野良犬たちの邂逅、あるいは孤高の頂
ノーブル学園との死闘から一夜明け、ぴかりが丘学院の面々は、心地よい疲労感と、それ以上の高揚感の中にいた。ジャパン・ドーム・フェス県予選決勝進出。かつて「落ちた強豪」と揶揄された彼女たちが、ついに聖地の入り口に手をかけたのだ。
そんな中、美墨なぎさと星空みゆきは、なおコーチから命じられた備品の買い出しの帰り道、予選会場近くのジョギングコースを歩いていた。
「……信じられないよね、なぎささん。私たち、本当にあの青乃美希さんに勝っちゃったんだ」
みゆきが、まだ夢心地のような顔で空を仰ぐ。なぎさは鼻を鳴らしながらも、その瞳には静かな熱が宿っていた。
「勝ったのは事実よ。でも、美希さんが最後に言った言葉が気になるわ。……白鳥学園の、宇佐美いちか」
その名前を口にした瞬間だった。 前方から、地響きのような、規則正しい足音が聞こえてきた。アスファルトを蹴るその音は、まるで精密な機械が刻むビートのように重く、鋭い。
現れたのは、一人の少女だった。 白と紫を基調としたジャージを身に纏い、一切の無駄がないフォームで走り抜けるその姿。なぎさとみゆきは、思わず足を止めた。その少女から放たれるオーラがあまりに強大で、周囲の景色が色褪せて見えるほどだったからだ。
「……っ、あれって……」
みゆきが息を呑む。そこにいたのは、現・全国トップ3の歌姫であり、白鳥学園のセンター、宇佐美いちかだった。 いちかは二人の横を通り過ぎようとして、ふと足を止めた。彼女の視線は、なぎさたちが持っていた備品袋の「ぴかりが丘学院」のロゴに留まった。
「……ぴかりが丘。ああ、昨日の準決勝でノーブルを破ったユニットか」
いちかの声は、低く、深く、そして驚くほど透明だった。一切の感情を排したその響きは、聴く者に拒絶感ではなく、抗いようのない「正解」を感じさせる力がある。
「あんたが、宇佐美いちか……」
なぎさが一歩前に出る。いちかは、なぎさの鋭い視線を真っ向から受け止め、淡々と告げた。
「青乃は、優れたセッター(司令塔)だった。だが、彼女はチームという『土壌』を耕すことに執着しすぎた。痩せた土壌に立派な花を咲かせようとするのは無意味だ。……真の強さとは、個の力がすべてを凌駕する場所にある」
その言葉に、なぎさの眉が跳ね上がった。それは、なぎさがかつて目指し、そして仲間と共に否定したはずの「独裁」に近い思想だったからだ。
「……土壌がどうとか、そんなの勝手な決めつけだわ。美希さんは、最高のリーダーだった。私たちは、その美希さんを倒してここにいるのよ」
「そうか。ならば、私についてこい。言葉よりも、実力を見せた方が早いだろう」
いちかは短くそう言うと、再び走り出した。なぎさとみゆきは、吸い寄せられるようにその後を追った。 辿り着いたのは、白鳥学園の専用トレーニングセンターだった。ガラス張りのスタジオの中で、彼女たちは目撃する。
そこにあったのは、「アイドル」という言葉から連想される華やかさとは真逆の光景だった。 一糸乱れぬ動き、一切の私談を禁じた沈黙のレッスン。そして、中央でマイクを握るいちかが放つ歌声は、もはや「歌」というよりは「兵器」だった。
誰かに合わせるのではない。誰かに寄り添うのでもない。 圧倒的な声量と、完璧なピッチ。いちかの歌声は、周囲のメンバーの声を強引に引き連れ、ひとつの巨大な、抗いようのない「うねり」へと変えていた。
「……これが、白鳥学園……」
みゆきが呆然と立ち尽くす。なぎさもまた、己の心臓が早鐘を打つのを感じていた。 ノーブル学園が「洗練された戦術」の極致なら、この白鳥学園は「絶対的な個」の暴力だった。いちかという太陽が放つ光に、他の五人がただ付き従う。けれど、その光があまりに強烈なため、影さえもが武器になっているのだ。
いちかが歌い終え、なぎさたちを振り返った。
「理解したか。私たちは、弱い個を助け合うためにユニットを組んでいるのではない。最強の個が集まり、さらに巨大な個になるためにここにいる。……お前たちの『絆』という名の甘えが、私の歌声にどこまで耐えられるか。決勝のステージで試してやろう」
いちかの瞳には、傲慢さも蔑みもなかった。ただ、圧倒的な頂に立つ者だけが見ている、冷徹な真実があるだけだった。
「……っ、ふざけんな」
なぎさが、絞り出すように言った。 「絆が甘え? 仲間を信じることが無意味? ……あんたの言ってることは、全部、私が一度捨てたものだわ。それをあんたが肯定するっていうなら……」
なぎさはみゆきの肩を強く引き寄せ、いちかを指差した。
「あんたのその『完璧な個』を、私たちの『不格好な絆』でブチ抜いてやる。……覚悟しなさいよ、宇佐美いちか!」
いちかは、なぎさの宣戦布告を聴いても、表情ひとつ変えなかった。
「……野良犬が、吠えるか。いいだろう。その牙が届く場所まで、登ってくるがいい」
いちかは再びマイクへと向き直り、なぎさたちに背を向けた。その背中は、どんな絶望よりも遠く、どんな希望よりも高く見えた。
トレーニングセンターを出たなぎさとみゆきを待っていたのは、夕暮れ時の冷たい風だった。
「……なぎささん、私、ちょっと震えてる」 「……私もよ。……でも、これ、恐怖じゃないわよね」
二人は顔を見合わせ、同時に不敵な笑みを浮かべた。 絶対王者の正体を見た。その絶望的なまでの実力を知った。 けれど、だからこそ、自分たちが磨いてきた「武器」を試したくてたまらない。
烏たちは、静かに、けれど確実に牙を研ぎ始める。 ドームという空の頂点に君臨する鷲を、その座から引き摺り下ろすために。 決勝戦までのカウントダウンが、今、始まった。




