第十二章 王子殿下は迎えに来る
リュン村での滞在が二週間を過ぎたころ、一通の急使が王都から届いた。
王都南区の水路で大規模な不調が起き、地下祭壇周辺の封印にも揺らぎが出ているという。文面を読んだひまりは顔を上げた。
「戻らなきゃ」
その日の夕方、村の入口に馬の蹄の音が響く。
先頭にいたのは、灰青の外套を翻したレオンだった。
「殿下!?」
ひまりが駆け寄ると、彼は馬から降りるなりひまりの顔を確かめた。
「怪我はないか」
「ありません。どうして自分で」
「必要だと言っただろう」
以前の会話を覚えていたらしい。ひまりの胸がじわりと熱くなる。
村長たちは慌てて頭を下げるが、レオンはそれを制して井戸や畑の様子を見た。村の状態が回復しているのを確かめると、ほんのわずかに安堵の色が滲む。
「よくやった」
その一言がうれしくて、ひまりはつい笑ってしまった。
「殿下に褒められると、なんか嬉しいですね」
「なんか、で済ませるな」
「え?」
「……いや、何でもない」
言いかけて飲み込むところまで、今日はなぜかよく見える。疲れているのだろうか、それとも余裕がないのだろうか。
出発は翌朝になった。
村人たちに見送られ、ひまりは馬車へ乗り込む。今回はセレナも同乗していた。彼女は書類の束を抱えたまま、疲れた顔で言う。
「王都が騒がしいですわ。ヴァルドが祭壇再起動のための試験を進めています」
「封印中じゃなかったんですか」
「封印しているのは殿下側の意向です。向こうは“緊急対応”を名目に押し通そうとしている」
ひまりはぎゅっと手を握る。嫌な予感が当たってしまった。
道中、レオンはあまり眠っていない様子だった。休憩のたびに報告を受け、地図を確認し、王都の状況を整理している。ひまりは見ていられず、昼休みに村でもらった焼き菓子を差し出した。
「これ、食べてください」
「おまえが食べろ」
「私は食べました。殿下、朝から何も食べてないでしょう」
図星だったらしい。レオンは少しだけ目を瞬かせ、それから受け取った。
「……覚えているのか」
「人のことには気づく方なんです」
「自分のことには鈍いくせに」
「う」
それは否定できない。
彼がひと口齧るのを見て、ひまりはほっとした。そんな些細なことでも安心してしまう自分が、もうかなり危うい。
馬車が揺れる中、ひまりは思いきって尋ねた。
「殿下、前に“私も必要だ”って言いましたよね」
車内の空気がぴたりと止まる。
セレナが目にも見えぬ速さで本へ顔を埋めた。
レオンは数秒沈黙し、低く答えた。
「言った」
「それって」
「王都へ戻ったら話す」
「今じゃだめですか」
「今だと、戻る前に馬車がひっくり返る」
ひまりは意味が分からず首を傾げ、セレナは本で顔を隠したまま肩を震わせていた。
王都の城壁が見えたころには、空は不穏な赤を帯びていた。
幕間 村からの帰路
リュン村から王都へ戻る馬車の中は、来たときよりずっと静かだった。
精霊たちは景色を眺めているし、ひまりも窓の外へ目を向けている時間が長い。村の子どもたちの手、戻り始めた水の流れ、入口へ置いた小さな石の腰掛け。短い滞在だったのに、置いてきたものが増えてしまった。
「寂しいか」
レオンが唐突に問う。
「少しだけ。でも、また行ける気がします」
「ああ」
「殿下が迎えに来てくれたから」
そう言うと、レオンは窓の外へ視線をやったまま、低く返した。
「次も必要なら行く」
その当然みたいな言い方が、ひまりには妙に嬉しい。
馬車が揺れるたび、二人の膝がほんの少しだけ近づく。言葉にしなくても、王都へ戻ったらまた忙しい日々が待っていることは分かっていた。
だからこそ、この静かな帰り道は、二人だけの小さな休憩みたいに思えた。
幕間 迎えに来た理由
レオンがリュン村へ来た日の夜、ひまりはどうしても一つだけ聞きたかった。
村長の家で簡単な夕食を終え、外へ出ると、夜の空気は冷たく澄んでいる。村の外れの風見木がぎい、と小さく鳴った。
「殿下」
呼びかけると、戸口にもたれていたレオンが顔を上げる。
「何だ」
「どうして、迎えに来てくれたんですか」
自分でも少しだけ声が震えているのが分かった。
王都からここまでは遠い。使いを出すことだってできたはずだ。なのに、彼は自分で来た。
レオンはしばらく黙っていた。風が一度、二人のあいだを抜ける。
「私が来る方が早かった」
「そういう答えじゃない気がします」
「……面倒だな」
「自覚はあります」
ひまりが言うと、レオンは小さく息をついた。
「王都はおまえがいないだけで静かすぎた」
予想外の答えに、ひまりは瞬きを忘れる。
「城も、庭も、市場も。どこへ行っても足りない」
「足りない?」
「騒がしさも厄介さも含めてだ」
それは褒め言葉なのかよく分からない。分からないけれど、胸の奥が熱くなる。
レオンは視線を逸らしたまま続ける。
「それに、おまえを一人で辺境へ置いたと判断されるのも面倒だった」
「最後で濁しましたね」
「濁していない。どちらも本音だ」
ずるい。そんな言い方をされると、真ん中にある一番大事なものを自分で探したくなる。
ひまりはうつむいて、足もとの土をつま先で小さく蹴った。
「……迎えに来てくれて、嬉しかったです」
夜気の中へ落とすような小さな声だったのに、レオンはきちんと拾ったらしい。
「そうか」
短い返事。
でも、その一言が妙にあたたかい。
村の上空では星が静かに瞬いていた。王都の灯りとは違う、余計なものを削いだような光だ。その下でひまりは、帰りの道が少しだけ楽しみになっている自分に気づいた。




