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加速する静動、烏たちの残響

東京の喧騒を背に、ぴかりが丘学院アイドル部を乗せたマイクロバスは、東の空が茜色に染まる頃、ようやく地元へと戻ってきた。車内は驚くほど静かだった。数日前、期待と緊張で騒がしかったのが嘘のように、メンバーたちは深い眠りに落ちている。九条ひかりは夏木りんの肩に頭を預けて穏やかな寝息を立て、部長の日向咲も窓枠に頭を預けて微睡んでいた。


ただ二人、最後列に座る美墨なぎさと星空みゆきだけは、暗くなり始めた車窓の外をじっと見つめていた。


みゆきの手には、桃園ラブと交換したばかりのメッセージアプリの画面が光っている。「また今度。ゲームオーバーにならないようにね」——そんなラブらしい、素っ気ない、けれど確かな再戦の約束。みゆきはその文字を何度もなぞりながら、まだ身体の芯に残っている七ツ橋学園の「しなやかなユニゾン」の感覚を思い出していた。


「……なぎささん、寝てないの?」


みゆきが小声で尋ねると、なぎさは視線を窓の外に固定したまま、低く答えた。


「……あの子の目、覚えてる? 桃園ラブ」


「うん。猫みたいな、全部見透かされてるみたいな目」


「そう。あの子は私のパスを、私の思考を、まるでプログラムを読み解くみたいに処理してた。私は今まで、自分のリズムこそが絶対だと思ってたけど……あの子の前では、私の正解はただの『予測可能なデータ』に過ぎなかった」


なぎさの拳が、ジャージの上で固く握り締められる。それは敗北の悔しさというよりは、自分という楽器の不完全さを突きつけられた表現者の苛立ちに近いものだった。


「でも、なぎささん。最後の一撃、ラブちゃん驚いてたよ。あんな顔、初めて見たもん」


みゆきが笑うと、なぎさはようやくこちらを向き、ふっと口角を上げた。「……あれはあんたが、私の計算を無視して勝手に跳んだからでしょ。私のミスを、あんたが無理やり正解に変えただけよ」


バスが学校の正門を潜り、停車する。なおコーチの「着いたよ、降りな」というぶっきらぼうな声で、部員たちが次々と目を覚ました。降り立ったぴかりが丘の空気は、数日前とは明らかに変わっていた。目に見える技術以上に、彼女たちの肌に馴染んだ「戦うアイドルの匂い」が、夜の校庭に漂っている。


翌日からの練習は、地獄のような熱を帯びた。合宿で見えた課題は山積みだった。七ツ橋に通用しなかった連携、スタミナ不足、そして何より、なぎさとみゆきの「変人速攻」が読まれた時の次の一手。


なおコーチは、レッスンルームの壁に大きなトーナメント表を貼り出した。


「いいかい。インターハイ予選まで、もう時間はない。あんたたちが東京で拾ってきた『負けの味』を、ここでどう消化するかが勝負だよ」


なおの視線が、特にみゆきに注がれる。みゆきはなぎさと組めば最強の「囮」になるが、個人としての歌唱やダンスの基礎力では、まだ強豪校のレギュラーには及ばない。


「みゆき。あんたは今、なぎさという精密な機械に『動かされてる』状態だ。でも、本当に猫を、あるいはその先の『王様』を食い破るつもりなら、あんた自身がステージの戦況を読み、自分の意志で空中のルートを選べるようにならなきゃいけない」


「……自分の意志で……」


みゆきは、自分の掌を見つめた。これまでは、なぎさの音が鳴る場所へ全力で走るだけで精一杯だった。けれど、あの桃園ラブは、踊りながらフロア全体の「空白」を見極めていた。


その日の居残り練習。なぎさとみゆきは、二人だけでフロアに残っていた。音響から流れるのは、激しいアップテンポのビート。


「なぎささん、もう一回! 今度は、私に合わせないで、もっと……一番速い音をちょうだい!」


「……あんた、それについてこられなきゃ、ただの放送事故よ?」


「いいから! 試してみたいの!」


なぎさは少し迷った後、不敵に笑って再生ボタンを叩いた。これまでのなぎさは、みゆきの最高到達点に「優しく」音を置いていた。けれど、今のなぎさが放ったのは、みゆきの身体能力の限界を試すような、冷徹で鋭いハイトーンのパス。


みゆきは跳んだ。空中で、音を探す。いつもならそこにあるはずの音が、さらに先へと逃げていく。


(もっと、もっと先! あの音を、私の爪で捕まえるんだ!)


空中で、みゆきの身体が僅かにしなった。なぎさの放った超速のメロディに、みゆきの指先が触れる。パチン、と何かが弾けるような音がした。けれど、着地したみゆきはバランスを崩し、無様にフロアに転がった。


「……ダメだ、合わない。やっぱり今のあんたには、私の『最高速』は早すぎるわね」


「……ううん、今、一瞬だけ見えた気がしたよ」


フロアに倒れ込んだまま、みゆきは天井のライトを見上げて笑った。


「なぎささんの音が、光の筋みたいに見えたの。そこに行けば、ラブちゃんでも触れないような、誰もいない高い場所に行けるって」


なぎさは、タオルを放り投げてみゆきの顔に被せた。「バカ言わないで。そんなの、ただの幻覚よ」


口ではそう言いながら、なぎさの心臓もまた、激しく波打っていた。みゆきが進化しようとしている。自分が作り出す「完璧な正解」の、さらにその先にある「狂気」の領域へと。


一方、部室では月影ゆりと東せつなが、対戦相手のデータを分析していた。インターハイ予選。そこには、かつてなぎさを「孤独な女王」へと追い込んだ因縁の相手、青乃美希率いるノーブル学園も待ち構えている。


「……烏は、ようやく羽を整え終えたようね」


ゆりが眼鏡を押し上げながら呟く。その視線の先では、レッスンルームから今もなお、なぎさとみゆきがぶつかり合う激しい音が響いていた。


失敗し、転び、それでもまた跳び上がる。その単調で過酷な繰り返しの果てに、彼女たちは自分たちだけの「武器」を、もう一度鍛え直そうとしていた。


七ツ橋という猫に教えられた、自分たちの弱さ。 それを強さに変えるための、嵐のような日々。 ぴかりが丘学院アイドル部は、誰にも気づかれないところで、確実に、そして静かに、その爪を研ぎ澄ませていた。


インターハイ予選開幕まで、あとわずか。 烏たちが、再び大空を黒く染めるための序曲が、夜の校舎にいつまでも鳴り響いていた。

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