『完璧』な王子様
アレクシス・ラディウス・エルドリアスはこの『エルドアン王国』の第一王子だ。
現国王である『セリオス・ラディウス・エルドリアス』と、王妃の『ミリアンナ・ルファリエ・エルドリアス』の間に生まれた、紛うことなき正当な後継者である。
だがその瞳は青く、王家の者として引き継がれる『赤い瞳』ではない。髪こそ父親譲りだが、この瞳は『淡雪』と呼ばれた母親と同じ色をしている。
そんな母、ミリアンナは王家に嫁いできたにも関わらず『赤』が嫌いで、公式的な式典以外では決して身に着けようとしない。それどころか部屋の中にも一切『赤』を許さず、排除していた。
だが『赤』がないからこそ自分は愛されているのだろう。と、アレクシスは察している。
「母上。アレクシスです。ただいま戻ってまいりました」
「まあ、おかえりなさい、アレクシス。ご令嬢たちとの顔合わせはどうだった?」
私室でゆったりと刺繍を施していたのは、この国の王妃であり、母親であるミリアンナだ。
彼女を一言で言い表すならば、まさに『淡雪』だろう。
儚げな印象を抱かせる淡いスミレ色の髪に、澄んだ湖のようなアクアマリン色の瞳。甘く、柔らかな声音は穏やかで、笑うと少女のように清らかなイメージを抱かせる。かつて男性たちからの人気が非常に高かった、と謳われるだけある。そんな彼女は元『子爵令嬢』だ。
「非常に有意義な時間でした」
「まあ、それはよかったわ。あなたももう六歳ですもの。婚約者がいないと何を言われるか分からないのですから、早く釣り合ったお嬢さんと婚約を結びましょうね」
微笑む母親に笑みを返し、アレクシスは内心で「僕は母上とは違うんだけどな」と呟く。
ミリアンナは子爵家出身ということもあり、歴代の王妃の中では最も家格が低い。だが世間では『恋愛結婚』だと噂されているため、平民たちからの支持は高い。誰もが王族とのロマンチックな恋物語に憧れや親しみを持つからだ。加えて見目も整っているとくれば揺るぎようがない。
だが実際のところは違うのだろう。と、アレクシスは『恋愛結婚』にしては『作り物』感が漂う両親を見て確信している。
「それで、アレクシスは誰が一番好印象だったのかしら」
「皆素敵なレディでしたよ。歓迎してくれましたし、楽しい時間を過ごすことができました」
「そう。よかったわ。よかったら詳しく聞かせてちょうだい」
座るよう促され、アレクシスは素直に着席する。この後は父親の補佐官にも同じ話をすることになるのだろうが、それが自分に課せられた『務め』だ。嘆くことは許されない。
「まず、最初に伺ったのはグラディアス公爵家です」
「そう。セラフィア“元”王女殿下がいらっしゃるお家ね。セラフィア様は相変わらずお美しかったのでしょうね」
厭味ったらしく『元王女殿下』と口にした母親には何も言わず、アレクシスは笑みを貼り付ける。
「はい。セラフィア叔母様も、ヴィエラ嬢も噂と違わぬ美しさでした」
「そう……。ヴィエラ嬢ね……。私も昔お会いしたことがあるけれど、まだ小さかったから、どのように成長なさったのかしら。改めて挨拶したいわね」
寂しそうな表情を浮かべているが、本当にそう思っているかは疑問である。
そんな母親を見返しながら、アレクシスは教育係から聞いた話を思い出す。
本来であれば、王子や王女と同年代の子供を集め、顔合わせと称した『勉強会』が行われる。だが自分が生まれてからは一度も行われておらず、貴族たちはいつ声がかかるのかと待っている状況だ。現に今日も侯爵家や伯爵家からその話を持ち出され、少し困ったのだ。
だがそれを表に出してはならない。それが『王族』に生まれた者が背負う責任だ。
アレクシスは「決定されれば父上から通達が来るはずです」とその場を濁した。
だが息子の苦労などどうでもいいのか、ミリアンナはセラフィアとヴィエラのことを詳細に聞きたがっている。
とはいえ、アレクシス自身、あの二人から読み取れることは多くなかった。
(セラフィア叔母様はあまり好悪感情を感じなかったけど、ヴィエラ嬢は何故あんなにも僕のことを嫌っているのだろうか。何か粗相をしてしまったのかな?)
