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第二十一章 共鳴の祭、準備

王都全体が夜のまま慌ただしく目を覚ました。

 鐘楼からの伝令が走り、騎士団が道を空け、工房街の職人が道具を抱えて集まってくる。祭りのようでいて、戦の前のようでもある。ひまりは王城の地図の前に立ち、セレナと共に王都の“結び目”を確認していた。

「西の中庭、中央広場、南水路、旧橋、温室、北の鐘楼、神殿前広場……」

 印を付けるたび、ひまりの頭の中で流れが繋がっていく。

「全部を一度に?」

「全部じゃなくても大丈夫。でも、返す道は輪になってないと」

 セレナは頷き、素早く紙へ式を書き込む。

「現代術式で補助できる箇所はわたくしが。ひまりさんは場の中心の調整を」

「殿下は人の流れを」

 いつの間にか言葉がぴたりとはまるようになっていた。

 レオンは王都各所の責任者を呼び寄せ、ひまりの説明を噛み砕いて伝えた。

「橋の上に灯りを並べるだけでいいのか?」

「ただ並べるんじゃなくて、人が渡る速さを少し緩めたいんです」

「広場の花は何種類必要だ」

「三種類。匂いが重ならないように」

「神殿の歌い手は何人?」

「多ければいいわけじゃないです。低い声と高い声、交互に返せる人がいい」

 最初こそ役人も職人も半信半疑だったが、祭りや村で実際に変化を見た者たちは動きが早かった。

 西の中庭を整えた庭師は「石は任せろ」と胸を張り、祭りで知り合った布商人は「風を拾う布なら用意できる」と走っていく。橋の近くの果物屋の青年まで「屋台の灯り、またあの位置でいい?」と笑った。

 ひまりは胸が熱くなった。

 一人じゃない。本当に。

 その最中、ミレイユから伝言が届く。

『歌を忘れないで』

 ひまりははっとして、地図の北側を指さした。

「鐘楼だけじゃ足りない。歌が返る場所が必要です」

 セレナがすぐさま対応案を書き足す。

「神殿前広場へ合唱隊を。祭礼楽師も集めましょう」

「人を集める口実は?」

 役人が困った顔をしたところへ、レオンが淡々と言った。

「口実なら祭だ。今夜、王都復興のための祈りの祭を開く」

「即興で祭を?」

「おまえは祭りをやり直すのが得意だろう」

 ひまりへ向けられた視線に、思わず笑ってしまう。

「確かに」

 こうして王都の夜は、もう一つの意味で賑やかになった。

 戦うための夜ではない。返すための夜。

 それが分かっただけで、ひまりの足は軽くなる。

 だが準備の合間、ふと神社の石段が脳裏をよぎった。元の世界へ帰る道が開くかもしれないという、あの記録のあいだで聞いた言葉。

 もし本当に道が開いたら、自分はどうするのだろう。

 考えかけたところで、レオンが背後から地図を覗き込んだ。

「どうした」

「……なんでもないです」

「嘘が下手だな」

 低い声が近い。ひまりは慌てて一歩離れる。

「今は、後で考えます」

「賢明だ」

 そのくせ、彼の目にもわずかな影があった。きっと何かを察しているのだろう。

 それでも今は前を向くしかない。

 王都をひらく夜が、すぐそこまで来ていた。

幕間 王都の手

共鳴の祭準備の最中、ひまりは何度も王都の端から端まで走った。

 中央広場では布商人が風を拾うための細長い旗を縫い、橋の上では鍛冶屋が音の響く薄い金具を欄干へ括りつける。南水路では子どもたちが花びらを選別し、温室では老庭師が「ここは昼の匂いを残した方がいい」と頑固な顔で鉢を動かしていた。

 誰もが、自分の得意なやり方で関わっている。

 それがひまりには何より心強かった。

「巫女さま、これはどこへ置く?」

「その石は橋のたもと! 人が一回だけ立ち止まれる位置です」

「一回だけ?」

「長く止まりすぎると流れが詰まるので」

「なるほど分からん」

「でも置いて!」

 そんなやり取りが何度も起きる。分からないまま動いてくれる人がこんなにいることが、ありがたかった。

 夕方、ひまりが息を切らして広場へ戻ると、果物屋の青年が水差しを差し出してくれた。

「巫女さま、倒れないでくださいよ」

「がんばります」

 そこへレオンが来て、何も言わずにその水差しを受け取り、先に毒味のように一口飲んだ。

「殿下!?」

「念のためだ」

 果物屋の青年が複雑そうな顔をする。ひまりは思わず笑ってしまい、レオンは不本意そうに眉を寄せた。

 王都の手は、たぶんこういう些細なやり取りまで含めて一つの流れになる。

 ひまりは水を飲みながら、絶対にこの夜を成功させたいと改めて思った。

幕間 王都じゅうの準備

 共鳴の祭の前日、王都は朝から落ち着かない熱気に包まれていた。

 祭礼といっても、今回は城や神殿だけが担うものではない。橋守は欄干へ結びつける金具を磨き、布商人は風を拾う細長い旗を縫い、温室の老侍女たちは夜に香る花を選び、鍛冶屋は音の返りを調整した薄い鐘板を馬車で運ぶ。子どもたちは南水路へ流す花びらを色ごとに選別し、庭師たちは広場の石の継ぎ目から余分な土をかき出して歩きやすくしていた。

