まっていた小さいノートが地理のノートのページの間からリュックの中に落ちたのである。彼女はそう推理した。桐野が依然として気付いていなければミニノートはまだあのリュックの中にあるはずなのである。
「よし、いざ決戦だ!」
ピンポンと彼女はチャイムを鳴らす。間を置いてボタンの横のスピーカーから声が発せられた。
〈はい〉
桐野の声だ。今日はバレー部の練習は休みなのですぐに帰宅しているのだ。
「あっ、ボク1組のミミミっていうんだけど~、桐野さんに勉強教えて欲しくって~」
〈……へ?〉
桐野の声の調子が狂う。そりゃ見ず知らずの生徒がいきなりそんな事頼みに来たらそうなるわな……。
「あっ、あ~僕は同じく1組のシド! こないだは迷惑をかけたからついでに謝りに来たんだけど……あっ、桐野さん成績いいのフア君から聞きました!」
「だから部屋に上げてよ~」
ストレートにいったなこいつ!
〈はあ……何でうちの住所を?〉
「せっ……先生から聞いたんだよ!」
適当に誤魔化す。
「御託はいいからさっさと上げてよ~」
日本語おかしいだろ! 僕らは頼んでる立場だぞ!
〈え……いいけど〉
ほんと人いいだな桐野さん!
あっさり桐野宅に入り込む事に成功した彼ら。そのまま部屋まで上げてもらう。
そこは、一歩踏み込んだ瞬間からまるでシドにとって別世界だった。まず香りから違う。何か……何かすっごいいい香り……! 匂いではなく香り……いやかほり……! 更にもこもこのカーペットにふわふわのぬいぐるみ。フローラルなかほりと相まってさながらここはお花畑……。
「うっわ、ぶりっ子ぶった部屋だなあ」
ミミミが一言。
「き……気にしないで桐野さん。こいつ口は悪いけど性格も悪いから」
フォロー出来なかった。
「さ、さあさあ勉強を……」
「あ! ちょっと待って桐野さん! 何あれあの石!」
窓際に行ったミミミが庭を見下ろし指差した。何かを始めるらしい。
「うっわマジヤバいあの石! 超ヤバい!」
おい! 何で石なんだよ! しかもその後も語彙が雑過ぎるだろ!
「ね! ね! ちょっと間近で見ていい? ねえちょっとマジヤバいマジ! ちょっと一緒に見に行こう!」
「え? え? あ、うん……」
部屋に上がったのも束の間、桐野に喋る隙を与えずミミミは無理矢理彼女を連れ出した。今の間にリュックを漁れ、という事なのであろう。
「全然不自然じゃねーか!」
ツッコミを入れつつリュックのファスナーを開ける。だが、先日のポケットをまさぐっても何も入っていなかった。
「……!? あ、あれ……? 無いぞ……!」
慌ててリュックをひっくり返す。中身が全てカーペットの上に落ちた。ひとつひとつ手に取って見ていくが小さなノートは見当たらない。
一分も経たずにミミミ達が戻ってきた。うおおい! やるんならもっと時間稼げよ! ノートの場所がわかっていたため時間はそれほど必要無いと判断したのだろうか。
「あ……」
ふたりが扉を開いた時、彼は荷物の中にあった桐野の着替えのパンツを手にしていた。
「……」
「……い、いい生地だなあ……は、はは……」
ミミミは無言で生気の無い目をしていた。どうやって助け船を出そうか考えてくれているのか。
いや、どうやって自分ひとりだけ逃げようか考えてるんだろう。
「あ、あの桐野さんここここれはですね……」
「……もしかして、あれを探してるの……?」
「……へ……?」
「……これ、でしょ……?」
桐野がリュックではなく、別のバッグから出した物は、小さなノートだった。ふたりが探していた、芦辺が本当に取り戻したかった物だ。
「……桐野さん、気付いてたの? そのノート……」
シドが問い質す。
「……うん、知ってた。間違って持って帰ってきたんだって」
「……だったら何で落とし物コーナーに届けなかったの?」
「それは……」
彼女は急にもじもじし始めた。なぜここで恥ずかしがるのか、よくわからない。
「……このノート、芦辺君の……なんでしょ?」
「えっ! ……何でそれを」
「おい馬鹿シド! 依頼人のプライバシーには守秘義務があるんだよ!」
「早く言えよ!」
「やっぱり……あのノートに芦辺君が好きなキャラのシールが貼ってあったからもしかしてと思ったんだけど……」
「桐野さん、芦辺を知ってるの……? あ」
ミミミの桐野を知っているのかという質問に彼はちょっとだけと答えていた事をシドは思い出す。
「地理の授業を一緒に受ける程度だよ。ほら、1組と合同じゃん」
「あ、ああ……そうだね」
地理・歴史の授業は生徒各々が選択した日本史、世界史、地理のそれぞれの教室に分かれてふたつのクラスが合同で行うのである。シド達1組のペアは桐野がいる3組だ。シドもミミミも、共に世界史を受けている。
「その時にそういう事を話してたのが聞こえたから。だからあのノートを見付けた時、もしかしたら芦辺君のなのかなって思った。この間、私と入れ違いで図書室出てったから。席、譲ってもらったの。その時多分たまたまあのノートの上に私の教材どさっと重ねちゃって」
あのノートとは地理のノートの事だ。
「それでそのままリュックに……」
「この間の騒ぎの後に確認したら無くなってたから、もしかしたらふたりはあのノートをこっそり持っていくために更衣室に忍び込んだんじゃないかなって思ってた。芦辺君に頼まれて」
