レディ・ヴィエラの『好き嫌い』
春の日差しがあたたかいその日。ヴィエラは死んだ魚のような目をして着飾られていた。
「──アレクシス・ラディウス・エルドリアスです。ヴィエラ嬢。どうぞよろしく」
「…………王国の小さき太陽たる殿下にご挨拶申し上げます」
輝くような金色の髪に、透けるような青い瞳。『絵に描いたような』第一王子が、ヴィエラの前に立っていた。
「父上から聞いておりましたが、ヴィエラ嬢は本当にお美しいですね」
「……ありがとうございます。わざわざ陛下のお言葉まで届けてくださるとは、光栄の極みですわ」
ヴィエラは差し出された手に、そっと指先だけを乗せてすぐに引こうとする。だが引く前に唇を寄せられ、全身に鳥肌が立った。
だが全身で嫌悪を表すヴィエラに気付くことなく、アレクシス第一王子はヴィエラの隣に立っていたセラフィアにも笑みを向ける。
「叔母様も、お久しぶりでございます。相変わらずお美しいですね。父上も会いたがっておりました」
「まあ、ありがとうございます。アレクシス様。アレクシス様も大きくなりましたわね。陛下も相変わらずお元気そうで何よりですわ」
隣に立つ母はすこぶるいい笑顔を浮かべているが、ヴィエラにとってはちっとも面白くない。
相手がこの国の第一王子でなければさっさと退散していたところだ。
何せ目の前に立つこの男──アレクシス・ラディウス・エルドリアスには『中身』が何もないのだから。
「本日はお二方にお時間をいただき、感謝しています。両陛下からそろそろ『婚約者』を決める時期が来たと言われ、私自身困惑していましたが、こうして叔母様とヴィエラ様にお会いできて心が軽くなりました」
「あらあらまあまあ。ご謙遜を」
傍から見れば誰もがこう思うだろう。穏やかに微笑む王子はまさに『絵に描いたような王子様』だと。
現に聞こえてくる噂もいいものばかりだ。聡明で優しく、臣下や民の言葉にも耳を傾けてくれる。彼が王になれば国も安泰だろうと、そんなお花畑まっしぐらなものばかりでうんざりする。
『コレ』のどこが『良き王になれる器』なのか。ヴィエラからしてみれば精巧に出来た『マリオネット』だ。
(気味の悪い男。まるで『こうすればいいのだろう』と言わんばかりの安っぽい台詞に、作りものの笑顔……。こんなものでわたくしがだまされると本気で思っているのかしら。不愉快にもほどがあるわ)
中身なんて全くない。『自分らしさ』というものが一つもない。まるで道具のように決められた動きをし、原稿通りの言葉を吐いている。そんな気味悪さ、うすら寒さがある。
ヴィエラは寒くもないのにブルリと肌を震わせ、侍女に「ケープを」と小声で命じた。
「ヴィエラ。そんなところで立ち止まってどうしたの」
「ヴィエラ嬢、大丈夫ですか? 顔色がよろしくありませんが……」
「ええ。大丈夫ですわ、お母様。第一王子殿下」
口角を上げたつもりだが、本当に『笑顔』を作れた自信はない。ヴィエラは足早に戻ってきた侍女にケープを着せてもらい、渋々お茶が用意されていた東屋へと足を踏み入れた。
「あら、寒かったの?」
「ええ。少しだけ」
「すみません。僕が気づけばよかったのですが……」
「お気になさらないでくださいまし、第一王子殿下」
気を利かせた侍女はひざ掛けも用意しており、ヴィエラはアレクシスに見えないようそれを掛ける。
そうして始まったティータイムは、ヴィエラにとって頭に『クソ』がつくほどつまらないものだった。
「まあ、ホホホホ。アレクシス様は王妃殿下に似て努力家でいらっしゃるのね。素晴らしいわ」
「そのようなことはございません。母上も、いつも叔母様を目標にしていると口にしていますから」
「あら。そのようなことをなさらずとも、王妃殿下はいつだって輝いていらっしゃいますのに」
ヴィエラは心底この場を去りたかった。何せこの後ロアンが遊びに来る予定なのだ。迎える側として相応の待遇はすべきだろう。だからこそ今すぐ部屋に戻って準備をしたかった。
幾ら王都に住んでいるとはいえ、グラディアス家のタウンハウスは王城に近い。もはや目と鼻の先にある、と言っても過言ではない。
そんなド近所に王宮があるヴィエラと違い、元子爵家のストーンリッジ伯爵家のタウンハウスは王宮から離れている。
丁度『貴族街』と呼ばれる居住区の真ん中から平民街寄りにある。平民街に近いほど家格は下がるため、元子爵家のストーンリッジ伯爵家は境界線より先に家を建てることが出来なかったのだろう。資金面でも、体面でも。
距離的に馬車で三十分ほどだろうか。道が混んでいなければその程度で走って来れるが、確約は出来ない。
何せ貴族街でも商人たちの馬車は走っているからだ。
