烏の休息、そして遠雷
「……よし、今日はここまで! みんな、いい顔してるね!」
部長の日向咲の明るい声が、西日に照らされたレッスンルームに響いた。 最強の守護神・夏木りんが戻り、エース・九条ひかりが再びマイクを握った。ぴかりが丘学院アイドル部は、創部以来の「完全体」となって初めての一週間を終えようとしていた。
「ハァ、ハァ……。なぎささん、今の……今のステップ、ちょっとだけ合った気がしない?」 みゆきは床に大の字に寝転がりながら、隣でタオルを被っているなぎさを見上げた。 「……40点ね。あんたが私のリードを『待ってる』時間がまだコンマ数秒長いわ。私の音が鳴る前に、あんたの体はもう宙に浮いてなきゃダメなのよ」 なぎさは相変わらず厳しいが、その言葉に以前のような「突き放す冷たさ」はない。彼女もまた、みゆきという「異質な翼」をどう乗りこなすか、楽しくて仕方がないのだ。
そんな二人の様子を、りんとひかりが少し離れた場所で笑いながら見ていた。 「……賑やかになったわね、この部屋も」 ひかりが、大切そうにマイクを拭きながら呟く。 「そうね。あいつら二人が入ってから、空気が止まらなくなった。……ひかり、あんたもあの一年生コンビに負けてらんないわよ。あんたが決めなきゃ、私の繋いだ意味がないんだから」 「……うん。わかってるよ、りんちゃん」
かつて「落ちた強豪」と呼ばれ、静まり返っていたこの場所に、確かな鼓動が戻っていた。 けれど、そんな穏やかな空気を切り裂くように、勢いよく扉が開いた。
「みんな! 朗報だよ!!」
入ってきたのは、アイドル部の顧問を務める、少し気弱だが熱意だけは誰にも負けない若手教師だった。彼は息を切らしながら、一枚のプリントを高く掲げた。
「き、決まったよ……。ゴールデンウィークの最終日。……『私立七ツ橋学園』との、合同リハーサルだ!」
その名前が出た瞬間、レッスンルームの温度が数度下がったような気がした。 日向咲の瞳が鋭く細められる。 「……七ツ橋。本当に、あの七ツ橋と?」
「ああ。向こうの監督が、うちが復活したって聞いて、興味を持ってくれたみたいでね。……場所はあちらの専用スタジオ。完全なアウェイだけど、どうかな?」
「断る理由なんてないわ」 なぎさが、立ち上がってジャージを羽織った。その瞳には、すでに戦いの火が灯っている。 「七ツ橋学園……。かつてのぴかりが丘と並び、アイドル界の双璧を成した『繋ぎ』のユニット。……相手にとって不足はありません」
みゆきは、先輩たちの緊張感に首を傾げた。 「七ツ橋? そんなにすごい人たちなんですか?」 「……すごいなんてもんじゃないよ、みゆきちゃん」 咲が、懐かしさと闘志の入り混じった表情で答える。 「あそこはね、派手な天才がいるわけじゃない。でも、六人の意識が完全に一つに溶け合って、どんな攻撃も吸い取ってしまう……まさに『猫』のようなしなやかさを持ったチームなんだ」
かつてのぴかりが丘と七ツ橋。 その対決は、あまりに激しく、それでいてどこか泥臭いラリーが続くことから、ファンたちの間でこう呼ばれていた。
『ゴミ捨て場の決戦』。
「……猫。かっこいいなぁ……。私、猫大好きだよ!」 能天気なみゆきの発言に、レッスンルームの緊張が少しだけ和らぐ。 「……いい、みゆき。猫は可愛いだけじゃないわよ」 東せつなが、眼鏡を指で押し上げながら冷静に付け加えた。 「鋭い爪を隠して、獲物が疲弊するのをじっと待つ。……今のあなたたちの『勢い』だけでは、おそらく一瞬で絡め取られるわ」
「——望むところだよ」 咲が、全員の中心で拳を握った。 「新生・ぴかりが丘が、全国の猛者たちにどこまで通用するのか。……猫の喉元に、烏の爪を突き立ててやろうじゃないか!」
「「「おー!!」」」
決定の報は、部員たちの士気を一気に最高潮へと押し上げた。 けれど、みゆきはまだ知らなかった。 その「猫」の群れの中に、自分とは真逆の性質を持ち、のちに最大のライバルであり理解者となる「一匹の迷い猫」が潜んでいることを。
夜、誰もいなくなった校舎の掲示板に、新しい練習日程が貼り出された。 外では、遠くで雷鳴のような音が響いている。 嵐の予感。 烏たちが再び羽ばたくための、本当の試練が、すぐそこまで迫っていた。