 どこへ行っても、人の手が動いている。

「巫女さま、こっちの布は高すぎるか?」

「その高さだと風が強い日に鳴りすぎるので、あと指二本ぶん下げたいです」

「指二本!? 妙に細かいな!」

「でも大事なんです」

 ひまりが言うと、布商人は笑いながら梯子をずらした。

 次に橋へ向かえば、鍛冶屋の青年が金具を打ちながら顔を上げる。

「巫女さま、鳴らしてみてくれ」

 差し出された金具を指先で弾くと、澄んだ音がひとつだけ返った。長く尾を引かず、水の音を邪魔しない。

「これです」

「よし」

 神殿前では、老楽師が歌い手たちへ休み方を教えていた。

「歌う前に吸いすぎるな。返す歌は押しつけると重くなる」

 その言葉に、ひまりは何度も助けられている。力を集めるだけでは駄目で、返すための余白がいる。街も、人も、祭りも同じだ。

 昼過ぎ、王都を半周して戻ってきたひまりは、中央広場の縁でようやく足を止めた。目の前の景色はまだ未完成で、あちこちに手直しの余地がある。けれど、そこを歩く人々の顔はもう前とは違っていた。やらされている顔ではない。自分たちの祭りを作っている顔だ。

「疲れた顔をしている」

 振り向くと、レオンがいた。

 彼も彼で休んでいないはずなのに、姿勢だけは少しも崩れていない。

「殿下こそ」

「私は疲れていても顔に出ない」

「ずるいです」

「おまえが分かりやすいだけだ」

 そう言って、彼は水差しを差し出した。

 ひまりが受け取って飲むと、喉を通る冷たさがやけに美味しい。

「王都じゅうが動いてる」

 ぽつりと漏らすと、レオンは広場を見渡した。

「ああ」

「私一人で作る祭りじゃないんですね」

「最初からそうだ」

「でも、今やっと実感しました」

 レオンはそれ以上何も言わなかった。ただ、広場の向こうで布が風を拾い、橋の方で金属が一度だけ澄んだ音を返すのを一緒に見ていた。

 街が息を整える手前のざわめきは、少しだけ祈りに似ていた。

幕間 神殿の歌い手

共鳴の祭準備のため、ひまりは神殿前広場へ歌い手たちを集めに行った。

 神殿には厳かな聖歌隊だけでなく、市井の歌い手や祭礼楽師まで出入りしている。ひまりは最初、人数を揃えればいいと思っていた。だが年老いた楽師が首を振る。

「数じゃないよ、巫女さん。返す歌は、押しつけちゃいけない」

「押しつける?」

「高く強く歌えば届くってもんじゃない。間が要る。聞く耳が要る」

 その言葉は、ひまりにとってどこか懐かしい教えに聞こえた。

 結局、彼女は声の大きな者より、互いの呼吸を見て歌える者たちを選んだ。若い修道女、低い声の鍛冶屋の息子、子守歌が得意な市場の女、そして神殿の老楽師。

 彼らが試しに一節返しただけで、広場の石がやわらかく響く。

「これだ」

 ひまりが思わず笑うと、老楽師も頷いた。

「おまえさん、音の前の静けさが分かるんだね」

 神社の朝に覚えた静けさと、この世界の広場の静けさが、そこで初めて一つに繋がった気がした。

幕間 灯りの地図

 共鳴の祭の前々夜、王都の地図は机の上で二枚に増えていた。

 一枚は役人たちが使う通常の街路図。もう一枚は、ひまりとセレナが何度も書き込みを重ねた、灯りと風と人の流れの地図である。

「北鐘楼の音がここで返りすぎるんです」

 ひまりが指した場所へ、セレナがすぐに注記を入れる。

「ならこの通りの灯りを一つ下げる。視線が上へ吸われると流れが詰まりますもの」

「その代わり、橋のたもとへ細い灯りを増やしたいです」

「理由は?」

「人が無意識に、暗すぎない方へ寄るから」

「経験則」

「経験則です」

 研究棟の机を囲んでいるのは二人だけではない。庭師、鍛冶屋、神殿の老楽師、布商人、そして護衛騎士までが入れ代わり立ち代わり覗き込み、自分の持ち場の意見を挟んでいく。

