第四章 精霊祭は手伝いすぎると王子が困る
王都には、月ごとに小さな祭りがあるらしい。
その中でも春の終わりに開かれる精霊祭は、昔から大きな行事だったという。だが近年は精霊の加護が薄れ、形式だけが残る催しになっていた。
「ですから今年も、去年と同じ手順で滞りなく進めれば十分です」
会議室でそう言い切ったのは、式典担当の役人だった。書類は完璧、段取りも悪くない。けれど、ひまりはその図面を見た瞬間、首を傾げてしまった。
「……なんか、もったいない」
ぽろりと漏れた一言に、役人たちの視線が一斉に集まる。
レオンがこめかみに指を当てた。
「ひまり」
「すみません。でも、広場の飾りも、人の流れも、灯りの位置も、全部ばらばらで」
「ばらばら?」
セレナが興味深そうに身を乗り出した。
ひまりは机上の地図を見ながら、指先で道筋をなぞる。
「この広場、風は東から入るのに、香草の屋台が全部西側に寄ってるでしょう。せっかくいい匂いなのに広がらないし、水場も端に寄りすぎて人が溜まる。歌う場所と踊る場所も遠いから、音が散ると思うんです」
役人の一人が怪訝そうに眉を上げた。
「祭りは魔術式ではありませんぞ」
「でも、人が楽しいって思う場所にも流れってあるじゃないですか」
ひまりは言いながら、自分の感覚をどう説明すればいいか考える。
「光とか、風とか、歩きやすさとか、何を先に見て、どこで立ち止まって、どこで笑うかみたいな……」
「空間設計の話ですわね」
セレナがあっさり拾ってくれた。
「古い共鳴技法にも近い考え方です。儀式は祭壇の上だけで完結するものではなく、人の動きまで含めて場を編む、と」
「編む、か」
レオンが低く呟く。
ひまりはこくこくと頷いた。
「そうです。たぶん、その方が精霊さんたちも来やすい」
『行きたい!』
『お祭り!』
『甘いものある?』
精霊たちが机の上で跳ね回る。ひまりは慌てて「静かに」と小声で言ったが、会議に出ている大人たちからすれば、また独り言を始めた変な娘でしかない。
それでもレオンは少し考えたあと、図面をひまりの方へ押しやった。
「やってみろ」
「えっ、いいんですか」
「全面的にではない。だが、王都の広場がどうせ半分眠っているなら、多少起こしてやる価値はある」
「眠ってるって殿下も思ってたんですね」
「思っていなければ、おまえの突拍子もない提案に付き合わない」
そう言われて、ひまりは妙に嬉しくなった。
そこから祭りの準備は大騒ぎだった。
花屋と菓子屋の位置を入れ替え、水場の近くには座れる場所を増やし、踊りの輪が自然に広がるよう広場中央の布飾りを下げ直す。夜には灯りが人の顔をやさしく照らす位置へ魔石灯をずらし、子どもが走ってもぶつからない動線に変える。
最初は渋い顔をしていた職人たちも、ひまりが一緒に手を動かすうちに協力的になった。
「巫女さま、こっちの花輪どうする?」
「その青いのは噴水の近くがいいです! 水の精霊さんが好きそう」
「精霊さん?」
「えっと、なんとなくそういう気分!」
ごまかしつつ笑えば、職人たちも「まあ、祭りは縁起だしな」と深くは追及しない。
その様子を遠くから見ていたレオンは、珍しく感心したように言った。
「城では騒ぎの中心だが、外へ出ると妙に馴染むな」
「褒めてます?」
「半分は」
「半分なんだ」
「残り半分は、目を離すとすぐ脚立に登るからだ」
「あれは高いところに風精霊さんが」
「理由になっていない」
ぴしゃりと返されるが、その声色はどこか呆れ半分、笑い半分だった。
精霊祭当日、王都は久しぶりに華やいだ。
広場に足を踏み入れた瞬間、人々の表情がぱっと明るくなるのが分かる。香草の匂いが風にのり、噴水のそばでは子どもが歓声をあげ、踊りの輪には自然と人が増えていく。水の精霊トトは噴水の縁でくるくる回り、火の精霊ピィは屋台の焼き菓子に興味津々だ。
『楽しい!』
『いつもより音がきれい!』
『人が笑ってる』
精霊たちが嬉しそうにはしゃぐのを見て、ひまりも胸が温かくなる。
祭りの終盤、広場中央で舞が奉納されることになった。元の予定では宮廷舞姫が務めるはずだったが、直前に衣装の事故が起き、なぜか「神社で舞えるならいけるのでは」とひまりへ白羽の矢が立ったのだ。
「待ってください、私、神楽は神社の境内でしか」
「広場も大地の上だ。似たようなものだろう」
「似てません!」
しかしレオンは容赦なかった。
「民衆の前であれだけ働いたのだ。最後まで責任を持て」
「殿下、無茶振りという言葉をご存じですか」
「知らん」
ひまりは泣きたい気持ちで簡易の巫女装束に着替え、広場の中央へ立った。
けれど、太鼓の音が鳴り、風が頬を撫でた瞬間、不思議と身体が軽くなった。神社で何度も舞ってきた祓いの所作を、ひとつ、またひとつと重ねていく。すると広場の空気が澄み、灯りが揺れ、見えないはずの精霊たちがひまりのまわりへ集まってきた。
『ひらく』
『ひらくよ』
『この子がひらく』
最後に鈴を鳴らした瞬間、広場の上空に無数の小さな光が舞い上がった。
