第二十四章 街が息をする
第二十四章 街が息をする
光は爆発しなかった。
やわらかな波のように広がり、地下祭壇から王都の導路へ、導路から橋と広場と庭園へ、そしてさらに城壁の外の森や畑へと静かに流れていく。ひまりは台座に手を当てたまま、その変化をはっきり感じた。
吸い上げるのではない。返っていく。
張りつめていた流れが解かれ、あちこちで滞っていたものがそれぞれの場所へ戻っていく。
地下広間の光が落ち着くと同時に、遠くで鐘が鳴った。今度は警鐘ではない。王都の北鐘楼が、祭礼の終わりを告げる穏やかな音色を返している。
「成功、ですの……?」
防御陣を解いたセレナがへなへなと座り込みながら言う。
ひまりは頷いた。
「たぶん」
レオンが祭壇の核から手を離し、広間を見渡す。眩しいほどの緊張は消えていた。水路の光も穏やかで、精霊たちの輪郭も自然に戻っている。
『息できる』
『戻った』
『ただいま』
ココたちの声に、ひまりは笑いながら涙を拭いた。
上階へ駆け上がると、王都の空気は明らかに違っていた。
夜の闇はちゃんと夜の色を取り戻し、その中で必要な場所にだけ灯りが宿っている。広場の人々は不安よりも驚きの表情で空を見上げ、橋の上では風がやわらかく布を揺らしていた。南水路の水は静かに流れ、外縁の森からは遅れて鳥の声が返ってくる。
誰かが小さく拍手をした。
それが一人、二人と増え、やがて王都全体が長い拍手に包まれる。
祭りのようで、祈りのようだった。
ひまりはその音の中で、肩の力が抜けていくのを感じた。
翌朝、王都は眩しすぎない光の中で目を覚ました。
中庭の若葉はさらに増え、西の中庭の水鉢には鳥が集まり、橋のたもとの店には早くも人だかりができている。大きな問題がすべて解決したわけではない。祭壇も今後は慎重な管理が必要だし、街の各所に残る歪みも直していかなくてはならない。
それでも、息は戻った。
ヴァルドは責任を問われ、宰相補佐の職を一旦外れることになった。ただ、レオンは彼を完全に切り捨てはしなかった。
「やり直す場所は残す」
そう言ったらしい。ひまりはその話を聞いて少しだけほっとした。急ぎすぎた人にも、余白は必要なのだ。
昼過ぎ、ひまりは一人で西の中庭へ向かった。
昨夜のことを思い返すたび、胸が忙しい。祭壇の前での言葉。今は、ここ。あれは勢いではない。ちゃんと自分で選んだ答えだ。
けれど、返事をすると約束したままだった。
水鉢の前で深呼吸していると、背後で足音が止まる。
「探した」
振り向けば、レオンがいた。
王子なのに、少しだけ眠そうだ。たぶん昨夜の後始末でほとんど寝ていないのだろう。
「お疲れさまです」
「おまえも」
短い沈黙。
精霊たちは妙に空気を読んだのか、今日は少し離れた木の上でそわそわしている。
ひまりは鈴を握るように指を握りしめ、先に口を開いた。
「昨日の返事、します」
レオンの肩がほんの少しだけ強張る。
「私は、元の世界を嫌いになったわけじゃありません。家族も大好きです」
「ああ」
「でも、この世界にも大事な人ができました。場所も、街も、庭も」
そこで一度言葉を切る。
ちゃんと言わなきゃいけない。
「殿下も」
青い瞳が大きく見開かれた。
「だから、今はここにいたいです。ここで、殿下と一緒に、この国の息を戻していきたい」
言い切った途端、頬が熱くなる。逃げたい。でも逃げない。
レオンはしばらく何も言わなかった。やがてゆっくり息を吐き、ひまりへ近づく。
「その返事は」
「はい」
「ずいぶん私に都合がいい」
「殿下も都合のいいこと、結構言ってました」
「否定はしない」
口もとが少しだけ緩む。
その笑みを見ただけで、昨夜までの不安が嘘みたいにほどけた。
彼は手を伸ばし、ひまりの頬にかかった髪をそっと払う。
「では改めて言う。ひまり、私の隣にいてほしい」
「……はい」
次の瞬間、木の上から精霊たちの歓声が降ってきた。
『やっと!』
『ながい!』
『おそい!』
ひまりは真っ赤になり、レオンは珍しく本気でため息をついた。
「空気を読め」
『読んだ』
『待った』
『限界』
セレナの乾いた拍手までどこからか聞こえてくる。どうやら気配を消して見守っていたらしい。ひまりは頭を抱えたくなったが、笑いがこみ上げて止まらない。
王都のどこかで、また鐘が鳴る。
今度はちゃんと、やわらかな祝福の音だった。
幕間 リュン村からの便り
共鳴の祭が終わって数日後、リュン村から大きな包みが届いた。
中身は乾燥果物と蜂蜜、それから子どもたちの拙い字で書かれた手紙だ。
『ひまりさまへ こっちの川もまだげんきです』
『カイにいちゃんがちゃんとおいのりしてます』
『またきてね』
最後の一文には大きな花の絵まで添えてあった。
ひまりが笑いながら読み上げると、近くにいたレオンが珍しく穏やかな顔をした。
「良かったな」
「はい。殿下が迎えに来てくれたから、戻れたんですよ」
「迎えは私の役目だった」
「当然みたいに言う」
「当然だ」
もう慣れてきたが、時々こういうことを無自覚に言うから心臓に悪い。
包みの底には、カイからの短い追伸も入っていた。
『あんたの言う“ちょっと立ち止まる場所”を村の入口にも作った。案外悪くない』
ひまりはその一行を読んで、胸がじんとした。
遠く離れた場所でも、共鳴は続いている。