「橋の金具は風が強いと鳴りすぎる」

「なら一つ外そう」

「神殿前の布は軽くしすぎると絡む」

「じゃあ端だけ重くする」

 作業は会議というより、王都全体で行う大きな手直しだった。

 ひまりは何度も地図の上へ手を置き、歩く。実際には歩かなくても、脳内で石畳を進み、橋を渡り、広場を抜け、鐘の位置を確かめる。頭の中で街を歩くたび、人が立ち止まる場所と流れる場所が少しずつ見えてきた。

「ここ」

 ひまりが中央広場の端を指す。

「ここに、何も置かない場所が必要」

 役人の一人が首をかしげる。

「何も置かない?」

「はい。歌が返ってくる前に、人が息を整える場所」

 誰かが納得しきれない顔をしたが、老楽師が先に頷いた。

「間だね」

「間?」

「音と音のあいだ、人と人のあいだ。そこがないと、返す歌はただの押しつけになる」

 ひまりはほっと息をつく。誰かが言葉にしてくれると、自分の感覚も地面に足がつく。

 夜更け近く、ようやく地図が形になった。

 人が流れる道、立ち止まる場所、風が抜ける角、灯りが落ち着く高さ。完璧ではない。けれど、街が自分で息をするための手がかりにはなる。

「これで、いけるでしょうか」

 ひまりが呟くと、いつの間にか背後に立っていたレオンが答えた。

「いけるようにする」

 ひまりが振り向くと、彼は書き込まれた地図を静かに見下ろしていた。

「王子の仕事として?」

「それもある」

「それも、ということは?」

「おまえがここまで作ったからだ」

 真正面から言われ、ひまりは返事に詰まる。

 レオンはそんな彼女の横で、地図の端を一度だけ指先で押さえた。

「明日は私が人を動かす。おまえは、おまえの見るものを最後まで見ろ」

「……はい」

 地図の上にはまだインクが乾ききっていない。けれどその匂いさえ、王都が前へ進むための匂いに思えた。

幕間 祭りの朝の手合わせ

 共鳴の祭当日の朝、王城の中庭には不思議な緊張が漂っていた。

 誰もが忙しいのに、必要以上に慌ててはいない。ひまりが水鉢の縁へ手を触れていると、レオンが木剣を持った騎士たちを遠くへ下がらせて近づいてくる。

「緊張しているか」

「はい」

「私もだ」

 意外な返答に、ひまりは思わず顔を上げた。

 レオンはごく短く笑い、木剣の代わりに細い枝を一本差し出す。

「持て」

「剣じゃなくて枝」

「今日は斬る日ではない。落ち着くための手合わせだ」

 言われるまま、ひまりは枝を持って向き合った。もちろん勝負になるはずもない。だがレオンはひまりの枝を軽く弾き、構えを直し、呼吸を合わせるだけを何度も繰り返した。

「慌てるな」

「はい」

「視線を遠くへ」

「はい」

 たったそれだけなのに、胸のざわつきが少しずつ落ち着いていく。

 最後に枝を下ろしたとき、ひまりは自然に笑っていた。

「なんだか、いけそうです」

「ならいい」

 祭りの前に必要だったのは、大げさな励ましより、こうして息を整える数分だったのだとひまりは後で知る。

幕間 祭りの夜明け前

 共鳴の祭の当日、夜明け前の王都はひどく静かだった。

 静かすぎて、むしろ何かが始まる直前なのだと分かる種類の沈黙である。橋の布はまだ垂れ、神殿前の歌い手たちも声を温めているだけ。南水路には朝霧が薄くかかり、中央広場の石は夜露を含んでわずかに冷たい。

 ひまりは一人で広場の端へ立ち、深く息を吸った。

 見えない。聞こえない。けれど、今この街が自分の知らないところでも準備を終えていることは分かる。橋守も、庭師も、老侍女も、歌い手も、子どもたちも、それぞれの場所で手を動かしてくれた。

 その時、背後からそっと外套がかけられた。

「朝は冷える」

 レオンだった。

「ありがとうございます」

「手が冷たいな」

「緊張してるので」

「私もだ」

 また意外なことを言う。

 ひまりが見上げると、彼は王都の空を見ていた。

「王子が緊張するんですね」

「当然だ。今日は私が選んだ」

 ひまりは胸の奥でその言葉を受け止める。王都のあり方を、祭壇の未来を、彼もまた賭けている。

「じゃあ、二人とも同じですね」

「同じか」

「怖いけど、やるしかないところが」

 レオンはわずかに口もとを緩めた。

「ああ」

 短いその返事だけで、ひまりの呼吸は少し整った。

 やがて東の空が明るみ始める。歌い手たちが立ち位置へつき、橋の布が最初の風を拾い、遠くで鐘楼の番人が手を上げる。

 夜と朝の境目で、ひまりは初めて、王都全体が一つの大きな胸みたいに息を吸うのを感じた。



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