グラディアス家と双璧をなす、もう一つの公爵家。それが『セルディア家』だ。
セルディア家はこの国の物流を担っている。そのため数多の商人や商団を抱え込んでおり、バックアップを受けた商家が貴族街には沢山並んでいるのだ。要するに常に貴族家の者と商人たちが出入りしている、ということだ。
そのため王都は非常に賑やかで、馬車の往来が多い。
早ければ三十分。遅ければ五十分はかかるだろうか。
そんなことを考えていたヴィエラに冷水を掛けるかのように、頼みの綱である母が席を立った。
「それでは、私はそろそろお暇するわ。ヴィエラ、粗相のないようにね」
「え? お母様! ちょっと待っ──」
「お気遣いいただきありがとうございます。叔母様」
立ち上がり、笑顔で去って行こうとするセラフィアを引き留めようとする。だがヴィエラが腕を伸ばした矢先に、笑顔を貼り付けたままの王子が『思ってもいないこと』を口にした。
(こ、)
コノヤロウ──。ヴィエラはこの時心の底から、日頃から『言葉遣いが悪い』と注意されている次男の言葉を真似たくてしょうがなかった。
「ご安心ください、ヴィエラ嬢。叔母様が席を立っても人目がございます。何もしませんよ」
安心させようとしているのだろう。天使のような笑みを浮かべるアレクシスだが、『そういう発想』が出てきた時点でヴィエラの全身に鳥肌が立つ。
何せヴィエラは中身はともかく、外面は非常に美しいのだ。それ故に異性から様々な視線を向けられる。
美しい。可愛らしい。この程度ならまだいい。
だがそれ以上の──醜い欲望が混ざった視線は不快で堪らず、初めてその視線を向けられた時は耐えきれずに吐いてしまったほどだ。
確かに王家らしくない青い瞳は澄んでいる。そこら辺の令嬢であれば「なんて美しい……」「私を見てくださっているなんて……」と見惚れていたことだろう。
だがヴィエラには分かる。
この男には『何もない』。だが同時にヴィエラから『何かを欲しがっている』のだと。
王子として、あるいは『婚約者候補』として“認められたい”という欲求なのか。それとも箔が欲しいだけなのか。分からないが、ヴィエラが思うことは一つだけだ。
(気持ち悪い……!)
吐き気を催したヴィエラは咄嗟にひざ掛けを強く握りしめ、顔を逸らす。
幸い視線の先には美しく整えられた庭があり、季節の花々が美しく咲き誇っている。庭師が懇切丁寧に、技術と魂を込めた『作品』だ。ヴィエラはその『美しさ』と『努力』を目の当たりにし、少しずつ気持ちが落ち着いてくる。
(ああ……。オレンジの翅を持った蝶々が飛んでいるわ。名前はなんだったかしら……。確かあの『図鑑』に載っていたはずなんだけど……)
何故ヴィエラはご令嬢であるにも関わらず虫が平気なのか。それは幼少期からこうして庭を観察していたからだ。加えてベビーベッドに寝かされている時は、部屋に入り込んできた蝶を目で追っていた。また暇な時は図書館で本を読んでいたため、あの図鑑にも目を通していた。だからこそ他の令嬢のように叫ぶほど嫌いになることがなく、耐性がついていたのだ。
そんなヴィエラが「早くロアンに会いたいわ……」と現実逃避をしていると、ぞわっとした気味の悪い悪寒が全身に走る。咄嗟に顔を向ければどこかぼんやりとした目で自分を見つめるアレクシスが真正面に座っており、ヴィエラは思わず舌打ちしそうになった。
「なにか、お話したいことがあるのでしょうか。第一王子殿下」
「え? ああ、いえ、そういうわけではないのですが……整えられた庭園と、ヴィエラ様が非常に美しいな、と思っておりました」
「ハッ、さようでございますか。ですが、わたくしの許可なくジロジロと、不躾に見るのはおやめくださいませ。不愉快です」
あ。と思った時には既に普段の『ヴィエラ節』が顔を出していた。厳密に言えば声に出していた、だが、ヴィエラは謝罪するどころか開き直って冷たい視線をアレクシスへと向ける。
「それで? 第一王子殿下、この後のご予定は?」
「え?」
「まさかとは思いますが、第一王子殿下の“婚約者候補”がわたくしだけなんてこと、ありませんわよね?」
「え、ええ。はい。この後は侯爵家にも──」
「まあ。ではいつまでもこんな場所でのんびりしていてはいけませんわ。すぐに向かう準備をしませんと」
「はい? え、あの、ヴィエラ嬢!」
ヴィエラはするりと猫のような身のこなしで椅子から降りると背を向ける。そうして慌てて追いかけて来るアレクシスを引き離すかのような足取りで颯爽と本宅へと戻り、玄関先でメイド長と話をしていた母親に向かって笑みを向けた。
「お母様、第一王子殿下がお帰りですわ」
「ヴィエラ嬢! 待ってください!」
