第三章 宮廷魔導士令嬢は巫女が気に入らない
その日の午後、ひまりの部屋を訪ねてきたのは、年の近い美少女だった。
蜂蜜色の髪をきっちり結い上げ、紫のローブを隙なく着こなし、金の縁の眼鏡まで似合っている。背筋の伸び方からして、育ちも頭も良いのだろうと分かる。実際、彼女は部屋に入るなり、ひまりを観察対象のように見つめた。
「あなたが、森を活性化し、中庭を回復させ、王城浴室を洪水にした異界人ですのね」
「最後だけ私の責任割合が高すぎません?」
「否定しないのですね」
「否定しきれないのが悔しいです」
くい、と眼鏡を上げた少女は、ため息をついた。
「わたくしはセレナ・アストリア。筆頭魔導士レオニスの弟子であり、王立魔術研究棟の管理を任されております」
「天音ひまりです。えっと……異界人で、たぶん巫女見習いみたいなものです」
「見習い?」
「家が神社なので」
「神社とは」
「神さまのおうちみたいな」
「曖昧ですわね」
「うっ」
初対面から容赦がない。
だが、セレナは本気で意地悪を言っているのではなく、ただ確認を急いでいるらしかった。彼女は携えてきた水晶板や紙束を机に並べ、ひまりへ椅子を勧める。
「では順に伺います。あなたはどのようにしてこの世界へ?」
「神社を掃除していたら、古い社から鈴の音がして、気づいたら森でした」
「再現性ゼロですわね」
「私もそう思います」
「精霊が見えるのですね」
「はい」
「常に?」
「たぶん。今も、そこにいます」
ひまりが指さした先で、狐精霊ココがセレナの筆記具を興味津々でつついていた。もちろんセレナには見えない。
彼女は眉を寄せる。
「視線がずれていない……本当に何かを認識しているのですね」
「信じてもらえます?」
「信じるのではなく、現象として観測します」
「理系だ……」
聞き慣れた言葉ではないはずなのに、なぜか妙にしっくり来る返答だった。
そこへレオンも加わり、事情聴取はもう少し続いた。ひまりが分かる範囲で答え、分からないところは分からないと伝える。精霊たちは相変わらず好き勝手だが、レオンとセレナの前では少しだけおとなしい気がした。怖いのだろうか。
ひと通り話を聞いたあと、セレナが言った。
「一つ確認したいことがあります。中庭へ案内してくださいません?」
中庭では、朝に芽吹いた若葉がさらに増えていた。侍女たちが「奇跡みたい」と囁き合っている。
セレナは水晶板を掲げ、噴水や大樹のまわりを測定した。しばらくして彼女の瞳がわずかに見開かれる。
「そんな……」
「何かわかったのか」
レオンが問うと、セレナは普段の落ち着きを少し崩しながら答えた。
「この庭には古い共鳴式の痕跡があります。今はほとんど失われた、場の構成そのものに魔力の流れを合わせる技法ですわ」
「場の構成?」
ひまりが首を傾げる。
セレナは噴水から大樹、花壇、石畳へと視線を走らせた。
「現代魔術は陣や触媒で力を固定します。でも古い時代には、庭園や神殿、広場などそのものを“器”として整える技法があったとされています。光、風、水、人の動きまで含めて」
ひまりの胸が小さく跳ねた。
それはまるで、自分が感じた“息をしやすい形”の話に似ていたからだ。
「その痕跡を、この人は知らずに触り直したのです」
セレナの声は驚きと警戒が半分ずつだった。
「偶然でできることではありません」
「でも、私は本当に知らなくて」
「知らないから厄介なのですわ」
ぴしゃりと言われ、ひまりはしゅんと肩を落とした。レオンが横から淡々と補足する。
「つまり危険か」
「現時点で敵意は感じません。ですが、王都全体に関わる可能性があります」
セレナは言いながらも、ひまりを真正面から見た。
「あなた、明日から図書館へ来てください」
「図書館?」
「調べますの。あなたのことも、この技法のことも。何も知らないまま奇跡だけ起こされる方が危険です」
「命令?」
「お願い、ですわ」
その言い方に、ひまりは少しだけ笑ってしまった。
「じゃあ、お願いします」
するとセレナはほんのわずか頬を染めてそっぽを向く。可愛いところがある。
