第1話
幾百年にも渡る時の中。
人類は魔族と呼ばれる敵対勢力と戦い続けてきた。
人の姿を象りながらも身体能力や魔法の能力が人類を上回る魔族。
魔族の数少ない弱点である『個体数』を活用すべく、人類は戦闘技術に優れた者達で隊を組んで魔族が支配した領土への進行を勧めようとした。
しかし魔族の長『魔王』は、魔族たちの指揮を執り、また時に自分自身が戦場に発つことで人類をあっという間に撃退。
戦の勢いに乗じ、あっという間に人類の領土へと攻め入った。
こうして人類は魔王軍に対し守りに徹する事となる。
このような状況が長きに渡って続く中、いつ魔族の脅威に晒されるかも分からない環境に民の心身はともに摩耗していき、いつしか勝利を諦めるようになった。
だが民よりも高貴な地位に座する者達だけは、魔族という存在を根絶する未来を信じ続け、形勢が覆る機を常に窺っていた。
そして百年前、人類の中から魔王討伐に名乗りを上げる猛者たち――『勇者』が現れる。
彼らは多くの民が諦めた『魔族の脅威に怯えない生活』を自分の実力で掴み取る未来を信じて疑わない。
そして彼らの無謀とも前向きとも言えるその姿勢は長年膠着状態だった戦況を変えるきっかけとなった。
現在、勇者達の尽力もあり、人類は少しずつ魔王軍に押さえられた領土の奪還に成功しつつあった。
それが――表向きの常識である。
***
魔王領のとある大森林。
四方を木々で囲まれた空間に立つのは黒い長髪と切れ長の瞳孔の赤い瞳、鋭く尖った長い耳が特徴的な青年だ。
配備されていた魔王軍の兵が退けられた戦場で、魔王メレディスは静かに顎を撫でていた。
訝しむように顰めた顔が見つめる先には、四肢を激しく損壊させた五人の人間の姿と、腹に風穴を空けたまま両膝を突く青年の姿がある。
赤黒い血を被った茶髪に、翡翠のように美しい瞳。
血なまぐさい戦場を駆けるには不釣り合いな程整った顔をした青年は、口から多量の血を吐き出しながらもうっすらと笑みを浮かべていた。
それが、メレディスにとっては非常に不可解だった。
「どうやら、最近耳にする『勇者』とは、私の持つ人間の記憶からは外れた者が多いらしい。私の知る人間は、同族を失う事を酷く恐れ、取り乱すような生き物だったはずだが」
いつ絶命してもおかしくない相手に返事は期待していない。
独り言のつもりで発した呟きだった。
だが、未だ辛うじて生きている『勇者』は肩を揺らして小さく笑って見せる。
「何がおかしい。私は何か間違った事を言ったか?」
「……いいや。あなたの推察は、正しいものだったと言える。ただ僕達が、自分や仲間の死よりも大きな恐怖を背負っていただけだ」
「ほう? 中々に興味深い話だ。お前の腹に穴が空いていない内に詳しく聞きたかったところだな」
力なく、喉の奥で笑う気配がある。
二人の間に数秒の静寂が訪れた。
やがて、『勇者』が掠れた声で呟く。
「魔王は……生物を模倣することが出来ると聞いた事がある」
死期を悟った青年が、限られた時間を使って発する言葉としては非常に意外なものだった。
メレディスは意外そうに片方の眉を持ち上げる。
「その生命を喰らう事で、その存在に成り代わることが出来ると」
「正しくはあるな。対象が生きている間に喰らう必要はあるが」
「そう、か。……よかった」
『勇者』は緩慢な動きで自分の胸に手を当てる。
そしてメレディスへ真っ直ぐとした眼差しを向けた。
「僕を、喰らってはくれないか」
メレディスは目を見張る。
想定外の申し出。
そして、あまりに好都合な提案だった。
メレディスがわざわざ戦場へ赴く事態に陥る時、人類陣営の戦力は決して侮れない事が多い。
今回とてその事例の一つだった。
故に、『勇者』を相手にする時、生け捕りにできる程手加減をする余裕はない。
だからこそこれまで、メレディスは生きた人類を喰らった事がなかった。
だがもし人類を喰らい、擬態する事が出来たのならば。
魔族の中でも最も優れた戦力を誇るメレディスが人類の領土を内部から侵略する事で、戦況は簡単に好転する。
人類は危機的状況に立たされる事だろう。
だからこそ、不可解だった。
「……何が目的だ」
人類の味方であるはずの『勇者』がそれを自ら望む事が。
自分を陥れる為の策なのかとも、メレディスは疑った。
しかしどうしたって目の前の『勇者』の発言の意図が汲み取れない。
「何。……一つ、約束をして欲しいだけさ」
『勇者』は大きく咳き込み、再度血を吐き出してから声を絞り出す。
「僕の姿は好きに使えばいい。侵略もすればいい。だが……敵対の意志がない市民の命は、殺さないで欲しい」
「笑わせる。そんな口先だけでの契りに何の意味があると? そもそも私は、今ここでお前を無理に喰らう事だって出来るというのに」
『勇者』はまた、肩を揺らして笑った。
それから憂えるように目を細め、何かを思い出すように遠くを見やってからメレディスの問いに答える。
「魔王である君が、存外義理堅い質である事に賭ける方が……今の世に救いを求めるよりも望みがあると思ったまでさ」
「まさか、お前は」
メレディスは直前の戦いを思い出す。
『勇者』の死を決定づけた、最後の一撃。
それまで繰り広げた戦闘での『勇者』の動きから、避けられる可能性も懸念していたその攻撃が相手へ放たれた瞬間。
『勇者』が動きを止めたように見えたのだ。
一つの推測に辿り着いたメレディスであったが、どうやら『勇者』はその点に対して答え合わせをするつもりはないようだった。
「急いでくれ。もう、もちそうにないからね」
罠ではなさそうだと、何百年にも渡り戦場で磨かれた勘が告げていた。
しかし同時に、厄介事の香りがする。
だが、この機を逃す程の理由には成り得なかった。
メレディスはわざとらしく肩を竦めると『勇者』に手を伸ばす。
「戦である以上、民間人が命を落とす事は避けられまい。だが」
伸ばされた手から黒い煙のような『闇』が広がり、それが『勇者』の頭上を覆う。
「無意味な惨殺はしないと約束しよう」
闇が『勇者』を頭から呑み込もうと迫る。
そして彼の姿が闇の中へ消えていく瞬間。
「ありがとう」
命を奪う相手に向けるには相応しくない、穏やかな微笑みを『勇者』は浮かべるのだった。
***
「クライヴ・ノーフォーク、主要都市から比較的近くにある村出身」
整備された道を歩きながら、外套のフードを深く被った男がぶつぶつと呟く。
彼の傍を時折、商人の馬車や仕事終わりの木こりが通り過ぎたが、彼はお構いなしに物思いに耽っていた。
「家族構成は母と自分。父は幼少期に戦死。家族とは別に幼馴染がいる……基本的な情報はこのくらいか。――と」
前も見ずに歩いていた男であったが、その眼前に村の景色が飛び込んだところで、漸く彼は考え事をやめる。
「着いたか。私の……ああ、いや」
強い向かい風が吹き、男のフードを攫う。
露わとなった茶髪が揺れ、翡翠色の瞳は眩しそうに細められた。
また、薄い唇にはどこか不敵さが滲むような笑みが湛えられている。
「――僕の、故郷に」




