破顔の骸【原作】
戦国時代のお話です。
敵方の三匁弾が竜兵衛の具足を貫いた。緋色の甲が馬上で揺らぐと、騎馬から真っ赤な武者がもんどりうって転がり落ちた。馬廻り役の側近どもが急いで体を抱き起すと、侍大将・忍見竜兵衛は戦を一気にほおばるような大口を開いて哄笑した。
「胃潰瘍ができちまった。こりゃたまらんわ」
皆朱の槍を拾い上げた男の背丈およそ六尺四寸。太鼓のような巨体には三十貫の重みがある。現代の数値に換算すれば身長一九四センチ、体重一一〇キロ。たいへんな大巨漢である。ダルマのような厳つい顔には頬の先から耳にかけて弾傷痕が左右対称に刻まれており、戦場で働く彼の形相は相手方には脅威であって、味方にしたら実に頼もしい破れ顔だった。
腹を射たれた竜兵衛は、痛みを意にも解さぬ様子で馬に再びまたがった。
「お前たち、俺の胃をこれ以上痛めてくれるな。精一杯に手柄を立てろ」
不敵な笑みで大声ひとつ励まして、周囲の諸兵をこれでもかと鼓舞して見せた。寄せてかかる敵数七〇〇。対するこちらは劣って三〇〇。小国同士の小競り合いに過ぎないが、その戦闘で指揮を執るのは天下に武勇をとどろかす「赤槍の竜兵衛」。国一番の強者だけが持つことを許される赤い槍の主だった。竜兵衛一人で一〇〇の兵に勝つ、とまで言われた男によって、味方たちは数の劣勢を心配少なく心丈夫に戦えた。
竜兵衛側の結束の高さはすさまじい。彼らの隊は戦国の世にはめずらしい突撃の姿勢を持っていた。槍衾と言って、五メートルの長槍を持つ先鋒が穂先を一列にそろえる戦術までは他所と同じなのだが、竜兵衛が考案したのはそのすぐ後ろに、もう一列同様のものを作るというものだ。一列のみならず五列、六列……兵士たちは互いの鼻と後頭部が触れそうな近さで密着することで上から見れば正方形をなしており、側面にいるものはそれぞれ左右に刃を突き出して一切の接近をゆるさなかった。
これは西洋の騎士というものが突撃に用いた隊形と酷似しているが、日本の武士である竜兵衛が、ましてや西洋愛好家だったと言われる織田信長でさえも、知る由がなかっただろう。とにかく近接戦闘においてこの「栗の実」と名付けられた集団戦法は強い力を発揮した。
栗の実はこの戦でも大いに暴れた。‟とげ”に詰まった者どもはそれぞれ声をあげたり念仏を唱えたりしながら迫っていくのだから、視覚だけでなく聴覚的にも威圧感がある。士卒たちが前線で奮闘している時、竜兵衛がどこにいたかというと単騎で敵中のど真ん中にいた。
葉武者、騎馬武者関係なしにこの男は剛腕をふるって次々に相手を蹴散らしていた。部下をほったらかしなど指揮官たる者にあるまじき行動だが、後から続く栗の実が通れるだけの道を作る必要があった。
竜兵衛の強さは敵の国も無論のことだが知っている。むしろ彼奴を討ちとれば大いに有利な戦になり、なおかつかなりの手柄になる。皆がこぞって赤い鎧に挑みたがるが、
「修羅だ、背中に修羅を背負うとる……」
ある雑兵がひとりごちた。此度の赤槍は様子が違う。鬼の眼光はいつものままだが、今日の顔は笑みを秘めている。歯を食いしばっているようであるが、頬の肉が盛り上がって見えた。たった一人で一〇〇の敵を相手取っているというのに、どうしてあんなに余裕があるのか。しかも時々笑い声さえあげている。それが不気味に映って仕方がない。
敵将・竜兵衛が自分の指揮官と馬上でいよいよ対峙した。我が上司も猛将であるに変わりない。竜兵衛が扱き出した赤槍を上司はたやすくあしらって、すぐさま首を薙ごうとした。しかし払った刃は赤武者の甲をわずかにかすめただけで、むなしく空を掻き切った。竜兵衛の動きは、身に合わぬ敏捷さであった。
