勝負の旋律、あるいは王冠の棄却
ジャパン・ドーム・フェス県予選準決勝、最終第3トラック。月影ゆりが作り出した「調和」の旋律によって、ぴかりが丘学院は絶体絶命の淵から這い上がっていた。しかし、王者ノーブル学園の底力は底知れない。青乃美希が喉を震わせるたびに、会場の空気は再び支配の色に染まり、ゆりが整えたリズムを強引に上書きしていく。
「……ここまでね、月影さん。あなたの『優しさ』は、この冷酷な勝負の世界では、ただの甘さでしかないのよ」
美希が放った超高音のボーカルがぴかりが丘の陣地を揺らす。ゆりは眼鏡の奥で目を見開いたまま、その圧倒的な「個」の力に一歩後退した。彼女の丁寧なリードは、ユニットを立て直すには十分だった。だが、この王宮の門を力ずくでこじ開けるには、もう一段階上の「破壊力」が必要だった。
「——メンバーチェンジ。月影に代わって、美墨」
なおコーチの鋭い声が、熱狂する会場を貫いた。なぎさはベンチを立ち、ステージの境界線へと歩む。その足取りは、第1トラックの時のように焦燥に駆られたものではなかった。ゆりと視線が交差する。
「……ゆりさん。ありがとうございました」
「いいえ。……美墨さん、外から見た仲間の姿、ちゃんと目に焼き付けたかしら?」
「はい。……あいつら、私が思っていたよりずっと、強くて、頼りになりますね」
なぎさは短くそう答えると、ゆりからマイクを託された。ステージに足を踏み入れたなぎさの背中には、以前のような刺々しい「孤独な王様」のオーラはなかった。代わりに漂っていたのは、嵐の前の静けさのような、研ぎ澄まされた集中力だった。
なぎさがポジションに着くと、真っ先に星空みゆきが駆け寄ってきた。 「なぎささん! おかえりなさい! またガンガン飛ばしましょう!」
「……みゆき。あんた、さっきゆりさんと歌ってたとき、すごく楽しそうだったわね」
「えっ? あ、はい! ゆりさんの音、すごく安心感があって!」
なぎさは微かに笑った。それは、みゆきが見たこともないような、穏やかで不敵な微笑みだった。 「そう。じゃあ、私はあんたに『安心』なんてあげないわ。……その代わり、世界で一番ワクワクする『スリル』をあげる。ついてこられるわね?」
「——もちろんですっ!」
第3トラック、後半戦。なぎさのリードが再開された。 美希は、なぎさが再び「変人速攻」という自分の武器に縋り付くと予測していた。しかし、なぎさが最初に放ったのは、あえてみゆきを囮に使い、逆サイドの九条ひかりへと繋ぐ、極めて冷静で「ゆり的」な、全体を俯瞰したパスだった。
「……っ、なぎさちゃん、あなた……!?」
美希の瞳に驚きが走る。なぎさは、美希の予測を一点に集中させないよう、メンバー全員の個性をチェス盤の駒のように巧みに使い分け始めたのだ。なぎさの頭の中では、今、ゆりの「調和」と、自分自身の「技術」が、理想的な形で融合していた。
自分ひとりで美希に勝つ必要はない。この五人の力を100%引き出せば、その先で必ず美希を越えられる。なぎさは自分を飾っていた「孤独な王冠」を、自らステージの床に叩きつけた。
「……見てなさい、美希さん。これが、今の私のステージよ」
なぎさは激しいラップパートを刻みながら、みゆきの足元へ視線を送る。みゆきはなぎさの意図を察し、ノーブル学園の守備陣がひかりのロングトーンに意識を奪われた一瞬の隙を突いて、バックステージからフロントへと一気に駆け抜けた。
美希の計算が、初めて完全に「無」へと還った。 なぎさが放ったパスは、みゆきの最高到達点へ、吸い込まれるような軌道を描いて届けられた。それはゆりのように優しく、かつ、なぎさ本来の鋭さを失わない、究極の「音」だった。
ドォォォン!! という衝撃。 みゆきが放ったキメポーズと咆哮が、ノーブル学園のロイヤルブルーを、ぴかりが丘の黒い旋律が塗りつぶした。
「——よっしゃああああ!!」
みゆきとなぎさが、ステージの中央で強くハイタッチを交わす。 なぎさは、もう独りではなかった。彼女の背後には、信頼し合える仲間たちがいて、その仲間たちの存在こそが、なぎさを「真の王」よりも強大な「指揮者」へと変えていた。
青乃美希は、悔しげに唇を噛みながら、自身のマイクを握り直した。 「……認めてあげるわ、なぎさちゃん。あなたは今、最高の『絶望』を味わう資格を手に入れたわ」
王者のプライドを傷つけられた美希の瞳に、冷徹なまでの本気が宿る。 決着の時は近い。 烏の翼と大王様の権威、どちらが最後まで高く舞い続けるのか。 ジャパン・ドームへの道は、最終局面の熱狂へと飲み込まれていった。