一般の人には、灯りが一斉にきらめいたようにしか見えなかったかもしれない。だが、その場にいた者たちは皆、確かに何かが変わったと感じた。ざわめきが静まり、次いで大きな歓声がわき起こる。
「祝福の巫女だ!」
「精霊祭が戻ったぞ!」
呼び声に、ひまりは目を丸くした。いや、祝福したのは自分ではなく、たぶんこの場所そのものだ。
舞台袖へ戻ると、レオンが手を差し出した。緊張で足がふらついていたひまりは、素直にその手を取る。
「上出来だ」
「……それ、褒めてます?」
「今度は全面的に」
低い声でそう言われた途端、心臓が変な跳ね方をした。
しかも、レオンは手を離すのが少し遅い。
見ていたセレナが、意味ありげに咳払いをした。
「殿下、祝辞の前に巫女が湯気を立てて倒れますわ」
「それは困る」
レオンはようやく手を離し、ひまりは自分の頬が熱いことに気づく。
精霊たちはその周囲で大はしゃぎだった。
『手つないだ!』
『王子、顔やわらかい!』
『くっつけー!』
「だまって」
小声で言っても、にやにやした狐精霊ココはまるで聞いていない。
祭りの成功で王都は盛り上がった。
だがその夜、宮廷の一角でヴァルドという男が静かに報告を受けていた。
「祝福の巫女、ね」
薄く笑うその目は、少しも笑っていなかった。
「民が熱狂する象徴は、使えるか、あるいは危険だ」
幕間 厨房は戦場です
王城の厨房は、ひまりにとって精霊との相性が最悪で最高の場所だった。
なにしろ火精霊ピィがいる。かまどやオーブンが並ぶそこは、彼にとって巨大な遊園地らしい。
『火いっぱい!』
「遊ばないで」
『ちょっとだけ』
「そのちょっとが危ないの」
ひまりが昼食用の焼き菓子作りを手伝っていたときも、ピィは生地の上を飛び回り、温度を上げたり下げたりして職人たちを困らせた。もっとも、厨房の女将たちは王城の中でも肝が据わっている。
「ひまり様、火の機嫌がいい日は焼き色もいいんですよ」
「いいんですか、それで」
「悪い日よりは」
大らかすぎる。
そこへなぜかレオンが現れた。執務の合間に軽食を取りに来たらしいが、ひまりが粉まみれなのを見るなり眉をひそめる。
「何をしている」
「見ての通り、お菓子作りです」
「城を水浸しにし、今度は火遊びか」
「火遊びじゃなくて真面目です!」
言い返した瞬間、ピィが嬉しさのあまりかまどへ飛び込み、火がぼわっと上がった。
厨房の天井近くまで熱が広がり、ひまりは悲鳴をあげて柄杓を構える。女将が冷静に蓋をし、職人たちが一斉に窓を開ける。レオンが額を押さえた。
「……真面目とは」
「今のは不可抗力です」
「毎回そう言っているな」
結局、焼き菓子は少し焦げた。けれど女将は「王子殿下に差し上げるには香ばしくて良い」と言い切り、ひまりへ包みを持たせた。
「えっ、私が?」
「元凶の責任です」
そうしてひまりは焦げ目の強い小さな菓子をレオンへ渡す羽目になったのだが、彼は一口食べて静かに言った。
「……悪くない」
「慰めですよね」
「本音だ」
その一言が思いのほか嬉しくて、ひまりはしばらく厨房でにやけ顔を隠せなかった。
幕間 王城の舞台稽古
精霊祭が近づくと、王城の一角では祭礼用の簡単な舞の確認が始まった。
本来なら神殿側の役目なのだろうが、ひまりが「人の流れと視線の集まり方を見るには、舞う位置も大事です」と言い出したため、なぜか彼女自身が動くことになったのである。
「私、巫女舞いはできますけど、こっちの作法は分かりませんよ」
「だから確認だけだ」
レオンはきっぱり言ったが、周囲の侍女たちはちょっと楽しそうだった。
広間の中央に薄い印が置かれ、ひまりはそこへ立つ。音楽はまだ簡素で、楽師が一人、笛で調子をとっているだけだ。
「ここで一歩下がって、半拍待つ」
セレナが紙を見ながら指示する。
「半拍……」
ひまりは首を傾げ、それから自分のやり方でやってみた。神社の舞に似たゆるやかな動きだ。袖がふわりと揺れ、足運びが石床の上で静かに返る。
その場にいた者たちが、少し息を呑んだ。
ひまり自身は緊張でそれどころではなかったが、精霊たちだけは大喜びである。
『ひまり、きれい』
『鈴ほしい』
『回って!』
「回らない」
小声で叱ったせいで、最後の一歩を踏み外した。
「あっ」
こける、と思った瞬間、腕が支えられる。
いつの間にか近づいていたレオンだった。
「……何をしている」
「気を抜きました」
「見れば分かる」
だが手は離れない。ひまりが立ち直るまで、そのまま肩を支えている。
楽師も侍女も妙に静かで、ひまりはますます恥ずかしくなった。
「もう大丈夫です」
「そうか」
レオンはようやく手を離し、少しだけ眉を寄せる。
「祭り本番で転ぶな」
「転びません」
「今転んだ」
「それは精霊さんが……」
「また精霊か」
半分呆れたような、半分笑っているような声だった。
そのあと、ひまりはもう一度最初から舞い直した。今度は転ばなかったし、袖もきれいに流れた。終わったとき、笛の楽師がぽつりと呟く。
「風が止まって聴いてた」
それが本当かどうか、ひまりには分からない。
ただ、広間の空気が少しだけ変わっていたことだけは確かだった。




