第十章 やわらかな追放
祭壇の件以来、ひまりへの視線は二つに分かれた。
王都を救う祝福の巫女として歓迎する者と、正体不明の異界人として恐れる者。
後者の声は日に日に大きくなった。宮廷の会議では、ひまりを王城外へ移すべきだという意見まで出始める。
「人の噂って、世界を越えても速いんですね……」
ひまりが肩を落とすと、セレナは書類を束ねながら言った。
「速いだけでなく、都合よく形を変えますわ。特に誰かが後ろで風を送れば」
「ヴァルドですか」
「十中八九」
だが証拠はない。
レオンは公然とひまりを庇ったが、それがかえって「王子が異界の娘に心を奪われた」という尾ひれを呼び、状況は微妙さを増した。
そしてある朝、正式な決定が下る。
ひまりはしばらくの間、王都南方の辺境村へ“慰問”の名目で滞在することになった。
慰問。なんて便利な言葉だろう。
「実質、追い出しですよね」
荷造りをしながらぼやくと、ココが荷袋の上で尻尾をぱたぱた振った。
『遠足』
「遠足にしては政治が重い」
ノックのあとに入ってきたレオンは、いつも以上に機嫌が悪そうだった。
「村は水源が枯れ始めている。おまえなら助けられる可能性がある」
「行くのはいいんです。助けになれるなら」
「……すまない」
王子の口から謝罪が出て、ひまりは目を瞬いた。
「殿下が謝ることじゃ」
「私が力不足だからだ」
低く押し殺した声に、ひまりは胸が痛くなった。彼がどれだけ踏ん張ってくれたか、ひまりにも分かる。王子であることは自由ではないのだ。
「私、行きます。たぶん、王都の外も見た方がいいと思ってたので」
そう言うと、レオンは少しだけ目を伏せた。
「護衛はつける。何かあればすぐ連絡しろ」
「殿下が迎えに来てくれますか」
冗談半分で言ったつもりだった。
だがレオンは真顔のまま答える。
「必要なら行く」
真っ直ぐすぎる。
ひまりは慌てて視線をそらし、荷袋の紐を結んだ。
辺境村リュンは、小さくて静かな村だった。
王都ほど衰弱が進んでいるわけではないが、水路の流れが弱く、畑の土も乾いている。村人たちはひまりを歓迎してくれたものの、どこか遠慮も混じっていた。王都から来た巫女に何を期待すればいいか、分からないのだろう。
ひまりはまず村を歩いた。
井戸、畑、祠、家々の並び、風の向き。王都で感じた“大きな息苦しさ”ではなく、ここには“小さなちぐはぐさ”が点々とある。
「水がまっすぐすぎる」
ひまりが呟くと、村長の老女が首を傾げた。
「まっすぐじゃ、だめなのかい?」
「だめじゃないんですけど、急ぎすぎてる感じがするんです」
自分でも変な説明だと思う。
けれど実際、水路は短く掘り直されたせいで流れが速すぎ、畑へ沁みる前に下流へ抜けてしまっていた。祠の周囲も伐り開かれすぎて、木陰がなくなっている。
ひまりは村人たちと一緒に泥だらけになりながら、水路を少し曲げ直し、小さな溜まりを作り、祠の周りに木の柵ではなく低い石を置いた。子どもたちと花を植え、井戸のそばには座れる丸太を置く。
「そんなことで変わるのかね」
村長は半信半疑だったが、夕方には畑の土がしっとりと落ち着き、夜には虫の音が増えた。
『ここ、いい』
『落ち着く』
精霊たちも嬉しそうだ。
村人たちは少しずつ笑顔を見せ始めた。
ひまりはその輪の中にいながら、ふと寂しさを覚える。王都を離れて数日。レオンからは必要な連絡しか来ない。当たり前なのに、それが少し物足りない。
なんだか、もう手遅れな気がした。
幕間 レオンの夜
ひまりが辺境村へ向かった夜、レオンは自室で一度も書類に集中できなかった。
報告書には目を通した。返事もした。祭壇の監視体制も増やした。それでも、気づけば視線は窓の外へ向く。王都の南、その先にある村の方角を無意味に確かめてしまう。
己でも驚くほど分かりやすかった。
いないだけで、城が静かすぎる。
あの娘は城に来た初日から騒がしかった。浴室を水浸しにし、暖炉を暴れさせ、庭を蘇らせ、会議で役人を困らせ、祭りを作り替えた。厄介の塊のような存在だ。だが同時に、気づけば人々の表情を変えていた。
中庭の侍女はよく笑うようになり、庭師は古い図面を引っ張り出し、セレナでさえ以前より話しやすくなった。
そして自分も。
レオンは机の引き出しから、小さな木の鳥を取り出した。ひまりが無自覚に削り出した、火精霊に似たあの像だ。手のひらへ載せると不思議に温かい。
「……私も必要だ、か」
湖畔で口をついて出た言葉を思い出し、彼は低く息をついた。
あれは王子としての本音ではある。だがそれだけではない。王都のためという大義名分の陰に隠してきた、もっと個人的で厄介な感情がある。
戻って来たら、言うべきか。
いや、言っていい立場なのか。
考えるほど厄介だが、答えは意外なほど単純だった。
言わなければ、たぶん後悔する。
その夜、レオンは初めて、王都の地図ではなく、一人の少女の顔を思い浮かべながら眠りについた。