「……うん、その通りだね」
「だから今度はこれを取りに来たんでしょ?」
「ああ」
小さな丸テーブルの真ん中に置かれたノートをシドは自分達のそばまで引き寄せる。
「芦辺のだって見当がついてたんなら、どうして直接持っていってあげなかったのさ」
「それは……その……」
またもじもじ。
……ん? これは、まさか……。
「これ……」
桐野はノートを開いてふたりに見せた。
「! ……」
一ページ目に鉛筆で描かれた彼女の横顔があった。目の前の顔と見比べてもそっくりだ。
「これ……まさか芦辺が……?」
「……多分」
彼女は顔を赤らめる。実はこの小さなノートの中身は見てはいけない事になっていたのだが、突然見せられては仕方がない。
「……あいつ……」
だから見られたくなかったのか。この時シドの頭の中で全てが一本の線で繋がった。桐野に直接返してもらいにいけない理由。もしこれを彼女に見られていたら……彼女は彼をどう思うだろうか。まともに話した事の無い人間が、こんなにも鮮明な彼女の顔の絵を描いていると知ったら……気味悪がるかもしれない。幸いあのノートにもこの小さいノートにも名前は書かれていない。これだけでは誰が描いたのかはわからない。なのに直接会いに行ったら自ら正体を明かす事になる。
そして何より、彼が彼女に嫌われたくない理由……ひっそりとこの絵を描いていた理由……芦辺は桐野に好意を抱いているのだろう。
「つい見ちゃったんだけど……その……何だか恥ずかしくなって……」
「桐野さんは、あいつの事嫌いになった? 気持ち悪いって、思った?」
「……」
ふるふると彼女は首を振った。
「そうじゃない……逆……」
「……」
「……すっごい嬉しくって……その……もしかしたら、私の事……とか……勝手に思って……それで……その……」
ふたりは静かに彼女の言葉を聞いていた。
「………………………………………………わ、私…………………も…………」
桐野はずっと下を向いている。
「……それで、これ、持ってたら、その内私が間違って持ってる事知って、取りに来るんじゃないかとか思って……そしたら、ちょっとでも話せるな……とか……」
……自分から声をかける勇気が無かった、ってか……。
「これ……返してくれない……?」
か細い声で彼女はふたりにお願いした。
「……悪いけど、断るよ」
ずっと何も話さなかったミミミがようやく口を開いた。
「ボクは便利屋じゃないんでね」
「……僕も悪いけど、断らせてもらうかな」
「……そっか……」
「……多分さ、それ、桐野さんの勘違いじゃないよ」
「え……?」
「あいつも桐野さんと話したがってると思うけどなあ」
「……まあ、何かあったら相談乗るよ。アドレス教えてもらってもいい?」
「え……あ、うん」
「ほら秘書。メモってよ」
「! ……はいよ」
ミミミに促されシドは桐野から見せられた携帯のメールアドレスを手元にあるノートにメモし始めた。そして全てを書き終えた頃。
「あっ……これ芦辺のノートだった」
とわざとらしく話した。
「……あとは桐野さん次第だと思うけどな」
ミニノートを彼女の方にスライドさせる。
「……頑張ってみる」
一時間後。桐野の家の近くの公園にふたりは芦辺を呼び出していた。
「取り戻してくれたの?」
「うん。もうすぐ返せると思うよ」
「え?」
「あ、実は事故であのミニノートの中身見ちゃったから、依頼料は割引いて昼飯一週間にしといてあげるよ」
「え!? 見ちゃったの!?」
「じゃ、毎度あり。ゴチになりまーす」
「上手くやれよ、芦辺」
「??」
芦辺をひとり残し公園を去った彼らは緊張した面持ちの桐野とすれ違う。これが合図になっていたのだ。ありがとう、声に出さずともふたりには彼女がそう言っている様に思えた。
「……あーあ、何をやってるのかねえボクらは」
「お前、元から飯代でまとめるつもりだったんだろ」
「さて、何の事やら」
「ソラ先輩怒るぞ。報酬が雀の涙だって」
と言いながらも、ソラジはきっとそう言わない事はシドにもわかっていた。
「あーあ、リア充を爆発させるスイッチ無いかなー。限界だ。押すね」
「またお前は……」
帰り道を歩きながらシドの頭にふと、先日の昇降口でのミミミがちらつく。
「……そう言うお前も、案外縁があるんじゃねーの」
「は? ねーよ」
「こないだの手紙は何だったんだよ」
「手紙……?」
「とぼけるなよ。こないだの芦辺が依頼してきた日、靴箱の前でカバンに入れてただろ」
「……あー、あれ……え、何? シド君てばあれラブレターだとか思ってた訳?」
彼女は馬鹿にした様な笑いを浮かべた。
「なっ……違うのかよ」
「果たし状だよ、あれ」
「は」
「週末にタイマンはってきたんだよ。ぼっこぼこにしてやったけどね」
「番長……?」
「ぷくくーっ! なあに? シド君てばずーっとボクが告白されたとでも思ってたの? しかもそれを今の今まで言い出せず? うっわ、愛されてるなーボク!」
「なっ……うっ、うるせーよ! そんな物好きがいんのかと思っただけだ!」
「シドの性的嗜好を満たす女の子もそうはいないと思うけどねー」
「黙れっ!」
ふたりの影は訪れつつある夜の闇に並んで溶け込み始めていた。
前作よりも倍のボリュームでお届けさせて頂きました。楽しんで頂けたのならよかったのですが……。




