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しなやかな再会、猫と烏の視線

五月の突き抜けるような青空の下、ぴかりが丘学院アイドル部を乗せたマイクロバスは、ついに東京の喧騒へと滑り込んだ。窓の外に流れるビル群の影を追いながら、星空みゆきは膝の上で何度も拳を握り締めていた。初めての県外合宿、そして「七ツ橋学園」という宿命のライバルの存在。緊張と興奮が、交互に心臓を叩いている。


バスが静かに停車したのは、古びているが手入れの行き届いた七ツ橋学園の専用スタジオ前だった。扉が開くと同時に流れ込んできたのは、都心の熱気と、どこか規律正しさを感じさせる静寂。バスを降りたなおコーチの後に続いて、咲、なぎさ、りん、ひかり、せつな、そして最後にみゆきが地面を踏みしめた。


そこに待っていたのは、赤を基調とした洗練されたジャージを纏った六人の少女たちだった。華美な装飾はないが、一人ひとりの立ち姿から、積み重ねてきた圧倒的な練習量が透けて見える。その中心で、柔和な笑みを浮かべながらも、眼光だけは鋭くこちらの「骨格」を見抜こうとしている女性がいた。七ツ橋の顧問、そしてかつてなおコーチと切磋琢磨したライバル、山吹祈里たちの指導者だ。


「……なお、久しぶりね。また烏を飼い始めたって聞いて、楽しみにしてたのよ」


七ツ橋の指導者が歩み寄ると、なおコーチは不敵に鼻を鳴らした。「飼い始めたんじゃないよ。勝手に集まってきただけさ。……こいつら、少しばかり羽が荒いけどね」


挨拶もそこそこに、両ユニットはスタジオへと移動した。鏡張りの広いフロア。そこは、これまでに数多のアイドルが夢を追い、そして散っていった戦場だ。ぴかりが丘の面々が圧倒されている中、みゆきだけはフロアの隅に置かれた音響機材の横で、一人の少女と目が合った。


金髪に近い明るい茶髪を無造作にまとめ、スマートフォンを片手にぼんやりとこちらを眺めている少女。彼女こそが、なおコーチが警戒していた七ツ橋の「脳」、桃園ラブだった。ラブはみゆきの視線に気づくと、ほんの少しだけ面倒そうな顔をして、視線を再び画面に戻した。その無防備な立ち振る舞いに、みゆきは拍子抜けしてしまう。この子が、あの恐ろしい七ツ橋の司令塔?


「……あ、あの! 星空みゆきです! よろしくお願いします!」


みゆきが元気よく頭を下げると、ラブはゆっくりと顔を上げた。猫が獲物の動きを確認するかのような、薄い黄金色の瞳。彼女は短く「……ラブ。よろしく」とだけ答えると、スマートフォンの電源を落とし、ジャージを脱いだ。その下から現れたのは、無駄な贅肉を一切削ぎ落とした、しなやかなダンサーの肉体だった。


合同リハーサルは、まずウォーミングアップから始まった。しかし、その時点ですでに両校の「色」は鮮明に分かれていた。ぴかりが丘が、なぎさの鋭いビートにみゆきやひかりが爆発的なエネルギーをぶつけていく「静と動」のユニットなら、七ツ橋は全員が同じ呼吸でフロアを滑る「流動的」なユニットだ。


「……ねえ、なぎささん。あの子たち、全然音が鳴らないよ」


みゆきが小声で呟く。七ツ橋のメンバーは、激しいステップを踏んでいるはずなのに、着地音が驚くほど静かなのだ。衝撃を全身で逃がし、次の動作へと繋げる技術。それは、どんなに激しい楽曲の中でも、決して自分たちのリズムを崩さないという鋼の意志の表れでもあった。


リハーサルの第一幕として、交互に一曲ずつ披露することになった。まずはぴかりが丘。なぎさが再生ボタンを押し、重低音がフロアを震わせる。みゆきは自慢の跳躍を武器に、誰よりも高くステージ(を模したフロア)を舞った。ひかりのロングトーンが空気を切り裂き、りんがバックダンサーとして完璧なカバーを見せる。なおコーチの指導を経て、その攻撃力は確実に一段階上のステージへと昇華されていた。


踊り終え、激しい呼吸を整えるみゆきたち。七ツ橋のメンバーは、そのパフォーマンスを静かに見守っていた。桃園ラブの瞳には、感情の機微は見えない。ただ、コンピューターがデータを処理するように、みゆきたちの動線を、癖を、視線の動きを、一つひとつ記憶に刻み込んでいるようだった。


「……次は、私たちの番ね」


七ツ橋のリーダーが短く告げると、彼女たちは音もなくポジションについた。曲が始まった瞬間、みゆきは肌に粟を生じた。七ツ橋のパフォーマンスには、ぴかりが丘のような「派手な大技」はない。しかし、六人の歌声が完璧に重なり合い、誰かが移動すれば、その空白を埋めるように自然に別の誰かが入り込む。まるで六人で一人の人間であるかのような、有機的な繋がり。


そして何より恐ろしいのは、桃園ラブだった。彼女はセンターに立つわけでもなく、激しく歌い上げるわけでもない。しかし、彼女の視線がフロア全体を常にスキャンし、微かなズレを感じるたびに、小さなステップや目配せだけでユニット全体の軌道を修正していく。


「……あの子、踊りながら全員を見てる……」


せつなが眼鏡の奥で目を見開いた。なぎさもまた、その「繋ぎ」の完成度に戦慄していた。自分のパスがどれだけ速くても、彼女たちはそれを予見していたかのように、しなやかに受け止めてしまうのではないか。そんな予感がフロアに満ちていく。


ラブの視線が、再びみゆきを捉えた。それは「敵」を見る目ではなく、パズルのピースがどこに嵌まるべきかを確認するような、無機質な観察者の目。みゆきはその視線に射すくめられ、自分の羽が、見えない糸で絡め取られていくような錯覚に陥った。


「……すごい」


みゆきは思わず、その言葉を口にしていた。怖い。圧倒的に強い。でも、それ以上に、この「猫」たちのリズムをもっと近くで感じたい、この完璧な繋ぎを、自分たちの「翼」でぶち壊してみたい。そんな、純粋で残酷なアイドルとしての本能が、みゆきの心の中で熱く疼き始めていた。


「面白いじゃない。……やっぱり、あんたたちを呼んで正解だったわ」


なおコーチが、七ツ橋の指導者と視線を交わしながら笑う。その横で、桃園ラブは再びスマートフォンを取り出し、画面を見つめ始めた。彼女にとって、今のリハーサルはあくまで「初期データの収集」に過ぎないのだ。


ぴかりが丘の烏たちが、初めて出会った「落とせない壁」。 それは、かつて経験した伊達ヶ原の「鉄壁」のような硬い壁ではない。触れようとすればすり抜け、捕まえようとすればしなやかに逃げていく、底知れない「繋ぎ」の迷宮。


合宿一日目、リハーサル室の外では、不穏な雲が夕焼けを飲み込もうとしていた。烏と猫。数年の時を経て再び相まみえた宿命のライバルたちが、本気の牙を剥くのは、明日の本番リハーサル。


みゆきは、自分のシューズの紐をきつく締め直した。桃園ラブのあの無機質な瞳に、いつか「驚き」という感情を灯してやる。その決意だけを胸に、彼女は鏡の中の自分を、これまでになく強く見据えていた。

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