表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

19/28

第十七章 告白未遂の、その前に

西の中庭が小さく息を吹き返してから、ひまりは毎日そこで手を動かした。

 苗は少しずつ根づき、石の間には苔が広がり、水鉢には鳥が水を飲みに来るようになる。使用人たちは最初こそ遠巻きだったが、今では昼休みにパンを持って座り、子どもたちまで「ここ涼しい」と言って寝転ぶようになった。

 不思議と、城の空気まで少し和らいだ。

「西棟の使用人たちの喧嘩が減ったそうです」

 セレナが本気なのか冗談なのか分からない顔で報告する。

「庭にそんな効能が」

「余白が戻ったのかもしれませんわね」

 その言葉に、ひまりは笑った。

 余白。ミレイユの言葉、セレナの言葉、自分の感覚が、少しずつひとつの形になりつつあった。

 その夜、レオンが珍しくひまりを夕食へ誘った。

「西の中庭の礼だ」

「え、庭の礼って食事になるんですか」

「ならないと思うなら断れ」

「断りません」

 即答した自分に、ひまりは少しだけ照れる。

 案内されたのは、王城の高い塔にある小さな食堂だった。大広間のような華美さはなく、丸い窓から王都の灯りが見える。テーブルには温かな料理が並び、給仕も最小限。二人きりに近い空気に、ひまりの心臓は最初から落ち着かなかった。

「王子とご飯って、慣れませんね」

「私も、おまえとこういう場で向かい合うのは初めてだ」

「殿下でも緊張することあるんだ」

「ある」

 即答されるとは思わなかった。

 思わず顔を上げると、レオンは真面目な顔のままだ。

「おまえ相手だと予定が崩れる」

「それ、褒めてます?」

「……半分は」

 いつもの返しに、二人同時に少し笑う。

 食事をしながら、ひまりは日本の神社の話をした。秋祭りの屋台、祖母の厳しい神楽指導、父がしめ縄を張るときだけ妙に職人顔になること。レオンは黙って聞いていたが、ときどき意外なほど細かい質問をする。

「祭りのとき、子どもは何をする」

「走り回ります」

「それはどこでも同じか」

「たぶん世界共通です」

 そんな何気ない会話が楽しいなんて、少し前の自分なら思わなかった。

 一方で、レオンは自分のことをあまり話さない。ひまりが促すと、彼は少し考えてから言った。

「子どもの頃は、王都の古い地図を見るのが好きだった」

「地図?」

「街がどう変わったか分かるからだ。消えた庭、埋められた水路、広げられた道」

「昔から気にしてたんですね」

「変わること自体が悪いわけではない。だが、失くしたものが何か知りたかった」

 その言葉に、ひまりは胸が温かくなる。

 レオンは最初からずっと、この国の“なくしたもの”を見ていたのだ。

 食後、ひまりは窓辺へ立った。王都の灯りはまだ不自然に明るい。けれど、その下で点々と眠る場所もある。西の中庭のように、また呼吸を取り戻せるかもしれない場所が。

「殿下」

「何だ」

「私、まだ怖いです。でも、聞こえなくてもやれることがあるって分かりました」

「ああ」

「だから、最後まで一緒にやります」

 振り向くと、レオンがこちらを見ていた。

 その目の色に、何かを言おうとしている気配がある。

「ひまり」

「はい」

「私は――」

 その瞬間、外で鐘が鳴った。警鐘だ。

 続いて扉を激しく叩く音がして、護衛が飛び込んでくる。

「殿下、地下区画で暴走です! 祭壇封印が破られました!」

 レオンの表情が一変する。

 ひまりは息をのんだ。今、確かに何か大事な言葉の直前だったのに。

 けれど、それを惜しむ間もなく二人は立ち上がっていた。

 王都の夜が、今度こそ本当に悲鳴を上げ始めていた。

幕間 名前を呼ぶ練習

 ある夕方、ひまりはセレナに真顔で言われた。

「いい加減、殿下のことを“レオン”と呼ぶ練習をなさい」

「なんでですか」

「距離感の話です」

 理屈が分かるような分からないようなまま、ひまりは共鳴庭園の隅で小さく呟いてみた。

「れ、レオン」

 その瞬間、背後から当人の声がした。

「何だ」

「ひゃっ!?」

 驚いて振り返ると、レオンが本当にいた。いつからそこにいたのか、ひまりは全く気づかなかった。

「聞こえてたんですか」

「呼んだのだろう」

「練習です!」

「何の」

「名前の」

 そこまで言ってから、ひまりは両手で顔を覆った。説明するほど恥ずかしい。

 だがレオンは少し黙ったあと、予想外にやさしい声で言う。

「なら、もう一度」

「……無理です」

「練習にならない」

 結局その日、ひまりは顔を真っ赤にしたまま三回だけ「レオン」と呼ばされ、レオンはそのたびに律儀に返事をした。後から聞いた精霊たちは面白がって大騒ぎしたが、ひまりにしてみれば立派な試練だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