第六章 沈黙の森へ
精霊祭から数日後、王都の北方にある森で異変が起きたという報告が入った。
「木が一夜で葉を落とし、獣が近づかず、祠の灯りも消えたそうです」
セレナの報告に、レオンの表情が引き締まる。
「またか」
「また、って前からあったんですか」
ひまりが尋ねると、彼は地図を広げた。
「王都周辺で似た現象が少しずつ増えている。だが今回の森は、王都の水源を守る役割もある。放置はできない」
「行きます」
ひまりは即答した。
レオンが眉を上げる。
「考える間もないのか」
「だって、そこが苦しそうなんでしょう」
「自分が危険だとは」
「危険でも、聞こえるなら行かなきゃ」
我ながら無謀だと思う。それでも、見ないふりはできなかった。
結局、ひまり、レオン、セレナ、護衛騎士数名で森へ向かうことになった。
王都から半日ほど馬で進むと、空気が変わった。森は豊かなはずなのに、妙に音が少ない。鳥も少なく、風が枝を揺らしても葉が答えない。精霊たちも、普段よりひまりのそばにぴったり寄り添っている。
『いやな静かさ』
『眠ってるんじゃない。閉じてる』
ココの言葉に、ひまりはぞくりとした。
森の奥へ進むと、小さな社が現れた。日本の神社によく似た、けれどもっと素朴な祠だ。周囲には石柱が何本か立っているが、そのうちの一本が倒れ、水路も土砂で埋まっていた。
ひまりはしゃがみ込んで土に触れる。冷たい。けれど死んでいるのではなく、どこかで流れが止まっている感じだ。
「壊された、わけじゃない……」
「では何だ」
「切れちゃったんだと思う。ここに来るはずのものが」
セレナが石柱の刻印を調べ、息をのんだ。
「古代式の導紋ですわ。王都中庭のものより保存状態が良い……」
「直せるか」
レオンが問う。
セレナは少し悔しそうに首を振った。
「理屈は読めます。でも、動かし方が分からない」
ひまりは祠の前で目を閉じた。耳を澄ます。すると、微かな音がある。水滴が遠くで鳴るような、小さな呼び声。
「たぶん、順番が違う」
「順番?」
「水路を先に戻して、それから石柱。それと、この祠の前、道がまっすぐすぎる」
言葉にしながら、自分でも不思議だった。誰かに教わったわけではないのに、手順が見える。
「昔はここ、もっと回り道になってたのかも。人が少し立ち止まって、息を整えてから祈るように」
「なぜそう思う」
「そういう形が、ここに残ってる気がするから」
レオンは数秒だけ考え、護衛へ指示を出した。
「土砂をどけろ。柱はひまりの指示に従え」
作業は一時間ほどかかった。埋まっていた水路をさらい、倒れた石柱を立て直し、ひまりの感覚に合わせて少し角度を変える。最後に彼女は祠の前へ座り込み、森へ向けて祝詞を唱えた。
日本語のままでいいのかも分からない。けれど言葉の意味より、音の重なり方の方が大切な気がした。
風が吹く。
水路の奥で、さら、と水が走る音がした。
次の瞬間、森のあちこちで小さな光が灯る。木の幹から、草の間から、淡い緑や青の粒が立ち上がり、祠の上空へ集まってくる。
『開いた』
『戻った』
『ありがとう、聞き手』
木々が大きく息をついたようだった。止まっていた風が抜け、鳥が一羽、二羽と戻ってくる。
ひまりはほっと息をついたが、その直後、頭の奥に映像が流れ込んだ。
白い石の広場。
水の道が幾重にも走る庭園。
塔から塔へ渡る風鈴のようなもの。
そこを歩く人々と、その周囲を飛ぶ無数の光。
ひまりはよろめき、レオンに支えられた。
「ひまり!」
「だ、大丈夫……ちょっと見えたの」
「何が」
「昔の景色、みたいな」
息を整えながら言うと、セレナが真剣な顔になる。
「記憶の残響……? 場に刻まれた情報を受け取った可能性がありますわ」
「情報って言い方すると一気に理系」
「理系ですもの」
返ってきた言葉に、なぜか少し安心した。
緊張が解けた途端、ピィがひまりの肩へ飛び乗る。
『がんばった!』
『えらい!』
『帰ったら甘いの!』
「ちゃっかりしてるなあ」
ひまりが笑うと、レオンが小さく息をついた。
「次からは、倒れる前に言え」
「殿下、それ前も聞きました」
「成長がない」
「厳しい」
だが、その手はひまりの腕を離すのが少し遅かった。




