後日譚②
後日譚 木片の贈りもの
ひまりが木片を削る習慣は、王都で静かな流行になりつつあった。
最初は子どもたちが真似をし、次に庭師が木札へ葉の形を彫り、やがて橋のたもとの職人が小さな水鳥飾りを売り始めた。精霊を見たことがないはずの人々が、どこか似た形を選び取っていくのが面白い。
「おまえが広めたのか」
レオンが半ば呆れた顔で木の葉飾りを見つめる。
「私はちょっと削っただけです」
「王都ではそれを広めたと言う」
そう言いながら彼の手にも、小さな木片があった。見ると、不器用ながら鳥の形に削ろうとしている途中らしい。
「殿下、それご自分で?」
「悪いか」
「悪くないです。むしろ見たい」
ひまりが覗き込むと、レオンは少しだけ不本意そうに眉を寄せた。
「おまえのようにはいかない」
「最初からうまくいく人はいませんよ」
ひまりは彼の手から木片を受け取り、刃の入れ方を一度だけ見せた。削るというより、線を探すように。
「ここ、もう少しだけ」
「……こうか」
「そうです」
やがて木片の中から、小さな狐の耳が現れる。
ココがすかさず飛んできて大喜びした。
『わたし!』
「違う、たまたまだ」
「でも似てます」
完成した小さな狐は、共鳴庭園の水鉢のそばへ置かれることになった。
その夜、月明かりの下で見ると、木の狐は最初からそこにいたみたいに馴染んでいた。
後日譚 神社の夢
ある夜、ひまりは久しぶりに元の神社の夢を見た。
朝の石段。母の呼ぶ声。社務所の障子を開けたときの匂い。夢の中の自分は何も知らず、いつものように箒を持っている。古い社の前まで来たところで、鈴の音がして、ひまりは足を止めた。
振り返ると、そこにいるのは誰でもない。けれど風の向こうに、王都の橋や温室や庭が重なって見える。
夢の中で、ひまりは分かった。
向こうとこちらは切れていない。
今は薄くても、いつかまた道を探せる。帰ることと、忘れないことは違うのだ。
目を覚ますと、窓の外はまだ暗かった。
ひまりはそっと起き上がり、共鳴庭園へ出る。水鉢の表面に月が浮かび、その脇では木の狐が小さく笑っていた。
『夢みた?』
ココの声に、ひまりは頷く。
「うん。でも、前みたいに苦しくなかった」
『いい夢』
「うん。たぶん」
そこへ遅れてレオンがやって来た。夜明け前に庭へいることを、もう彼は驚かない。
「眠れなかったか」
「少しだけ。でも大丈夫です」
ひまりがそう答えると、彼はそれ以上は聞かなかった。ただ隣へ立ち、同じように水鉢を見た。
言葉がなくても、共有できる静けさがある。
ひまりはそれを、今ではとても好きだと思う。
後日譚 王都の夏祭り
共鳴の祭からひと月後、王都では早くも夏祭りの準備が始まった。
今回は最初から王都じゅうの人が“どうすれば街が喜ぶか”を考えている。橋では風鈴の代わりに薄い金属板を吊るし、温室では夜咲く花を並べ、南水路には子どもたちが流す灯籠の試作まで進んでいた。
「もう私いらないんじゃ」
ひまりが冗談で言うと、祭り担当の役人が真顔で返した。
「何をおっしゃいます。巫女さまが最後に頷いてくださらないと不安で眠れません」
「責任が重い」
レオンが隣で小さく笑う。
「自業自得だ」
「殿下は?」
「私は毎回付き合わされる側だ」
と言いながら、誰より地図を見ているのだから勝てない。
夏祭り当日、王都の夜空には小さな灯りがいくつも浮かんだ。子どもたちが流した灯籠が水面に並び、橋の布が夜風を拾い、歌い手たちは軽やかな旋律を返す。精霊たちもあちこちで踊り、人々は見えなくてもその気配に笑う。
ひまりは広場の中央に立ち、以前ほど緊張していない自分に気づいた。
