勝者と敗者、あるいは遠い背中
ステージの照明が落ち、観客の歓声が遠い地鳴りのように耳に残っている。ジャパン・ドーム・フェス県予選準決勝、その幕が閉じた後のバックステージは、信じられないほどの静寂に包まれていた。
ぴかりが丘学院のメンバーは、控え室のパイプ椅子に崩れ落ちるように座り込んでいた。誰も言葉を発しない。ただ、激しく上下する肩と、床に滴る汗の音だけが響いている。勝利の実感よりも先に、全身を支配しているのは、魂を削りきったことによる虚脱感だった。
「……勝ったんだよね、私たち」
星空みゆきが、掠れた声で呟いた。その言葉が合図だったかのように、日向咲、秋元こまち、黄瀬やよい、九条ひかりの瞳から、堰を切ったように涙があふれ出した。それは歓喜の涙であり、同時に、一歩間違えれば自分たちが立っていたかもしれない「敗北」の淵を覗き込んだ恐怖からの解放でもあった。
美墨なぎさだけは、一人離れた場所で壁に背を預け、自分の指先を見つめていた。指はまだ、最高のパスを放った瞬間の熱を覚えている。でも、なぎさの胸にあるのは、勝利の余韻だけではなかった。ステージの去り際、青乃美希が見せたあの「眼差し」が、心に深く突き刺さっていた。
同じ頃、ドームの駐車場に向かう裏通路では、ノーブル学園のメンバーが歩みを進めていた。先頭を歩く青乃美希の背中は、いつもと変わらず凛としていた。しかし、彼女の隣を歩く海藤みなみや、後ろに続くメンバーたちは、溢れる涙を拭おうともせず、ただ俯いていた。
「……泣かないの。みっともないわよ」
美希が振り返らずに言った。その声は平坦で、感情が読み取れない。
「でも、美希……! あと、あと一歩だったんだよ! 私たちが積み上げてきた三年間の練習は、あの子たちの『勢い』に負けるようなものじゃなかったはずなのに……っ!」
みなみの悲痛な叫びに、美希は足を止めた。美希はゆっくりと夜空を仰ぎ、細い指先で自身のマイクケースを強く握りしめた。彼女の脳裏には、最後に自分たちのダンス・バリケードを飛び越えていった星空みゆきの翼と、それを導いた美墨なぎさの執念が焼き付いている。
「……みなみ。才能は、開花させるもの。センスは、磨き上げるものよ。……私は、自分の三年間を一度も後悔していないわ。ただ、あの子たちの方が、あの瞬間だけ、私たちより少しだけ多く『音楽』を信じた。それだけのことよ」
美希はそう言うと、不意に足を止めた。通路の先に、一人の少女が立っていたからだ。 美墨なぎさだった。彼女は、どうしても美希に伝えなければならないことがあり、チームの輪を抜け出してここまで走ってきたのだ。
二人の天才が、街灯の下で対峙する。
「……何の用? 勝ち誇りに来たのなら、マイクで殴ってあげるけど」
美希の軽口に、なぎさは首を振った。
「美希さん。……私は、あんたがいたから、ここまで来られた。……でも、まだ足りない。あんたが言った『完璧』のその先を、私は見たいんです。だから……」
「……言われなくても分かってるわよ」
美希はなぎさの言葉を遮り、彼女の横を通り抜けざるを得ない瞬間に、耳元で低く囁いた。
「いい? ぴかりが丘。次の決勝で当たる『あのグループ』は、私の比じゃないわよ。……宇佐美いちかが率いる、白鳥学園。彼女たちは、音楽を『楽しむ』ことさえ忘れた、勝利の怪物たち。……負けたら、本当に承知しないんだから」
美希の背中が遠ざかっていく。なぎさはその場に立ち尽くし、美希が残した「白鳥学園」という名前に、背筋が凍るような戦慄を感じていた。
その後、なおコーチに連れられて、ぴかりが丘のメンバーは街の小さな定食屋へと向かった。 「——今日は、食え。泣くのは明日だ。身体を作らなきゃ、決勝のステージには立てないぞ」
なおの言葉に従い、メンバーたちは目の前に並べられた大盛りの料理を、必死に口に運び始めた。 最初は涙で味が分からなかった。けれど、噛み締めるたびに、自分たちが今日どれだけ戦ったのか、どれだけ生きたのかが、胃の腑に落ちていく。
咲が、みゆきが、なぎさが、泣きながら白飯を掻き込む。 その光景は、アイドルとしての華やかさとは程遠い、泥臭くも尊い「生命」の証明だった。
「……なぎささん、美味しいね」 「……ああ。……しょっぱいけど、美味しいわね」
なぎさは、涙混じりの味噌汁を飲み干した。 ノーブル学園という高い壁を越えた。けれど、その先にはさらに高く、雲を突き抜けるような巨大な山がそびえ立っている。
烏たちは、まだ止まれない。 翼を休めるのは、すべての歌を歌い終えた、その時でいい。
ぴかりが丘学院、決勝進出。 夜空に浮かぶドームの屋根は、次なる戦いの舞台として、冷たく、けれど挑戦的に輝いていた。