その日の夕方、ひまりは王立図書館の閲覧許可証を受け取り、セレナと並んで古文書の山に埋もれることになった。
羊皮紙の匂いがする静かな空間で、セレナは驚くほど丁寧に資料を選んでくれた。ひまりが読めない古語は要約し、図解があれば補ってくれる。最初は刺々しかった彼女だが、調べものが始まると純粋に頼もしい。
「ねえセレナさん」
「セレナで結構です」
「じゃあセレナ。なんでそんなに詳しいの?」
「好きだからですわ。失われたものを調べるのが」
ぱらりとページをめくる指先が止まる。
「現代の魔術は便利ですが、効率が良すぎて、何を切り捨ててきたのか見えにくい。古い技法には回りくどさがあります。けれど、その回りくどさの中にしか残らないものもあるのです」
その言葉に、ひまりは少し見とれた。
気の強いお嬢さまだと思っていたが、好きなことを語るときのセレナはとてもきれいだ。
やがて二人は、一冊の傷んだ写本に行き当たる。
そこに描かれていたのは、円形の庭園とその中心に立つ巫女のような少女、周囲を取り囲む水路と塔、空を舞う小さな光の群れだった。
添えられた文字を、セレナが静かに読み上げる。
「“聞き手は世界のこだまを集め、場を開き、人と精霊の道を結ぶ”」
「こだま……」
ひまりの胸がまたざわつく。
森で、狐精霊が言っていた。
響き。こだま。ECHO。
知らない世界なのに、なぜかずっと前からそこにあった言葉みたいに感じられた。
その夜、部屋へ戻ったひまりは、机に広げた写し書きを眺めながら考え込んだ。
自分は何者なのか。
なぜこの世界へ来たのか。
そして、なぜこの王都はこんなに息が浅いのか。
寝台へ倒れ込むと、ココが胸の上に乗ってきた。
『考えすぎ』
「考えないわけにいかないよ」
『でも、ひまりはひまりだ』
「それはそうなんだけど」
『聞ける子。つなぐ子。それで充分』
精霊らしい大雑把な励ましだ。
ひまりは苦笑しながら、ふと昼の図書館でのセレナの言葉を思い出した。切り捨ててきたもの。失われた技法。場を開く、という考え方。
もしそれが、ただ魔法がすごいという話ではなく、人と自然のつながり方の話なのだとしたら――。
この世界の不調は、思っていたよりずっと大きいのかもしれない。
幕間 王妃の温室
祭りの準備が一段落した頃、ひまりは王城の東棟にある古い温室へ案内された。
案内したのは、王太后付きの老侍女だった。
「ここは昔、先代王妃さまが大事にしておられた温室でございます」
ガラス張りの高い屋根、白い鉄枠、つる薔薇の名残。今も形は美しいが、中は半ば空っぽだった。鉢は並んでいるのに、土は乾き、香りも薄い。
ひまりがそっと足を踏み入れると、ほんのかすかに甘い匂いが残っている。
「王妃さまは、お花がお好きだったんですか」
「はい。けれど、ただ愛でるだけではなく……ここを人が息を整える場所だとおっしゃっていました」
老侍女の目が懐かしそうに細まる。
「お具合の悪い方も、悲しい知らせを受けた方も、一度この温室へ通されました。王妃さまは、花を見ながら話すと、人は少しだけやわらかくなると」
その話を聞いて、ひまりは温室の中央へ歩いた。確かにここはただ花を育てる箱ではない。光の入り方、通路の幅、長椅子の角度、鉢の高さ。誰かが座って息をつくことを前提に作られている。
「ここも、場なんですね」
「ば?」
「えっと、人が落ち着ける形、みたいな」
老侍女は少し笑った。
「それを分かってくださる方が、また来てくださったのですね」
ひまりはその日、温室の隅に放置されていた鉢をいくつか並べ替えた。窓際へ置かれすぎて焼けていた苗を半日陰へ移し、通路の途中にあった大きな鉢を端へずらす。座る人の視線が抜けるようにしたかった。
作業はほんの一時間ほどだったのに、出る頃には空気が変わっていた。
その夜、レオンが温室へ寄ったとき、珍しくしばらく黙っていたらしい。
「……母上の匂いがする」
老侍女は後からひまりへそう教えてくれた。
ひまりは何も答えなかった。ただ、なくしたものは全部消えるわけではないのだと知った。