もう奇跡を背負って立っているわけではない。
街そのものが、少しずつ自分で歌い始めているからだ。
後日譚 手をつないで帰ろう
夏祭りの帰り道、ひまりとレオンは橋から王城までゆっくり歩いた。
夜風は涼しく、遠くではまだ祭りの音が残っている。護衛は少し離れた場所に控え、精霊たちは妙に気を利かせて先へ飛んでいった。
「今日は静かですね」
「彼らなりに空気を読んだのだろう」
「成長してる」
「おまえが言うな」
二人で笑う。
橋を渡りきったところで、レオンが足を止めた。
「ひまり」
「はい」
「明日も忙しい」
「でしょうね」
「だから今、言っておく」
何を、と聞く前に、彼はひまりの手を取った。
前のような勢いや非常時ではない。ちゃんと、確かめるような手つきだった。
「私は、おまえがここにいてくれて良かったと、毎日思っている」
王子の告白は、たぶん一生こうなのだろう。派手ではないのに、真っ直ぐで逃げ場がない。
ひまりは顔が熱くなるのを感じながら、それでも手を握り返した。
「私もです」
「それだけか」
「欲張りですね、殿下」
「おまえが言うな」
同じ言葉でまた笑う。
王城の灯りが近づいてくる。ひまりはその灯りを見ながら、最初にこの世界へ来た日の自分を思い出した。怖くて、分からなくて、帰りたいのに帰り方も分からなかった。
いまはまだ、先のことが全部決まったわけではない。
けれど、隣に誰がいるかだけは、もうはっきりしている。
だからきっと、この先も大丈夫だ。
後日譚 神社への手紙
共鳴庭園が落ち着き、王都の仕事にも少しずつ余白ができ始めた頃、ひまりは初めて長い手紙を書いた。
もちろん、今のところ元の世界へ届く当てはない。
それでも書きたかった。
『お父さん、お母さんへ。たぶん信じてもらえない話を書きます』
最初の一行を書いたところで、ひまりは少し笑ってしまった。そこから先は、驚くほど自然に言葉が続いた。異世界へ来たこと。精霊に囲まれていること。城が広すぎること。レオンが見た目ほど冷たくないこと。セレナが怖いけれど頼もしいこと。王都の橋や庭が少しずつ息を取り戻していること。
全部を書いても、故郷への恋しさは消えない。
でも、いまの自分がどれほどこの世界を大切に思っているかも隠したくなかった。
手紙を書き終えるころ、窓辺へレオンが現れた。
「何を書いている」
「家への手紙です」
「届く見込みは」
「ありません」
「それでも書くのか」
「はい」
ひまりは紙をそっと撫でる。
「書いておくと、なくならない気がするから」
レオンは少しだけ黙り、それから頷いた。
「なら、必要だな」
ひまりは封の代わりに、小さな木の葉飾りを手紙へ添えた。もしもいつか道が開いたとき、これも一緒に持って帰れるように。
その夜、手紙は温室の小箱へしまわれた。
届くかどうかは分からない。
けれど、どちらの世界も大切だと思う心ごと、ちゃんと残しておきたかった。
後日譚 春を待つ温室
冬の終わりに近いある日、ひまりはレオンと一緒に王妃の温室へ新しい鉢を運んでいた。
まだ外は冷えるが、温室の中にはやわらかな光が満ちている。ガラス越しの陽は弱くても、土の匂いはたしかに春を待っていた。
「この鉢、こっちです」
「そこだと通路が狭くないか」
「少しだけ狭い方が、奥の長椅子に座った人が外から見えにくいんです」
「またそういうことを言う」
「でも大事ですよ」
人が一人で泣ける場所も、誰かと隣り合って座れる場所も、形にするとちゃんと変わる。ひまりはそれをこの世界で教わったし、たぶん元の神社でも無意識に感じていた。