激しい槍合わせの末ついに上司が突き伏せられたとき、その雑兵は声をあげて逃げ出した。彼だけではない、周りにいた兵たちも恐慌しながら退いた。
こうして戦場は竜兵衛を軸にして真っ二つに割れてしまった。前衛のあまりの撤退ぶりにもはや敵の本陣が丸見えだ。
栗の実が竜兵衛の馬に追いついた。号令をかけると槍衾がぱかっと開き、中から兵たちがあふれ出た。組み込まれていた齢十四、五位の若い侍が竜兵衛のもとに駆け寄ると、「父上」と呼びかけた。
「奴らを追いましょうぞ。某らはまだ動けますゆえ、心配ご無用にござりますれば」
「いや、ならん。これでもう終いじゃ」
「何故ですか」
にぃっと笑って前方を指さす。頬の火花のような傷跡が吊り上がる。若侍の息子はその先へ目をやった。相手方の本陣に立つ馬印が、後ろを向いて翻るのが目に映った。撤兵を開始しているのだ。
「戦況の悪さに向こうの大将も肝を冷やしたんだろう。一端の小競り合いにすぎんのに、逃げる敵を追い回すのは野暮ってもんだ」
間もなくして味方本陣に調停の使者がやって来た。時刻は酉の刻(午後六時)を過ぎようとしている頃だ。夕方までには戦闘を終わらせるのが当時の慣例になっている。ちょうど彼方を見やれば山間の谷へ陽が落ちかけていて、緑の稜線を山吹の光に塗り替えているところだった。
この戦は形式的には引き分けであるが、実質的には此方の大勝利に終わった。一番手柄は言わずもがな忍見竜兵衛であった。
その後戦国の日本は、尾張の織田信長が桶狭間で今川義元を倒したことによって驚天動地の乱世を迎える。竜兵衛が仕えていた主家は時代の激流の中で滅ぼされ、忍見家は浪人しかけたが、松平元康の家来・小栗吉忠にその身を拾われた。新たに就いた主君は後に歴史に名を残す男になるのだがそれは竜兵衛も、小栗も、これから徳川家康と名乗るつもりの松平元康もまだ知らない。
竜兵衛はそれから何度も合戦に出ては、持ち前の知略と武勇で存分に活躍した。しかしながら、敵兵をして恐れ慄かせしめた笑みを浮かべることは二度と無かった。日常で盛大かつ豪快に笑うことは多かったが、あの不気味さは一度きりだった。
竜兵衛は天命を全うした。
彼が亡くなった際、体を焼いたらなんと両頬の骨が大きく窪んでいた。二発の弾によるものだと簡単に推測はたったが、興味深かったのはその骸の顔だ。おかしな所に窪みができてるものだから、まるで笑っているように見えたのだ。身内の人らは「骨になっても笑うなんて呆れたもんだ」などと言って丁重に彼を葬ったのだった。
さてそんな竜兵衛の生きた晩年、彼が息子と昔語らいをしていたら合戦の話題になった。息子は気になっていたらしい話を持ち掛けてきた。又聞きしたようで、爆笑しながら戦に出た、とか噂があるなどとその真偽を問うてきた。竜兵衛は息子の話に何度も何度もうなずいて、少しだけ苦笑しながら答えた。
「一度だけあるな。だけど爆笑したなんざ、人聞きの悪い噂じゃな」
「その日は一体、何があったのですか」
「なんの、そちの初陣じゃよ」
息子の初陣がうれしくて仕方なかっただけよ、とこの武辺者はでこぼこに角張った顔を緩めながら、ご機嫌よろしく破顔した。
読んでいただき、すんごいありがとうございました。
滅多に使うことのない表現たちで頑張って書きました。一度は書いときたいって思ってた文体で作品を作れたので、僕としては楽しかったです。
次回はもっと普通で楽しい作品を書く所存です。どうぞほんのり甘いのどスプレーを使うとき程度に楽しみに待っていただけたら幸いです。それでは!
ご愛読ありがとうございました。天ノ川先生の次回作にご期待ください。