わらわらと、アレクシスの後から護衛や侍従たちが駆け脚でついてくる。軍務を担うグラディアス家出身のヴィエラにとって、この程度の距離すら追いつけないアレクシスはまさしく『論外』の相手であった。
「丁度いいわ。そろそろ呼びに行こうかと思っていたのよ。アレクシス様、本日は大通りが混んでいらっしゃるそうですから、早めに出立すべきかと。レディを待たせるものではございませんからね」
「あ……はい。ご忠告、痛み入ります」
「いいえ。陛下の二の舞にならないよう、叔母心ですわ」
「はい?」
微笑むセラフィアに背を押されるようにして移動すれば、既に馬車の準備を終えていた様子にアレクシスは驚いたように目を丸くする。そして挨拶もそこそこに送り出され──入れ替わるようにしてロアンが乗ってきた馬車が入ってきた。
「ヴィエラ様! こんにち──わああ?!」
「ヴィエラ?!」
ロアンを乗せた馬車がゆっくりと停車し、御者がドアを開ける。その瞬間ロアンはヴィエラを見つけ、満面の笑みを浮かべた。普段ならばヴィエラは犬のように駆け寄って来るロアンを優雅に待っているのだが、この日は耐えきれず、ヴィエラからも走り出してロアンの体にしがみつく。
「ロアン! 今すぐお前の体を貸しなさい!」
「はい! ……はい?」
勢いよく返事をしたものの、まったく意味が分からずに首を傾ける。だがヴィエラは『言質は取った』と言わんばかりにロアンの頬に手を当て、モニュッ。とその頬を揉み始めた。
「ヴィエラしゃま……?」
「うるさい。そのままでいなさい」
「ふぁい」
頬をモチモチと揉んだかと思えば、今度は渦を描いているような天然パーマ気味の髪に手を当て撫で回す。撫でるというより掻き乱しているような感じだが、ロアンは髪型をセットするような男でもない。整髪料のついていない髪はベタついていないが、ヴィエラと比べて一本一本が太く、硬い。そのせいか腕が疲れたため手を離し、最後にもう一度ロアンの体に抱き着いて小さく囁いた。
「すこしでいいの。わたくしを抱きしめて」
「は、はい……」
ロアンは後ろで見守っていたセラフィアへと視線を移すが、セラフィアは「自分は何も見ていない」と言わんばかりに明後日の方向を見上げ、侍女やメイド、使用人たちも一斉に顔を逸らした。
「じゃ、じゃあ……失礼します」
「ええ。ゆるすわ」
ロアンはキチンと断りを入れ、そっとヴィエラの背中に手を回す。そうして力を入れすぎないよう、微調整しながら少しずつ包み込むように抱き返した。
「いたくないですか?」
「ええ。平気よ」
「そっか。よかったです」
ヴィエラは少しの間目を閉じ、ロアンの『生命』を感じとる。体温、呼吸、匂い、心音。それらすべてがヴィエラに冷静さや落ち着き、安心感を与えてくれる。
「……もういいわ。めんどうをかけたわね」
「ううん。ぼくはいいけど……ヴィエラ様は、だいじょうぶですか?」
若葉のような爽やかなアップルグリーンの瞳が『心配している』と物語っている。下心など一つもない、純粋な好意だ。そのあたたかさがどれほど心地いいか。
ほっとすると同時に、全身がうっすらと汗ばんでいることに気付き、不愉快だと言わんばかりに表情を歪めた。
「わたくしは平気よ。それよりも、先に湯浴みをしてくるわ。悪いけど、少しのあいだ、サンルームで待っていてもらえるかしら」
「うん。いいよ。ゆっくりあったまってきてね」
「フン。客人を待たせるほどのんきな人間ではなくってよ。ほら、早く行きましょう。時間がもったいないわ」
ヴィエラは気恥ずかしさもあり、いつもよりツンとした態度でロアンの手を取る。ロアンは「ヴィエラ様元気ないな……」と思いながらも、ヴィエラが強がるなら深く踏み込んで聞かない方がいいのだろう。と判断し、大人しく隣を歩く。
こういう時、深く踏み込まないのがロアンの良さだとヴィエラは知っている。
ロアンはポワポワしているように見えて存外ヴィエラの機微に聡い。だからこそ『聞かれたいこと』と『聞かれたくないこと』を嗅ぎ分けるのがうまかった。
「そういえば、さっきオレンジの翅を持った蝶をみかけたわ。名前が思い出せなくてモヤモヤしたのだけど……。ロアン。お前、おぼえている?」
「オレンジのチョウチョですか? 黒いツブツブみたいなモヨウがあれば、オレンジヒョウモンチョウだと思います!」
「ああ……。そうね。たしかに、そんな名前だったわ。ありがとう、スッキリしたわ」
「どういたしまして!」
ニッコリと笑うロアンの無邪気さと純粋さに、ヴィエラは自然と強張っていた心身から力が抜けていくのを感じとる。
そんな娘の姿を見つめながら、セラフィアは「うちの子、こんなに分かりやすかったかしら?」と楽しそうに口元に弧を描いた。