鉢を置き終え、二人で長椅子へ腰を下ろすと、温室の空気がすっと落ち着いた。
「春が来る」
ひまりが呟くと、レオンは隣で短く頷く。
「ああ」
「こっちの春も、もう好きになっちゃいました」
「もう、なのか」
「かなり」
言いながら笑うと、レオンは少しだけ目を細めた。
温室の天井を打つ細かな風の音が、遠くの鈴みたいに響く。向こうの神社の春も、きっと今ごろ梅がほころび始めているだろう。
両方を思い出しても、もう胸は引き裂かれなかった。
隣にいる人の温度ごと、この世界を大切に思えるようになっていたからだ。
後日譚 橋のベンチに座る人々
春が深まるにつれ、橋のたもとへ置いた小さな腰掛けは思いのほか人気になった。
市場帰りの老婦人が一息つき、荷物を抱えた母親が子どもへ水を飲ませ、若い恋人たちが少しだけ距離を空けて座る。長く占領されるわけではない。誰もがほんの数分で立ち上がり、また流れへ戻っていく。
「成功ですね」
ひまりが言うと、レオンは欄干にもたれたまま頷いた。
「ああ。立ち止まる場所を作るだけで、街の歩き方まで変わるとは思わなかった」
「殿下、前は半信半疑でしたよね」
「今も全部は分からない」
「でも作ってくれました」
「おまえがうるさかったからだ」
不本意そうに言いながら、その視線はベンチへ座る人々をちゃんと追っている。
ひまりは少しだけ胸を張った。
「うるさいのも大事なんです」
「認めたな」
「今さらです」
二人で笑う。
橋の下の水は穏やかに流れ、遠くでは歌い手の練習が聞こえていた。街が自分で呼吸する音は、派手ではないけれど、確かにそこにある。
後日譚 春祭りの鈴
王都で初めて迎える春祭りの日、ひまりは朝から落ち着かなかった。
神社の春祭りを思い出すからだ。榊の青さ、祝詞の響き、鈴の余韻。故郷の記憶が胸をよぎるたび、この世界の空気まで少し震える気がした。
「緊張しているのか」
支度の途中、レオンがそう尋ねた。
「少しだけ。懐かしくて」
「帰りたいか」
まっすぐな問いに、ひまりは考えてから首を横に振った。
「今日は違います。懐かしいけど、悲しくはないです」
レオンは何も言わず、かわりに小さな鈴を差し出した。
銀色の、掌へ乗るくらいの鈴だ。見たことのない細工だが、振ると澄んだ音がした。
「これ」
「神殿の工房に頼んだ。おまえの国のものとは違うだろうが、近い音になるように」
ひまりは言葉を失った。
振ると、鈴の音は高く澄み、どこか神社の朝を思わせる。それなのに王都の風にもちゃんと馴染んでいる。
「……ありがとうございます」
涙が出そうになって、ひまりは慌てて笑った。
「殿下、ずるいです」
「またそれか」
「だって、本当に」
春祭りの広場で、その鈴はひまりの袖元へ結ばれた。舞うたび、音がひらりと返る。
故郷の音と、今の街の音が重なる。
そのことが、何より嬉しかった。
後日譚 社務所の夢の続き
神社の夢を見た数日後、ひまりはまた同じ場所へ立っていた。
今度は社務所の縁側だ。障子の向こうに朝の光が差し、母の湯飲みと父の新聞がいつものように置いてある。ひまりは夢だと分かっていながら、その景色に泣きそうになった。
けれど前と違って、胸はただ痛むだけではない。
遠くで鈴が鳴る。振り向くと、奥社の向こうに王都の橋と温室の影がうっすら重なって見えた。
「大丈夫」
誰に言うでもなく、夢の中のひまりはそう呟く。
故郷は消えていない。思い出も、手の感覚も、鈴の音も。
目が覚めたとき、ひまりはその言葉をそのまま覚えていた。大丈夫。すぐには理由を説明できなくても、きっとそれで足りる朝もある。




