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猫の目と烏の爪

七ツ橋学園の専用スタジオに、耳を刺すような鋭い電子音が鳴り響いた。それは、一対一の合同リハーサルの幕開けを告げる合図だった。ぴかりが丘学院の面々は、黒いトレーニングウェアを翻し、ステージ中央で円陣を組む。昨日までの和やかな空気は霧散し、フロアには火花が散るような緊張感が満ちていた。


「いい、みんな。相手はあの『七ツ橋』よ。派手なソロパートに惑わされないで。あそこは、全員が全員を補い合う『繋ぎ』のユニット。一瞬の隙も作らないつもりでいくわよ!」


部長の日向咲が力強く声をかける。それに、なぎさやひかり、りんたちが力強い返事で応えた。対する七ツ橋学園。彼女たちは、昨日のリハーサルと同様、どこか肩の力が抜けた、しなやかな佇まいでポジションについていた。センターの山吹祈里が柔和な笑みを浮かべる一方で、その後ろに立つ桃園ラブの瞳は、昨日よりもさらに無機質で、冷徹な光を宿していた。


「……ラブ、準備はいい?」


祈里の問いかけに、ラブは小さく頷いただけだった。彼女の視線は、ぴかりが丘の最前列で鼻息荒く構える星空みゆきに固定されている。ラブにとって、ステージは華やかな夢の舞台ではない。それは、敵の動きを読み、最適解を導き出し、効率的に「攻略」すべき冷徹なゲーム盤だった。


「ミュージック、スタート!」


なおコーチの号令と共に、重厚なベースラインがスタジオのスピーカーから爆発した。先攻はぴかりが丘。なぎさが刻む超高速の変則リズムに、みゆきが狂ったような速度のステップで呼応する。それは昨日、町内会OGたちを驚かせた、あの「変人速攻」のアイドル版——予測不能な超抜ダンスと、なぎさのピンポイントなボーカルパスが融合した、ぴかりが丘最大の武器だった。


みゆきがフロアを蹴り、誰よりも高く跳ぶ。その最高到達点で、なぎさの放った鋭い高音が重なり、二人のエネルギーが一点に凝縮される。通常のユニットなら、その圧倒的な「速さ」と「勢い」に気圧され、フォーメーションを乱されるはずだった。


しかし、七ツ橋学園のメンバーは動じなかった。みゆきが着地し、次のフォーメーションに移ろうとした瞬間、彼女たちの目の前には、すでに完璧な守備位置についた七ツ橋のメンバーが立ちはだかっていた。


「……えっ!?」


みゆきが息を呑む。どんなに速く動いても、どんなに鋭い角度で歌を叩きつけても、七ツ橋のメンバーは吸い付くような動きでそれを「拾って」しまう。彼女たちは個人の身体能力で対抗しているのではない。みゆきが動く予兆を、なぎさが視線を送るタイミングを、ユニット全員が「共有」し、組織的に包囲網を敷いているのだ。


そして、その包囲網の糸を引いているのは、間違いなく桃園ラブだった。彼女は激しい動きを最小限に抑えながら、常にユニットの最後尾や隙間に位置取り、指先一つ、視線一つで仲間に指示を出していた。ラブの頭の中では、ぴかりが丘の全データのシミュレーションがリアルタイムで更新されている。


「……あの子、やっぱり怖い」


なぎさが歌いながら、奥歯を噛み締めた。自分のリードが、すべて読まれているような感覚。どれだけ意表を突くフレーズを繰り出しても、ラブの瞳は「知っていた」と言わんばかりに冷たくこちらを見据えている。


「なぎささん、もう一回! もっと速く!」


みゆきが焦燥に駆られ、さらに速度を上げる。しかし、速度を上げれば上げるほど、七ツ橋の「粘り」は強固になっていった。彼女たちは決して無理をしない。みゆきたちの攻撃を完璧にシャットアウトするのではなく、少しずつ威力を削ぎ、自分たちのリズムへと引きずり込んでいく。


「……しつこい。猫みたいに、ずっと足元にまとわりついてくる感じ……」


りんが、ダンスカバーをしながら呟いた。九条ひかりの破壊力抜群のソロでさえ、七ツ橋は二人、三人とコーラスを重ねることで、その圧力を分散させ、最後には何事もなかったかのように自分たちの旋律へと繋げてしまう。


「……ラブ、そろそろかな」


祈里が、歌の合間にラブへ視線を送る。ラブは小さく、首を縦に振った。攻略の第一段階、データの収集と「慣れ」が完了した合図だった。


次の瞬間、七ツ橋のパフォーマンスが変貌した。それまで守備一辺倒だった彼女たちが、一つの生き物のように一斉に前へと踏み込んできたのだ。ラブが描いた完璧な「反撃のシナリオ」。ぴかりが丘の動きを完全に封じ込め、その体力が削れた瞬間を狙った、冷酷なまでの波状攻撃。


「——っ、みんな、崩されないで!」


咲の声も虚しく、ぴかりが丘のフォーメーションに微かな亀裂が入る。みゆきとなぎさの連携が、ラブの誘導によって物理的な距離を引き離され、孤立させられていく。


スタジオの鏡に映る自分たちの姿が、ひどく不格好に見えた。みゆきは汗を拭う間もなく、目の前でしなやかに舞うラブの姿を追う。ラブは一度も呼吸を乱すことなく、まるですべての結果が最初から決まっていたかのように、淡々と自分たちの旋律を完成させていった。


一曲が終わり、静寂がスタジオを支配する。ぴかりが丘の面々は肩で息をし、膝をついていた。対する七ツ橋は、まるですぐにでも次の曲を始められるかのような余裕を保っている。


「……すごい」


みゆきは、自分の震える手を見つめた。負けている。圧倒的に、戦略の深さで負けている。けれど、その震えは恐怖だけではなかった。


「……ねえ、ラブちゃん」


みゆきが、立ち去ろうとするラブの背中に声をかけた。ラブは足を止め、少しだけ面倒そうに振り返る。


「……今の、もう一回やりたいです! 私、次はもっと、もっと上手く跳べるから!」


ラブの瞳に、一瞬だけ、本当に一瞬だけ、戸惑いのような色が浮かんだ。彼女の理論では、今の完膚なきまでの攻略を受けた相手は、戦意を喪失するか、あるいは混乱に陥るはずだった。しかし、目の前の「烏」の瞳は、さらに強く、真っ直ぐに自分を射抜いていた。


「……あんた、変だね」


ラブは短くそう言うと、わずかに口角を上げた。それは、攻略すべきゲームの中に、未知のバグを見つけた時のゲーマーのような、歪で、けれど確かな好奇心の現れだった。


なおコーチは、そんな二人のやり取りを壁際で眺めながら、満足そうに腕を組んだ。「猫」のしなやかな守備と、「烏」の野性的な攻撃。その衝突は、まだ始まったばかりだ。


「よし、五分休憩! 次は、今のデータの裏をかく練習をするよ!」


なおの号令に、ぴかりが丘のメンバーが再び顔を上げる。負けてなお、彼女たちの羽は折れていなかった。むしろ、七ツ橋という強大な鏡に照らされることで、自分たちの本当の姿を、その爪の鋭さを、彼女たちは見つけ出そうとしていた。


スタジオの外では、五月の風が激しく吹き荒れていた。嵐は、これからさらに激しさを増していく。

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