嵐の予感と烏の休息
あの日、ノーブル学園のスタジオで青乃美希に見せつけられた「完璧な支配」。 敗北の味を噛み締めながら、ぴかりが丘学院アイドル部は死に物狂いで食らいついてきた。町内会OGとの激闘を経て、九条ひかりという「折れない大砲」が戻り、夏木りんという「鉄壁の盾」がその背後を固める。そして星空みゆきとなぎさの変人コンビが、予測不能な軌道でステージをかき乱す。バラバラだった個性が、なおコーチという指導者を得て、一つの巨大な「うねり」へと変わりつつあった。
「いいかい、あんたたち。今日はこれで解散だ」
なおコーチがパイプ椅子から立ち上がり、床に転がっているメンバーたちを見渡した。ノーブル学園に叩きのめされたあの日とは、部員たちの目に宿る光が違う。その視線は以前よりも鋭く、同時にどこか期待を孕んでいるように見えた。部員たちが帰り支度を始める中、顧問の先生が、少し震える手で一枚のファックスを握りしめて駆け込んできたのは、そんな時だった。
「みんな、聞いてくれ! 決まった……ついに決まったんだよ!」
先生の興奮した声に、着替えかけていたみゆきたちが一斉に顔を上げる。先生が掲げた紙には、流麗な文字で「私立七ツ橋学園・合同合宿受け入れ承諾書」と記されていた。その瞬間、なおコーチの口角が不敵に上がった。
「七ツ橋学園……東京の、あの『猫』か」
部長の日向咲が、小さく息を呑む。七ツ橋学園アイドル部。かつて「烏」と呼ばれたぴかりが丘学院が最も輝いていた時代、常にその行く手を阻み、あるいは共に高め合ってきた宿命のライバルだ。圧倒的なカリスマを持つ天才がいるわけではない。しかし、彼女たちのパフォーマンスは、六人の意識が一本の糸で繋がっているかのように滑らかで、どんなに激しい攻撃も吸い込むように受け流してしまう。そのしなやかで粘り強いスタイルから、いつしかファンは彼女たちを「猫」と呼ぶようになった。
「ゴミ捨て場の決戦……」
なぎさが、絞り出すように呟いた。美希の「高さ」とは違う、絡みつくような「粘り」を持つ相手。かつて、ぴかりが丘と七ツ橋は、その泥臭くも熾烈なラリーからそう称されていた。両校の指導者が一線を退き、チームが弱体化するにつれて記憶の彼方へと追いやられていた因縁が、今、この令和のアイドルシーンで再び蘇ろうとしている。
「場所は東京、七ツ橋の専用スタジオだ。ゴールデンウィークの四日間、みっちりしごいてもらうことになるよ。……いいかい、これはただの練習じゃない。あんたたちがノーブル学園、そして全国で戦える『烏』なのか、それともただの『飛べない鳥』なのかを証明する戦いだ」
なおコーチの言葉に、レッスンルームの空気が一気に張り詰める。みゆきは、自分の胸が高鳴るのを感じていた。まだ見ぬ強敵。東京という大舞台。そして、自分たちの力がどこまで通用するのかという未知への期待。
「ウルトラハッピー……!」
思わず漏れたみゆきの声に、隣にいたなぎさが「あんた、少しは緊張しなさいよ」と呆れたように肩をすくめた。しかし、なぎさの瞳もまた、美希に敗れた悔しさを糧にした、挑戦者としての鋭い光を宿している。
合宿までの数日間は、まさに嵐の前の静けさ、そして嵐の中の特訓だった。なおコーチの指導は日に日に厳しさを増し、フォーメーションの確認、コーラスの重なり、そして何より「床に音を落さない」ための徹底したダンスカバーの練習が繰り返された。
そして、合宿出発の前夜。みゆきは自宅の庭で、一人月を見上げていた。
「七ツ橋学園……どんな人たちなんだろう」
彼女は、なおコーチから聞かされた七ツ橋の「脳」と呼ばれる存在の話を思い出していた。自分とは真逆の、冷静で、計算高い、ゲームのようにステージを攻略する少女。まだ名前も知らないそのライバルに、みゆきは不思議な親近感と、同時に拭いきれない恐怖を感じていた。
翌朝、ぴかりが丘学院の校門前には、大きな荷物を抱えた六人の少女たちが集まっていた。バスが動き出す。窓の外を流れていく景色は、徐々に街並みを変え、高層ビルが立ち並ぶ大都会へと近づいていく。
「……着いたよ」
咲の声で目を覚ましたみゆきが窓の外を見ると、そこには洗練されたガラス張りのビルと、その前に整然と並ぶ「赤いジャージ」の集団があった。
バスの扉が開く。最初に一歩を踏み出したなおコーチの背中を追って、みゆきたちも地上へ降り立つ。そこには、独特の静寂があった。
その集団の真ん中、少し気怠そうにスマートフォンをいじっていた一人の少女が、ゆっくりと顔を上げた。金髪に近い髪を無造作にまとめ、猫のような細い瞳を向けてきたその少女——桃園ラブと、みゆきの視線が重なった。
「……あ」
みゆきの喉が、小さく鳴った。言葉は交わしていない。けれど、その一瞬の視線の交差だけで、みゆきは直感した。この場所で、自分たちのアイドル人生を大きく変える「嵐」が吹き荒れることを。
ぴかりが丘の烏たちが、東京の猫のテリトリーに足を踏み入れた。ゴールデンウィークの初日、騒がしい都会の喧騒の中で、運命の歯車が音を立てて回り出した。




