鷲の飢餓、あるいは深淵の共鳴
第2トラックをぴかりが丘学院が奪取した瞬間、ドームを揺らした歓声は、次の瞬間に訪れた「異様な静寂」にかき消された。
ステージ中央で、宇佐美いちかが自身の胸元を強く握りしめ、肩を揺らして笑っていたからだ。その笑いは、勝利の確信でも、敗北の悔しさでもない。獲物を前にした獣が漏らす、純粋な「飢え」の響きだった。
「……面白い。身体の芯が、これほどまでに熱いのはいつ以来だ」
いちかの瞳から、それまでの冷徹な光が消え、代わりに剥き出しの闘争心が溢れ出す。彼女が放つオーラは、物理的な熱を伴ってステージを浸食し始めた。
第3トラックのイントロが鳴り響く。 この曲こそが、今日すべての決着をつける最終楽曲。
ぴかりが丘は、月影ゆりを中心とした「全方位同時多層攻撃」を維持しようとするが、宇佐美いちかの変化が、その完成された調和を根底から揺さぶった。
「——道を開けろ。ここからは、私の時間だ」
いちかが放った第一声。それは第1、第2トラックで見せた「正解の音」とは明らかに違っていた。荒々しく、どこか不協和音を孕んだ、暴力的なまでの重低音。それがスピーカーを震わせた瞬間、ぴかりが丘のフロントラインを守っていた夏木りんが、その衝撃に突き飛ばされるようにたじろいだ。
「なっ……何、この音!? 重い、さっきまでの比じゃない……っ!」
りんは必死にマイクを構え直すが、いちかの歌声は、受け止める側の「予測」をすべて力ずくで粉砕していく。それはもはや技術ではなく、命の削り合いだった。
いちかの熱に浮かされるように、白鳥学園の他のメンバーも豹変した。紅城トワのダンスはより鋭利になり、春野はるかの高音は、ぴかりが丘のメンバーの鼓膜を直接引き裂くような執念を帯びる。
「……なぎさ、気をつけなさい。彼女たちは今、『正しくあること』を捨てて、『勝つこと』だけに特化した獣になったわ」
月影ゆりが冷静に告げるが、その彼女の額にも、かつてないほどの汗が滲んでいる。
美墨なぎさは、いちかの圧倒的な熱量に気圧されそうになりながらも、自分の内側にある「反逆心」を必死に奮い立たせた。 (あんな音、聴いたことない。……でも、あんなに楽しそうに歌う宇佐美いちかも、見たことがない!)
なぎさは、みゆきに視線を送った。みゆきもまた、いちかの放つ強大なプレッシャーの中で、狂おしいほどの笑顔を浮かべていた。彼女たちもまた、王者の覚醒によって、自分たちの限界の先にある扉を叩こうとしていた。
なぎさが選んだのは、これまでの練習でも一度も成功したことのない、超高速のラップと変拍子のシンクロだった。
「——みんな、宇佐美いちかの『熱』に飲まれるな! その熱を、自分たちの『翼』の浮力に変えるのよ!!」
なぎさの咆哮と共に、ぴかりが丘の六人が、崩れかけたフォーメーションを強引に立て直した。いちかの放つ暴力的な音の波に対し、六人があえてバラバラのタイミングで、けれど一つの意志に基づいた音をぶつけていく。
不協和音には不協和音を。 王者の暴力には、挑戦者の狂気を。
ドームのボルテージは、もはや計測不能な領域へと達していた。 支持率のメーターは、目にも留まらぬ速さで左右に振れ、どちらが優勢なのか誰にも分からない。
宇佐美いちかは、自分たちの完璧な壁を何度も突き破ろうとする、なぎさとみゆきの「不格好な翼」を愛おしむように見つめ、そして、さらに深い深淵から歌声を絞り出した。
「……来い、烏ども。お前たちのすべてを、私の歌で飲み込んでやる」
第3トラックは、もはや音楽の枠を超え、魂の純度を競い合う凄惨なまでの「表現の極地」へと突入していく。




