王宮の旋律、独りじゃない歌声
ジャパン・ドーム・フェス県予選準決勝。ぴかりが丘学院の面々は、今、かつてない絶望の淵に立たされていた。
ステージを支配しているのは、間違いなくノーブル学園のセンター、青乃美希だった。彼女がひとたびマイクを握り、鋭いハイトーンを響かせるたびに、ぴかりが丘のフォーメーションは物理的な衝撃を受けたかのように乱される。美希の武器は、個人の歌唱力だけではない。相手の最も嫌なタイミング、最も守りにくい「心の隙間」に正確に音を叩き込む、非情なまでの戦術眼だ。
「……ハァ、ハァ……。なぎささん、リズムが……捕まえられない……!」
星空みゆきが、肩を上下させながら叫ぶ。なぎさから放たれるパスを、美希を中心としたノーブル学園のコーラス隊が、物理的な「音の壁」となって阻んでくるのだ。なぎさがどんなに精密な音を紡いでも、美希はその先を読み、自分たちのユニゾンでそれをかき消してしまう。
「……ちっ、あいつ……」
なぎさは唇を噛んだ。美希は今、なぎさに向かって微笑んでいる。それは、かつて同じベローネ学院のジュニア部門にいた頃、なぎさが何度も見せつけられた「完璧な支配者」の余裕だった。美希の繰り出す超ロングトーンのボーカルが、ぴかりが丘の、夏木りんの手元を弾く。
「……悪い! 弾いた!」
りんの声が響く。本来ならここで音の流れが途切れ、失点となるところだ。しかし、その時、なぎさの身体が反射的に動いた。
なぎさはステージの端、客席の最前列ギリギリまで滑り込み、死にかけた音を強引に拾い上げた。その瞳には、かつての「独りよがりの王様」と呼ばれた頃の傲慢さはなかった。ただ、この音を繋がなければならないという、純粋で必死な渇望だけがあった。
「——まだよ! 繋ぎなさい!」
なぎさが上げた音は、決して綺麗な放物線ではなかった。乱れ、震えるそのパスを、主将の日向咲が執念で空中で捉える。
「……なぎさ!!」
咲の声に、なぎさはハッとした。自分が拾った音を、誰かが繋いでくれる。そんな当たり前のことが、今のなぎさにはひどく新鮮に、そして力強く感じられた。
なぎさは、中学時代の自分を思い出していた。自分の才能に誰もついてこられず、背後を振り返れば誰もいないステージ。けれど、今は違う。隣には、どんなに無茶な音でも笑って追いかける星空みゆきがいて、後ろには何があっても支えてくれる夏木りんがいて、前には道を切り拓いてくれる九条ひかりと日向咲がいる。
(私は……独りで戦ってるんじゃない。私がこの音を上げれば、誰かが必ず、ステージの頂点へと運んでくれる)
なぎさの中で、何かが弾けた。 彼女は再びマイクを強く握り直し、隣に立つみゆきに視線を送った。それは、言葉を超えた、戦友としての合図だった。
「みゆき。……次、私が放る音は、あんたの最高到達点よりさらに『先』よ。美希さんの計算さえ届かない、誰もいない空へ跳びなさい」
「……っ、はい! なぎささん!」
なぎさが選んだのは、これまでのセオリーを完全に無視した、超高速のラップ・シーケンスだった。美希の予測アルゴリズムは、ぴかりが丘が守りに入ると弾き出していたはずだ。しかし、なぎさは最大のピンチで、最大の攻撃を選択した。
美希の瞳が、驚きで見開かれる。 「——なぎさちゃん、あなた……正気なの!?」
なぎさが放った鋭利な旋律は、美希の指先を僅かにかすめ、誰もいない空間へと突き抜けた。そこへ、みゆきが弾丸のように飛び込む。 みゆきは空中で、なぎさの旋律と一つになった。二人の声が重なり、閃光のようなデュエットが会場を貫く。
ノーブル学園の絶対的な防衛ラインが、初めて内側から爆発するように崩れた。
着地したみゆきが、なぎさと力強くハイタッチを交わす。 「……やった! なぎささん、今の、完璧に決まりました!」
「……ええ。でも、まだ一回よ。あの大王様を完全に引きずり下ろすには、もっと、もっと高い場所へ行かないと」
なぎさはそう言いながらも、微かに微笑んでいた。 ステージの反対側では、青乃美希が静かに、けれど苛烈な闘志をその身に纏い直していた。彼女の瞳からは余裕が消え、代わりになぎさを一人の「対等な敵」として認める、冷たく鋭い光が宿っている。
「……面白いわ。なぎさちゃん、あなたはやっぱり、私の人生を狂わせる最高の『バグ』ね」
美希の声が、ステージの床を震わせる。 王宮の支配はまだ終わらない。けれど、烏たちの羽ばたきは、確実にその壁を削り始めていた。
ぴかりが丘学院アイドル部。 独りだった王様が、仲間という翼を手に入れ、今、真の覚醒を迎えようとしていた。 準決勝は、ここからさらに加速する旋律の渦へと、観客を引きずり込んでいく。




