第二十二章 ひらく夜
共鳴の祭は、日が完全に落ちたあとに始まった。
王都の主な灯りは意図的に落とされ、最初の十分ほど街は息を潜めたような暗さに包まれる。人々は不安げにざわつき、窓辺から外を覗き込む者も多い。だが、その暗さの中でこそ、かすかな灯りが意味を持つ。
まず最初に点いたのは、西の中庭だった。
小さな水鉢の脇に置いた灯火がひとつ、ふたつ、と揺れる。それを合図に、橋の欄干に結ばれた布の影が風を受け、南水路の脇に並べられた花灯りが川面へ映った。神殿前では歌い手たちが低く長い音を返し、鐘楼からは柔らかな鐘が一打ずつ落ちてくる。
街が、急がずに目を覚ます。
ひまりは王都中央広場の舞台へ立っていた。以前の精霊祭と同じ場所だ。けれど今夜は比べものにならないほど意味が大きい。失敗すれば、祭壇は暴走したまま王都の外を食い潰す。
レオンは広場の指揮台から全体を見渡し、セレナは祭壇地下と地上導路の同期を管理している。職人、楽師、庭師、騎士、侍女、神殿の巫女たち――驚くほど多くの人が、この夜のために動いていた。
ひまりは深く息を吸う。
緊張で手が震える。怖い。けれど前とは違う。自分一人で奇跡を起こそうとしているのではない。場をひらくための最初の一歩を踏み出すだけだ。
神楽鈴を持ち、舞台の中央へ進む。
「ひまりさん!」
舞台袖からセレナの声が飛んできた。
「北の温室、流れつながりましたわ!」
「南水路も準備完了です!」
あちこちから報告が上がる。ひまりは頷き、レオンを見る。
彼もまた、こちらだけを見ていた。
頷きが返る。
それだけで充分だった。
鈴を鳴らす。
澄んだ一音が、広場の上へ放たれた。
続いて歌。日本の祝詞そのものではない。神社で覚えた韻と、この世界で聞いた祭歌の響きを混ぜた、ひまりなりの返歌だ。意味を伝えるのではなく、場へ返すための音。
最初は広場の空気が整うだけだった。次に、橋から風の返しが届く。南水路の灯りが揺れ、神殿前の歌い手たちが音を重ねる。鐘楼の鐘がもう一打。
『ひらく』
精霊たちの声が、今度ははっきり聞こえた。
ココが広場の縁を走り、トトが噴水へ飛び込み、ピィが舞台上の灯火を優しく撫でる。一般の人々には見えない。だが多くの者が何かを感じて顔を上げた。
ひまりは舞いながら、広場の外へ意識を伸ばす。西の中庭で子どもたちが静かに見守っている。橋の上で果物屋の青年が灯りを守り、南水路ではカイが村から連れてきた若者たちと土手を押さえている。リュン村の村長まで来ていた。
人が、返している。
自分の時間と手と声を使って、この街へ。
その瞬間、地下から大きな振動が伝わった。
祭壇だ。
セレナの伝令が飛ぶ。
「第二波、来ます!」
ひまりは鈴を握り直した。広場の灯りが一斉に強く、そして危うく揺れる。ここで流れを誤れば、全部が逆流する。
舞台下からレオンが叫ぶ。
「ひまり! 戻せるか!」
問いではなく、信頼の声だった。
ひまりは笑った。
「戻します!」
舞を変える。前へ押すのではなく、受けて返す動きへ。水のように、風のように、回り込んで返る所作を重ねる。神社で祖母に何度も叩き込まれた“おさめる舞”が身体の奥から出てきた。
広場の石畳、噴水、橋、鐘楼、温室、祠、水路。
街全体がひとつの呼吸を始める。
人々のざわめきが静まり、次いで誰かが歌を口ずさんだ。神殿前の合唱と重なり、それがまた広場へ戻ってくる。
『返ってる』
『いい音』
『いける』
精霊たちが歓声を上げる。
ひまりは涙が出そうになるのをこらえた。
これだ。この夜に必要だったのは、強いひとつの力じゃない。街じゅうの小さな手の積み重ねだ。
だが、祭壇の中心はまだ閉じたまま。
最後の結び目を開くには、誰かがあそこへ行かなければならない。