何とか思い出そうとしてみるも、自分が粗相をしたとは思えない。
今日伺うことは何ヶ月も前から公爵家に通達していたし、日取りの再確認も直近で行い、間違いなく伝わっていたはずだ。
だがいざセラフィアを通して紹介された時、ヴィエラはまるで『つまらない劇を見る観客』のような顔をした。
(何がいけなかったのだろうか。叔母様に紹介された時、ヴィエラ嬢が固まっていたから『緊張しているのかな』と思って先に挨拶したんだが……。それがまずかったのだろうか)
本来であれば家格が下であるヴィエラから挨拶をするものだ。だがセラフィアから「第一王子殿下のアレクシス様よ」と紹介されても、ヴィエラは何も言わなかった。
てっきり自分を見て呆ける令嬢たちと同じかと思ったのだが、ヴィエラの対応は正反対と呼べるほどに淡白なものだった。
(彼女について誰かに聞いてみようかな。普段からああなのか、それとも僕にだけなのか。その場合、どうして僕にだけ冷たいのかも知りたいな。僕はいずれ『王』になるのだから、『誰からも好かれる王』にならないといけないのに、彼女にだけ嫌われるのは困る)
アレクシスは帰りの馬車で「どうしてヴィエラ嬢に嫌われたんだろう?」と首を傾けていた。
彼女の一連の対応には同行していた侍従も困惑していたし、乳母に至っては若干腹を立てていた。「天才と名高い公爵令嬢があんなにも無礼だと思わなかった」と声に出すほどに。
だが教育係はかつてセラフィアにも一時期ついていた人物なので、彼だけは「かつてのセラフィア様を見ているようだった」と懐かしそうにしていた。
「アレクシス? 突然黙り込んでどうしたの? ヴィエラ嬢にいい印象は抱いたの? それとも他のご令嬢がよかったかしら」
「あ、すみません。そう、ですね。僕が見てきた中で、彼女が一番『美しい人』ではあります」
その言葉に嘘はない。実際、庭を眺める横顔は日陰にいながらも陽の光を反射しているかのように輝いて見えた。
母親譲りの意志の強い赤い瞳に、ボンネットの下に収められた金色の髪。その髪すらも風に揺られる度に虹色に輝いて、幻想的な風景だった。それこそ一枚の絵画として残したいほどに。
だがそんな美しい少女から向けられた視線は冷たく、敵意と嫌悪感に満ちていた。
「……ですが、僕が至らなかったばかりに、ヴィエラ嬢からはいい印象を抱かれなかったようです」
苦笑いしつつアレクシスが答えると、ミリアンナは「まあ……」と憐れむように顔を顰める。だがその前に一瞬だけ瞳から温度がなくなったのを見逃さなかった。
(母上は、セラフィア叔母様だけでなく、ヴィエラ嬢のことも嫌いになるのだろうか)
──ミリアンナはセラフィアを嫌っている。
それは彼女の近くにいれば自ずと気付くことだ。
徹底的に『赤』を嫌い、事ある毎にセラフィアの名前を出しては己と比較して卑下し、悲しんで見せる。まるでセラフィアを『悪女』にしたいかのような振る舞いだ。
だが元王女であり、快活な性格をしているセラフィアには一切その遠回しな攻撃は効いていない。それどころか「よく頑張っている」と評価しているほどだった。
文字通りセラフィアとミリアンナには『雲泥の差』があると、誰が見ても分かる構図になっていた。
(母上とセラフィア叔母様では圧倒的に“格”が違う。だからこそ母上はねたんでしまうのだろう)
どれほど努力しても、王妃という国で最も名誉ある女性になっても、セラフィアの威光には敵わない。
真なる『太陽』として君臨したかつての貴婦人は、社交界を次世代に譲ってもなお輝き続けている。むしろ母親世代にとってはミリアンナよりもよほど『敬うべき相手』だ。
公爵家に嫁ぎ、臣籍降下したところで本質は変わらない。
真なる王家の血族にして、最も高貴なる『真紅の貴婦人』。
赤褐色の豊かな髪に、燃えるような赤い瞳を持つ人はこの国に彼女しかいない。王家のシンボルでもある『太陽』を連想させる『赤』を上から下まで余すことなく纏うことを許された、唯一の人物だ。
その威風堂々とした佇まいからは余裕と威厳を感じさせ、相対した者の多くが自然と敬意を抱いて頭を下げ、道を譲る。
それほどまでの威厳と品格を、ミリアンナは持ち合わせていない。
──所詮子爵家の女だ。と、母は何度言われてきたのだろうか。
今なお耳にする蔑んだ言葉に、ミリアンナはイヤな顔一つ見せない。だが徹底的に『赤』を排除する姿から胸の内が穏やかでないことは分かる。
アレクシスは言葉を選びながら「彼女に好かれるよう努力します」と締めくくり、他の令嬢たちについての報告を続けた。
「はあ……。あとは父上への報告か……」
母と別れ、自身に与えられた居住区に戻る最中、アレクシスは小さく零す。
(今日出会った令嬢たちは、皆教養を備えていた。明るく、優しく、常に笑顔で僕を立てようと必死だった。でも、ヴィエラ嬢だけだ。僕を見てあんな目をしたのは。……冷たくて、暗い……。突き放すような目だった)
両親からも臣下からも向けられたことのない、心からの『拒絶』。何をしても何を言ってもプラスに受け止められることはない。それが察せられるほどに徹底した『否定』が滲んでいた。
「……アレクシス様、お茶を淹れましょうか?」
「ああ、そうしてくれ」
私室に着いたところで乳母に声を掛けられ、いつものように頷いて答える。そうして一息ついたと思ったら今度は父親の補佐官が現れ、今日の報告をするよう指示される。
アレクシスは母の前で語ったのと殆ど同じ内容を伝えたが、ヴィエラに嫌われていることだけは何となく伏せた。
だがヴィエラの対応に腹を立てていた乳母がこっそりとそのことを伝えるのだが、王であるセリオスは「姉さんによく似ている」と笑い飛ばすだけだった。
それがまた一段とミリアンナに嫉妬心を植え付けるのだと気付かないままに。




