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『控え(バックアップ)』の矜持、あるいは繋がる絆

ジャパン・ドーム・フェス県予選準決勝、最終第3トラック。ステージ中央に立つ月影ゆりが放つ空気は、これまでのぴかりが丘学院が纏っていた「焦燥」を、霧が晴れるように消し去っていた。


ゆりのリードは、なぎさのような「一撃必殺」の威力はない。しかし、彼女の声は不思議なほど仲間の耳に馴染み、その心を軽くする力があった。ゆりは歌いながら、すれ違うメンバー一人ひとりの背中を叩き、あるいは小さくウィンクを送る。そのたびに、星空みゆきや日向咲の表情から硬さが消え、ダンスのキレが戻っていくのを、ベンチの美墨なぎさは食い入るように見つめていた。


「——咲、次は少し高めにハモるわよ。あなたの声なら、もっと会場の奥まで届くはず」


ゆりの指示は具体的で、かつポジティブだった。彼女は司令塔として音を操るだけでなく、パフォーマーとしての「感情」をコントロールしようとしていた。ノーブル学園の絶対的なカリスマ、青乃美希のプレッシャーに押し潰されかけていたユニットが、ゆりという触媒を得て、再び有機的な「生命体」として鼓動を始めたのだ。


対するノーブル学園。センターの青乃美希は、ゆりが投入されてからも余裕の笑みを崩していなかったが、その瞳の奥には微かな苛立ちが混じり始めていた。美希の計算では、なぎさという「劇薬」を抜いたぴかりが丘は、急速にその火力を失うはずだった。しかし、目の前の月影ゆりは、美希が繰り出す鋭いボーカルを驚異的な予測能力で拾い上げ、さらに自分たちの「有利なリズム」へと変換して返してくる。


「……ふん。なぎさちゃんみたいな『毒』はないけれど、あなた、相当に『粘り強い』のね、月影さん」


美希が歌の合間に冷たく言い放つ。ゆりは眼鏡のブリッジを指で押し上げ、静かに、けれど毅然と微笑み返した。


「ええ、そうよ。私はなぎささんみたいな天才じゃない。でも、私はこの三年間、誰よりも長くこの子たちの『声』を聴き続けてきたわ。誰がどこで息を吸い、誰がどのタイミングで最高の声を出すか。……データだけでは測れない『信頼』が、今の私にはあるの」


ゆりの言葉と共に、ぴかりが丘が鮮やかなコンビネーションを展開した。ゆりはあえて複雑な旋律を使わず、基本に忠実、かつメンバーが最も得意とするキーでパスを回す。それが結果として、ノーブル学園の「予測」を上回る。美希たちがなぎさの「速さ」を警戒して引いた裏を、ゆりの「丁寧さ」が突いたのだ。


ベンチでその光景を眺めていたなぎさは、隣に立つ東せつなが記録しているデータシートに目を落とした。なぎさがステージにいた時、自分は美希を倒すこと、そしてみゆきに「決めさせる」ことばかりを考えていた。けれど、ゆりは違う。ゆりはステージの全員が「戦っている」ことを誰よりも理解し、その全員の力を等しく引き出そうとしている。


(……私は、何を勘違いしていたんだ)


なぎさは、自分の指先を見つめた。司令塔の役割は、自分が勝つことじゃない。仲間に勝たせることだ。ゆりの背中は、なぎさが置き去りにしてきた「アイドルとしての原点」を無言で語っていた。


ステージでは、ゆりとみゆきの連携が決まろうとしていた。ゆりはみゆきの全力の跳躍を無理に引き出すことはしない。むしろ、みゆきが最も自然に跳べるリズムを整え、そこに音を添える。


「——みゆきさん、今よ!」


ゆりの透明なソプラノが、みゆきの背中を押し上げる。みゆきは迷いなく空を舞い、ノーブル学園の守備が僅かに薄くなった場所へ、渾身のフレーズを叩き込んだ。


「……っ、よしっ!」


みゆきが着地し、ゆりとハイタッチを交わす。その笑顔は、第1トラックで見せていた引きつったものではなく、心からこのステージを楽しんでいる者の輝きだった。


支持率のメーターが、ついにノーブル学園に肉薄する。青乃美希の眉根がピクリと動いた。彼女は自身のメンバーへ、より苛烈なダンスフォーメーションを指示した。もはや「ヒナ鳥の学芸会」と笑っていられる状況ではないことを、大王様は認めざるを得なかった。


「……みなみ、全力で行くわよ。あの眼鏡の子の『調和』を、私たちの『圧倒的な実力』で粉砕してあげる」


海藤みなみが美希の言葉に力強く頷き、ノーブル学園の旋律が一段と重厚さを増していく。 ゆりは、押し寄せる王者のプレッシャーを感じながらも、その視線を一度も逸らさなかった。彼女の役割は、なぎさが再びステージに戻るその時まで、この「烏の羽」を一枚も折らせずに繋ぎ止めること。


「控え」であることの矜持。それは、いつでも代わりを務められる準備ができていることではなく、自分がステージに立つその瞬間に、誰よりもユニットを輝かせることができるという誇りだ。


「……美墨さん。見ているかしら? これが、あなたの背負うべき『音』の重さよ」


ゆりは心の中で呟き、再びマイクを強く握りしめた。 第3トラックの均衡は、一人のバックアップが起こした奇跡によって、予測不能な熱狂へと加速していく。

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